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日蓮大聖人・池田大作

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5・3「創価学会の日」記念式典 永遠なる民衆勝利の大叙事詩をつづれ

1991.5.3 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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2  きょうは″学会のお正月″です。楽しく朗らかに、皆で歌を歌いながら、盛大にお祝いしましょう!(拍手)。(創価合唱団、富士交響楽団が「凱旋行進曲」〈歌劇『アイーダ』より〉を演奏。場内は大喝采)
 みごとです。詩もすばらしい。
3   栄えある武勲いさおし
  諸天にも響けと
  この勝利の凱歌もて
  いざ祝えよ!
  勝利! 勝利! 勝利!
  勝利の歌声
  讃め称えよ
  いざ祝えよ
  歓喜をいざ祝えよ‥… (作詞・服部洋一。創価合唱団常任指揮者)
4  学会の同志の前途を祝福しているようだ。(続いて、「人間革命の歌」〈作詞・作曲=山本伸一〉を)
  君も立て我も立つ
  広布の天地に一人立て……
 すばらしい合唱と演奏、最高峰です。(拍手)
 そこで提案したい。「人間革命の歌」を、今度は参加者全員が起立して歌ってはどうだろうか(拍手)。青年らしく高らかに歌って、皆で一緒に晴れの出発を祝いたい。ただ、壇上の幹部のように、年配の方々は立つ必要はありません。座ったままでけっこうです(笑い)。ともかく、生涯青年の気概で出発しましょう。若々しく戦いましょう!(拍手。全員で大合唱)
 きょうは、当初の天気予報を覆して(笑い)、全国的な晴天の五月三日となった。本当におめでとう。皆さまの勝利の象徴です!(拍手)
 また、小説『人間革命』(第十一巻「大阪」の章)の連載も、きょうからスタートした(拍手)。十二巻まで続けて連載する予定である。その次には、『新・人間革命』の構想もある(=平成五年〈一九九三年〉十一月十八日から開始)。「聖教新聞」の啓蒙を推進される皆さまの励みにもなるように、私も全力で取り組むつもりでいる。どうか楽しみにしていただきたい。(拍手)
5  師と苦楽を共にした青春の誉れ
 四十年前の昭和二十六年(一九五一年)五月三日。その日は、さわやかに晴れわたっていた。
 きょうと同じように。
 わが人生の師戸田先生の第二代会長就任――創価学会の永遠の原点の日である。
 戸田先生は、当時二十三歳であった私に、記念の和歌を贈ってくださった。
6   現在も
    未来も共に
      苦楽をば
    分けあう縁
      不思議なるかな
7  きょうも、同じ二十三歳の方が会場にも何人かおられると思う。まさに、はつらつと未来へ生きゆく年代である。
 この和歌のとおりに、私の青春は、戸田先生のもとで、すべての苦楽をともにさせていただいた。永遠にして最高の誇りである。
 「五月三日」、また「五月」と聞くと、私の心はおどる。そこには光がある。緑がある。青春がある。そして希望があり、崇高さがあり、未来へ、栄光へと、眼前に無限の天地が広がる。私は、いつもこのような気持ちで、五月三日を迎えてきた。創価学会の″元日″である。本当にうれしい。
8  戸田先生との、生死を超えた不思議なる縁。その出会いの日から、私の人生の、最極の誉れの劇は始まった。そして今も私は、その劇を懸命に演じぬいている。
 皆さまもまた、そうであっていただきたい。大法のため、人間のため、広宣流布のために、苦しみも楽しみも、ともにしゆく同志の縁。久遠より永遠に、その絆をもって歩んでいく。これが大正法であり、信心の世界である。創価学会である。真の人間性の世界である。(拍手)
 きょうは、全国の各会場に七十万人の方々が、記念の集いに参加されているとうかがった。うるわしい連帯で結ばれた″創価家族″の輪は、今や世界中に広がっている。
 どうか、これからも広宣の苦楽をともにしながら、晴ればれと、壮大なる「民衆勝利の叙事詩」「人間勝利の大叙事詩」をつづり残していただきたい。そして、創立七十周年、戸田先生生誕百周年に当たる二〇〇〇年の五月三日を、全員が健康な姿で、絢爛と飾っていきたい。(拍手)
