Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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牙城会大学校五期生大会 「偉大な人格」が新世界をつくる

1990.8.2 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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13  人間性の放つ「美」は、人々への最高の雄弁
 十八世紀に活躍したフランスの哲学者フォントネルは言った。
 「善は、さまざまな証拠を必要とするが、美は決してそれを求めない」
 何が善で、何が悪か。何が正義で、何が偽りなのか。一般的に、「善」には、さまざまな立場や見方がある。とらえ方が分かれる。そのため、立場が変わると、何を「善」と判定するか、決めることがむずかしくなる場合も多い。また「善」と「悪」を納得させるには、多くの証明を必要とするのである。
 まして、現代のような虚実の入りまじった情報に、人々の心が乱されがちな社会では、なおさらである。簡単には「善」と「悪」とが判別できにくくなっている。
 しかし「美」の場合は、そうではない。「なぜ美しいか」「本当に美しいか」などの議論や証明の必要が、あまりない。
 たとえば「あの人は美人だ」となれば、多くの人が一様に認める。そこには″なぜ、そうなのか″などの理由の説明は、ほとんどいらない(笑い)。「ああ、美しいな」と思う心を、理屈や議論でくつがえせるものではない。「美」は、ダイレクトに、人の心をとらえるものである。
 ゆえに、こうした乱れた社会にあっては「あの人は、すがすがしい」「あの人の心は美しい。何ともいえない輝きがある」と言われる人になることが、雄弁な「弘教」になっているのである。
 ゴルバチョフ大統領にお会いしたときも、頭の回転の速さ、明快さ、そして精神のみずみずしさを強く感じた。それが大統領のアピールの一つの力であり、多くの人々を引きつける魅力となっている。
 心の貧しい、陰険で意地の悪い人であってはならない。臆病で無気力な、未来性の輝きのない青年であってはならない。それでは多くの人々の心をとらえ、導いていくことなどできはしない。
 たくましさ、凛々しさ――ここに一つの男性美がある。清らかさ、ふくよかさ――ここに一つの女性美があろう。
 そして、″人間性の美″の光、″高貴なる魂″の光――それを輝かしていくのが、信心である。信心した私ども一人一人が「人間美」の輝きを、周囲に、地域社会に広げていく。それが、仏法への理解と納得の輪を着実につくり、広宣流布の確かな一歩一歩をきざんでいくのである。
 どうか、これからも体を大切にして、すばらしき青春、すばらしき人生を生き、勝ちぬいていただきたい。そのことを私は、日々、御本尊にご祈念している。また一生涯、その決心であると申し上げて、本日のスピーチを終わりたい。
 (総本山大石寺・常来坊)

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