Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十二回関西総会・第四回全国壮年部幹部… 信仰こそ人間の最高の誇り

1990.10.26 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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21  人生、だれにほめられるか。悪人にほめられるのは悪人である。愚人にほめられて喜ぶのは、その人も愚かである。まして悪人と愚人に非難されて悲しむなど、愚の極みである。彼らに敵対されるのは善人である証拠だからだ。悪口こそ″勲章″なのである。
 社会には善があれば、悪もある。平和勢力があれば、反対勢力もある。万人にほめられるわけにはいかない。
 悪は善の敵となり、善は悪に攻撃される。これは永遠に仕方のないことである。その意味で、人生は覚悟する以外ない。「愚人にほめられ、大聖に叱られる道をとるか」「愚人に迫害され、大聖にほめられる人生を選ぶか」――中間はない。
 だれにもほめられもせず、難もなく――それでは、もはや″生きている″とはいえないだろう。
 何も行動しなければ、何の障害もないかもしれない。しかし、それはもはや″死せる人生″である。また善をなす勇気がなければ、悪を助長し、結局は悪に通じよう。
 釈尊も、天台も伝教も、そして御本仏日蓮大聖人も、あれほどの攻撃を受けられた。それは″何か悪い点があったから″であろうか。断じて、そうではない。反対に、絶対に″正しいからこそ″悪に迫害されたのである。
 この道理が腹に入れば、何も恐れる必要はない。一切は霧が晴れたように、明瞭に見えてくる。
 また向かい風すら、心地よいそよ風に、そして成仏と広宣流布への追い風にと変えていけるのである。(拍手)
 「法妙なるが故に人貴し」――持つ法が妙であるゆえに、持つ人も尊貴である――と、大聖(日蓮大聖人)は御断言なされている。
 生涯をかけて正法広宣流布に進む皆さま方こそ「大聖にほむらるる」第一の資格ある方々であると確信する。
 どうか、どこまでも勇敢に、いつまでも生き生きと若々しく、スクラムとスクラムを広げながら、ともどもに最高の″名誉の一生″を飾ってゆかれんことを念願し、本日の記念のスピーチとしたい。創立七十周年を、一人残らず元気で迎えましょう!
 (京都平和講堂)

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