 また、すでに発表されたように、創価学会創立者である牧口先生を記念し、八王子の地に東京牧口記念会館が建設される(=一九九三年十月に完成)。完成すれば、この記念会館で、五月三日の式典が開催できるよう願っている。(拍手)
9  自身の生命の法を説いた「自我偈」の功徳
 先ほど皆さまは、秋谷会長を中心に勤行をし、方便品ならびに寿量品の「自我偈」を読経された。
 この「自我偈」の功徳について、大聖人は「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」――全宇宙の諸仏は、自我偈を師として、仏に成られたのである。したがって自我偈は、世界の人の父母のようなものである――と述べられている。また、法華経のなかでも「自我偈」がもっとも肝要であることを明かされている。
 「御義口伝」には、「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」――「自我得仏来」の「自」とは始まりであり、「速成就仏身」の「身」は終わりである。すなわち自我偈は始めから終わりまで「自身」のことを明かしている――と仰せである。
 大聖人は「自我偈」を、久遠元初の自受用身であられる御自身の生命を説いたものとして読まれたと拝される。また、総じては大聖人に連なる私どもにとっても、「自我偈」の内容は、すべて「自身」の生命についての教えなのである。
 仏法とは、「自身」の外にあるものではない。どこか遠くに存在するものを説いたのでもない。
 日有上人は「堂社僧坊は仏法に非ず。又智慧才覚も仏法に非ず。多人数も仏法に非ず。(中略)信心無二にして、筋目を違へず、仏法修行するを仏道修行、広宣流布とは云ふなり」(富要二巻「有師談諸聞書」と述べられている。
 すなわち、仏法の生命は寺院の伽藍等にあるのではなく、ただ御聖訓のままに広宣流布をめざす「無二の信心」にある、と端的に教えてくださっていると拝される。
10  「自我偈」の功徳を説かれた御書には、続けて次のように述べられている。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」
 ――今、法華経寿量品を持つ人は、十方世界(全宇宙)の諸仏の命を継ぐ人である。諸仏も皆、法華経の自我偈によって自分が成仏できたのであるから、その恩ある法華経を持つ人を捨てられる仏がいるだろうか。もし、この人を捨てられるならば、仏はかえって自分の身を捨てられることになるであろう――。
 十方の諸仏――仏法は、地球のみならず、宇宙の諸々の世界に「生命」が存在し、「妙法」の実践があることを説いている。宇宙の無数の「仏」もすべて、妙法を師として成仏したのである。そして、この「正法」を持つ私どもは、全宇宙の仏の命を継ぐものであるとの、御本仏の御断言であられる。これ以上、心強いものはない。
 強盛な「信心」によって、必ず成仏の境界を得ていけるのである。もちろん得道に「上品」「中品」「下品」の機根が説かれるように、人によって早い、遅いはあるであろう。しかし、正しき仏道修行の道から退転さえしなければ、「一生成仏」と仰せのように、全員が必ず一生のうちに「成仏」という絶対的な幸福境涯を開けることは間違いない。
 たとえば、学校において、卒業までに多少、時間のかかる人もいるが(笑い)、退学とならない限り、いつかは卒業する。永遠に卒業できない大学など、入る人はいないであろう。(爆笑)
 ともあれ、私ども「仏子」を捨てられるような仏はいない。おられるとすれば、「仏」みずからが、わが身を捨てるようなものだとの仰せである。
11  母の築いた信心の城を守りぬけ
 大聖人は、さらに続けてこう教えられている。
 「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」
 ――このことから考えてみると、坂上田村麻呂や藤原利仁などのような武将を三千人も産んだ女性がいたとして、この女性を敵とする人は、その子どもである三千人の将軍を敵にまわすことになるであろう。法華経の自我偈を持つ人を敵とするのは、三世の諸仏を敵とすることになるのである――と。
 わが母をいじめられて、みすみす黙っているような子どもはいない。それと同じように、妙法を唱え、弘めゆく皆さまを、三世にわたる全宇宙の仏が、あらゆる敵から守りぬかないわけがないとのお約束である。
