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日蓮大聖人・池田大作

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牙城会大学校五期生大会 「偉大な人格」が新世界をつくる

1990.8.2 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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12  広布前進の大将軍の使命
 話は変わるが、昭和四十八年(一九七二年)十二月、大阪・中之島の中央公会堂で開かれた第三十六回本部総会の席上、日達上人はこのように語られた。
 「『法華経法師功徳品』には『若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん』と説かれております。
 このご文の意は、世を指導する言語も、産業を振興する才能も、法華経の諸法実相の観点から出るものであることを、示されたものでございます。
 故に『観心本尊抄』に『天晴れぬれば地明らかなり法華を識る者は世法を得可べきか』とも説かれているのであります」(『日達上人全集』第二輯第五巻)と。
 さらに続けて、次のようにも語っておられる。
 「この法華経の肝要である大聖人の仏法を、よく研鑽されている池田先生の言論が、政治、経済にわたっても、しぜんと、その実相に到達していることは、深く評価せられるべきものであると考えます。
 この英知の池田先生を会長としていただいている学会員のみなさまは、まことに幸福であり、名誉であると思うものであります。
 また、この偉大な池田先生は、我が日蓮正宗の大外護者であります。今後、ますます激しい社会情勢に対処して、我が日蓮正宗の発展のために、会長池田先生のいっそうの外護を得たくお願いする次第であります」(同前)と。(拍手)
 私のことは別として、日達上人が法華経に照らし、また御書に照らして、激動の社会・世界をリードしゆく学会を心からたたえてくださっている。
 大聖人は、四条金吾へ与えられたお手紙の中で、次のように仰せである。
 「敵は・ねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし
 ――敵は狙っているのだろうが、あなたの法華経への信心が強盛であるので、大難も、事の起こる前に消えたのであろうか。これにつけても、よくよく信心に励んでいきなさい――と。
 いずこの世界にあっても、新しき理想を掲げゆく″先駆の人″に、非難や迫害が多いのは当然である。むしろ、こうした″敵″との戦いなくして、大事がなされたことは、歴史上、一度もなかったといってよい。
 ソ連のゴルバチョフ大統領も、会見の際、私にこのように語っておられた。(「聖教新聞」一九九〇年七月二十八日付)
 「新しいことは、最初はバカげたことのように見られがちです。改革者というものは、常に初めは少数派なのです」と。また、「私は、ほめられることに慣れていない。いつも批判されてばかりです」と、ほほえんでおられた。
 その表情には、まさに″戦人″の風格があった。そしてその奥に、先駆者としての強靱な「勇気」が脈打っていた。
 いわんや「仏法は勝負」である。つねに仏と魔との戦いである。正法を正しく行ずれば、それだけ敵も多くなる。広宣流布の前進が大きければ大きいほど、妬みの炎も盛んになる。これは、御書に照らし、経典に照らして、必然の理なのである。
 この果てしなき広布の″攻防戦″にあって、まず何よりも、強く、深き祈りで、魔の蠢動を、先手を打って打ち破っていく。そして、広布に戦っている尊い仏子を、厳然と大難から守りぬいていく――これが、広布の牙城会の大将軍の使命である、と願うような思いで申し上げておきたい。(拍手)
13  人間性の放つ「美」は、人々への最高の雄弁
 十八世紀に活躍したフランスの哲学者フォントネルは言った。
 「善は、さまざまな証拠を必要とするが、美は決してそれを求めない」
 何が善で、何が悪か。何が正義で、何が偽りなのか。一般的に、「善」には、さまざまな立場や見方がある。とらえ方が分かれる。そのため、立場が変わると、何を「善」と判定するか、決めることがむずかしくなる場合も多い。また「善」と「悪」を納得させるには、多くの証明を必要とするのである。
 まして、現代のような虚実の入りまじった情報に、人々の心が乱されがちな社会では、なおさらである。簡単には「善」と「悪」とが判別できにくくなっている。
 しかし「美」の場合は、そうではない。「なぜ美しいか」「本当に美しいか」などの議論や証明の必要が、あまりない。
 たとえば「あの人は美人だ」となれば、多くの人が一様に認める。そこには″なぜ、そうなのか″などの理由の説明は、ほとんどいらない(笑い)。「ああ、美しいな」と思う心を、理屈や議論でくつがえせるものではない。「美」は、ダイレクトに、人の心をとらえるものである。
 ゆえに、こうした乱れた社会にあっては「あの人は、すがすがしい」「あの人の心は美しい。何ともいえない輝きがある」と言われる人になることが、雄弁な「弘教」になっているのである。
 ゴルバチョフ大統領にお会いしたときも、頭の回転の速さ、明快さ、そして精神のみずみずしさを強く感じた。それが大統領のアピールの一つの力であり、多くの人々を引きつける魅力となっている。
 心の貧しい、陰険で意地の悪い人であってはならない。臆病で無気力な、未来性の輝きのない青年であってはならない。それでは多くの人々の心をとらえ、導いていくことなどできはしない。
 たくましさ、凛々しさ――ここに一つの男性美がある。清らかさ、ふくよかさ――ここに一つの女性美があろう。
 そして、″人間性の美″の光、″高貴なる魂″の光――それを輝かしていくのが、信心である。信心した私ども一人一人が「人間美」の輝きを、周囲に、地域社会に広げていく。それが、仏法への理解と納得の輪を着実につくり、広宣流布の確かな一歩一歩をきざんでいくのである。
 どうか、これからも体を大切にして、すばらしき青春、すばらしき人生を生き、勝ちぬいていただきたい。そのことを私は、日々、御本尊にご祈念している。また一生涯、その決心であると申し上げて、本日のスピーチを終わりたい。
 (総本山大石寺・常来坊)

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