 一人のわが母をいじめる敵に対して、こぞって立ち上がり、敢然と立ち向かう三千の将軍たち。その凛々しき雄姿はまた、広宣の同志を守るために戦うわが青年部の姿にも思われてならない。
 坂上田村麻呂は平安時代の征夷大将軍であり、優れた武才と人格で後世の武士に尊崇された。また藤原利仁は、同じく平安時代、盗賊団を打ち破って武功をたてた鎮守府将軍である。
 男子青年部の皆さまは、大切な″広布の母″の皆さまを断じて守る使命があることを、忘れてはならない。いかなる時も、広宣流布の敵、仏子である学会員の敵を見破り、さんざんに蹴散らし、こらしめていく「勇将」「闘将」であらねばならない(拍手)。またつねに、婦人、女子を優しく守りゆくナイト(騎士)であっていただきたい。
12  以前にも申し上げたことであるが、もう三十年近く前、あるテレビ番組で、一人の学会の婦人部員が弘法に励む姿を、見くだすような形で映しだしたことがあった。貧しい境遇の婦人である。冷笑するような報道であった。
 その番組を見られた日達上人は、強い怒りをこめつつ、こう言われた。
 「私はこれを見て全く感激の余り涙を流して頭を下げました。何故ならば私はこの一婦人の其の見すぼらしい姿に仏の大慈悲を認めたからであります。十界互具一念三千の法門はこの一婦人の全体の姿の間に存在していることを知り、まずしきこの一婦人が即ち立派な衆生救済の仏であることを認めたからであります」(昭和三十七年十二月、第十回女子部総会へのメッセージ。『日達上人全集』)
 こうした、あまりにもいじらしい″母″たちの、語りつくせぬ労苦によって築かれた″世界一の民衆の城″が創価学会である(拍手)。この幸福の城を、だれ人にも断じて壊させてはならない。また、わが母を守る三千人の大将軍の心意気で、わが学会の最大の功労者である婦人部を、最高に大切にしてまいりたい。(拍手)
 とくにリーダーは、婦人部の皆さまに対して、どこまでも礼儀正しく、誠実に接していくべきである。
 そうした日ごろの感謝をこめて、きょうの「創価学会母の日」を、わが家の母、わが地域の広布の母に、それぞれが″奉仕″する日としていきたいと思う。(賛同の拍手)
13  「学会員こそ即身成仏の人々」
 昭和三十五年(一九六〇年)五月三日。私は学会の第三代会長に就任した(第二十二回本部総会。東京。日大講堂で)。澄みわたる五月晴れの日であった。
 就任の折、私は、日達上人から「開目抄」の御文を贈られた。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」――所詮は、諸天も捨てられよ。諸難もふりかかれ。この身命を捨てる覚悟である――。
 厳しくも、大きな期待をこめた日達上人の慈愛と、私は受けとめた。
 以来三十一星霜――。私は、この「開目抄」の御精神をつねに拝しながら、「不惜身命」の決心で戦ってきた。大法弘通に生涯をささげられた戸田先生の弟子として、だれ人にも恥じない、正義の「法戦」の日々を貫いてきたつもりである。(拍手)
 会長就任の翌年(昭和三十六年〈一九六一年〉)、日達上人は「大白蓮華」に、次のような新年の言葉を寄せられた。(以下、引用は『日達上人全集』による)
 「私ども同心の人々があい集まり、ますます信心を強盛に、そしてまだ信じない人々を教化して入信せしめていけば、それだけこの世界の人々を、幸福にすることができるのであります。
 このように、世界の人々を幸福にするという大事業を、わが創価学会が行なっておるのであります。つまり創価学会員は日蓮大聖人様のお使いであり、大聖人様の所遣として、大聖人様の事を行じておるのであります。
 さすれば、創価学会員は大聖人様の子であり、一分であると考えられるのであります。すなわち、創価学会員こそ即身成仏の人々であると申すのであります。実にありがたいことであります」と。(拍手)
 学会員は大聖人の「お使い」であり、大聖人の「子ども」である。尊い「御本仏の仏子」である――このように日達上人は、皆さまを讃嘆されている。(拍手)
 「学会員こそ即身成仏の人々」とのお言葉を、私どもは深く心にとどめてまいりたい(拍手)。この身そのままで「仏」と開かれていくのである。
14  日達上人は、さらに、こう述べられている。
 どよう「しかしこの大事業を行ずれば行ずるほど、学会員の身の周囲には魔が競い、その魔に常に煩わされることを覚悟しなくてはなりません。もちろんこのことはひとり学会員に限らず、日蓮正宗の信徒たる者は一人ももれない因縁であり、しかもそれが成仏への瑞相であることを知っておかなければなりません」と。
 魔が競い、難にあうということは、それ自体、「成仏への瑞相(良い兆し)」であるとの教えである。
 「難」は即「成仏」に通ずる。これが日蓮大聖人の仏法の根本精神である。悪人に責められ、難にあうということは、大聖人の御書を正しく行じている証である。
 逆に、難がないということは、仏法を真に行じていない証拠となる。現実社会のただなかで弘法をしなければ、難など起こるはずもない。日達上人の言葉どおり、学会は″人類を幸福にする大事業″をひとすじに行じ、それゆえにつねに魔と戦い続けてきた。そして、堂々たる「勝利」の歴史をつづってきた。(拍手)
15  「魔は学会の前進を妬んで妨げる」
 また日達上人は、昭和四十五年(一九七〇年)、嵐の五月三日を前に(三月十九日)、次のように厳然と学会の正義を主張されている。
 「今日世間ではこの学会が非常にさかんに折伏して信者を増していくことに対して、非常に妬んでいろいろとあげ足をとって悪口を書いて、問題になっております。色々の言論妨害だとか出版妨害だとかいって、表向きは大きな問題にしようとしておりますが、実はその裏をかえせば、まことに情ない、ただ自分らの感情の表われである」
 「そして真実をつかまないところの宗教の本質を考えないで、ただ学会が大きくなった、(=日蓮)正宗の信心が世界に流布していくということを恨んで、いろいろと策謀しておる。一種の悪魔であります。これを魔民と申します」と。
 こちらが、いかに正しく、最高の「善」の軌道を歩んでいても、それを邪魔し破壊しようとする。これが「魔」の働きである。
 走れば風が起こる。進めば波が立つ。何もなければよいように思うかもしれないが、避けようがない。
 学会は、最高の妙法を全世界に弘めゆく「世界一」の団体である。妬まれないわけがない。たとえば、美人であればあるほど妬まれ(笑い)、裕福であればあるほど妬まれる。その逆の人は、あまり妬まれないであろう(笑い)。妬むよりも、妬まれるほうがよいのではないだろうか。(笑い)
 いわんや、仏法という最極の法を持ち、広宣流布という最高の大理想に向かって、「幸福」と「満足」の人生を歩む私どもである。「妬み」の心にとりつかれた「魔民」が競い起こってくることは必然である。
 どうか皆さまは、さまざまな妬みの風も、むしろ「誉れ」であるととらえ、大いなる「誇り」をもって前進していただきたい。(拍手)
16  さらに、日達上人は「後五百歳中広宣流布して悪魔、魔民にその便りを得せしめることなかれと法華経に説いておるのでございます。広宣流布するときに、これを妨害するのは悪魔、魔民である。謗法者である。だからもっと強い信心をもってこの末法に妙法蓮華経を流布しなければならない、と仰せになっておるのでございます」と――。
 世間の波音がいかに騒がしくとも、問題ではない。根幹となるのは、御書に照らしてどうか、経文に照らしてどうかである。この確固とした基準に立ち、一切を悠然と見おろしながら、いやまして「強き信心」で進んでいくことである。
 そこに、「正邪」を見抜く「知恵」がわく。「悪」と戦う「勇気」がわく。あらゆる問題を解決し、幸福を勝ち取る「力」がわいてくる。この″仏法の眼″″信心の眼″を忘れ、世間の風評などに惑わされれば、結局、「魔」に紛動され、屈服してしまったことになるのである。
17  日達上人はまた「聖愚問答抄」のご説法で、「五逆罪」に論及され、その一つである「破和合僧」について、次のように述べられている。
 すなわち、「破和合僧とは正しい宗教を、即ち創価学会、正宗の信者の団体、こういう立派な修行の団体を破壊するもの、これを破和合僧といいます」と。
 そして、「皆様が創価学会に入って一生懸命信心しておる。いろいろな系統に立って信心を励んで折伏をしておる。それをたとえ外にしろ、内にしろ妨害するというものは、これは破和合僧で、仏様を疵つけたと同じ程の罪悪であると考えなければならない」と戒められている。
 外からにせよ、内からにせよ、学会の前進を妨害するものこそ「破和合僧」であり、「五逆罪」と明言しておられる。いわんや、この尊き「広宣流布の和合の教団」を破壊しようとするものがいれば、その罪は計り知れない。(拍手)
18  ″広布達成への遺誠は門下の第一法則″
 ここで、「日興遺誠置文」を拝したい。いうまでもなく、第二祖日興上人が末法万年の正法弘通のために、後世の弟子に留め置かれたお言葉である。
 日興上人は、二十六箇条の「遺誠」について「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」――二十六箇条のうちの一箇条でも破った者は、日興の弟子ではない――と厳格に断言されている。
 その第十三条には、次のようにある。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――いまだ広宣流布しない間は、身命を捨て自身の力の限り妙法を弘めるべきである――と。
 日亨上人は、この御文を「重要永遠的の第一法則」の一つであり、「万代法則ともいうべき」であるとされている。
 つまり、このご遺誠は、二十六箇条のうちで最重要であり、中心となる鉄則である。大聖人門下にとって永遠に貫きとおすべき根本の指針と仰せなのである。
 「広宣流布」の実現こそ、根本の大事である。ゆえに「随力弘通の人」こそ、もっとも御本仏が喜ばれ、たたえられる人である。この根本をないがしろにするものは、日興上人の門下とはいえないとの戒めと拝される。
 わが学会の六十年の歴史は、まさしく、この御遺誠どおりの軌跡であった。これが私どもの最大の誇りである。(拍手)
 日達上人は、昭和四十一年(一九六六年)五月三日、創価学会第二十九回総会の席上、学会の実践を次のように称讃してくださった。
 「いまの時代は御本尊を護持し、付属してあることあらしめておるのはだれでありますか。学会であります。また令法久住のために死身弘法をもって、仏法を守護し、戒壇の大御本尊様を護持し、そして折伏をしておるのは学会であります。また、あらゆる謗法の難を破折し、六難九易を身をもって行ない、末法の広宣流布を実現しておるのも学会であります」と。
 本日、このように学会が福運に満ちみちて、堂々と五月三日を迎えることができたのも、日達上人が明言されているとおり、私どもの実践が、日蓮大聖人、日興上人のお心に適ったがゆえと確信する。(拍手)
 ここまで広がった世界広宣流布の前進――もしも、この仏子の行進を阻むものがあれば、その本質は魔であり、大聖人のご叱責は免れないと私どもは断言したい。(拍手)
19  「私は折伏の闘士を大切にします」
 さらに日興上人は、ご遺誠の第十四条でこう戒められている。
 「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」――わが身は軽く法は重しとする仏法実践者に対しては、たとえ下劣の法師であっても、まさに仏を敬う如くにすべきであるとの道理にのっとって、その人を信じ敬うべきである――と。
 仏法においては、地位や立場ではなく、信心の厚薄、実践の有無が根本であるとの教えである。身命を惜しまず、折伏・弘法に、広宣流布に生きぬく人は、立場がどうあれ、仏のごとくに尊敬していかねばならない、と。
 私どもは在家の立場でありながら、折伏・弘法に励んでいる。このご遺誠を残された日興上人のおほめをいただけることは間違いないと信ずる。
 日達上人は、先の総会の席上、この御文を拝されて、「私は、世界の人の前で、この身軽法重の行者、折伏の指導者である創価学会会長池田先生を大事にします。また、折伏の闘士として、創価学会の皆さんを大切にします」と断言されている。(拍手)
 どうか、皆さま方は、大聖人の仰せどおりに行じてきたわが学会の真実に、無上の誇りをもっていただきたい。
 この「誇り」を高々と掲げ、たとえ悪鬼、魔民におどされ、脅かされ、虐げられようとも、正義の「信仰者」として、一人の「人間」として、偉大なる一個の「人格」として、何ものも恐れず、強く、朗らかに、この一生の広布劇を飾っていただきたい。(拍手)
 来年の五月三日も、また本年以上に晴れがましく、全員がいちだんと成長し、いちだんと大福運を積んで集い合うことを念願しつつ、お祝いのスピーチを終わります。
 五月三日、本当におめでとう!大勝利の歴史、ありがとう!(創価大学記念講堂)

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