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日蓮大聖人・池田大作

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京都記念幹部会 幸福という″心の皇帝″に

1989.10.18 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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2  今や妙法の友は世界のいたるところで活躍している。私は日夜、その安穏を祈っている。また皆さまも、祈ってくださっているかもしれない。
 本日(十八日、現地時間十七日午後五時四分)、アメリカのサンフランシスコ一帯で大規模な地震が発生した。けさから現地と何回となく交信しているが、寺院も会館(サンフラィンスコ会館など五会館)も、まったく無事であった(拍手)。現在、メンバーの安否を掌握している。
 一昨年(一九八七年)、ロサンゼルスで私はスピーチし、ロスの地震の危険性にふれて、正法による「立正安国」の必要性を語った(=二月二十五日、アメリカSGI第七回特別研修会)。そのさい、サンフランシスコが一九〇六年、約七百人もの死者を出す大地震に見舞われ、その廃墟のなかから、同市のシンボルである″フェニックス(不死鳥)のごとく復興してきた歴史を述べた。
 今回の地震についても、私はさっそくブッシュ大統領と、カリフォルニア州のデュークメジアン知事に、お見舞いの電報を打ったが、一日も早い復旧を念願している。
3  また同市・同州をはじめとするアメリカの友が、崩れざる平和と繁栄という「安国」の国土を築きゆくために、いよいよ妙法への確信を深め、「立正」の実践に進みゆくことを願ってやまない。(拍手)
 このように、毎日、世界中の動きが刻々と私のもとには報告されてくる。一時も気を休めることはできないほどである。個々の人の病気や事故等の報告もある。そのたびに私は題目を送り、激励し、また亡くなった方には追善の勤行や唱題をさせていただいている。
 この数日の間にも、じつは何件かの交通事故の報告があった。一つは相手に追突されたもの。一つは自分の不注意で追突してしまったケース。状況はさまざまであるが、いずれにしても交通事故は、あまりにも悲惨である。絶対に起こしてはならない。
 また事故を起こさないよう、たがいにできうる限りの注意をし、周囲も無理などをさせないよう、くれぐれも配慮していただきたい。
4  祈りは明確に強き一念定めて
 これらのことも含めて、本日まず私が申し上げたいことは、「祈りは具体的でなければならない」ということである。
 たとえば、きょう一日、無事故で自己の使命を果たせるように。また出張や旅行等の出発の折も、無事に目的を達するように。その他、きちっと一念を定めて、具体的に祈念していく。それでこそ祈りは御本尊に感応し、「事の一念三千」の法理にのっとって、宇宙のあらゆる次元の働きが、祈りの実現へと回転を始める。
 妙法を信じ、行ずる者の祈りは絶対に叶う。それも祈る側の「強き一念」があってのことである。強き一念は、めざす的が明確であり、具体的であってこそ生まれる。
 漠然とした、心定まらない祈り。義務的、形式的な勤行・唱題。それらは信心の惰性の表れである。惰性の信心は、惰性と空虚の回転を生む。
 勤行しないとなんとなく叱られているみたいだから(笑い)とか、お父さんやお母さんがうるさいし、奥さんのせきたてる声を逃れんがため(笑い)、しぶしぶ仏壇に向かう(爆笑)。はじめはいやいや(笑い)、途中は″早く終わらないか″(笑い)。予定どおり早く終えて(爆笑)、″ああ終わってよかった″(爆笑)。京都には、こんな人はいないと思うが(笑い)、これでは諸天善神も活躍しようがない。(爆笑)
 はっきりしない一念では相手に通じない。これは、人間同士でも同じ道理である。
 たとえば恋人同士でも、男性が、結婚したいんだか、したくないのか、はっきりしない。なんとなく、そこにいるだけ(笑い)。指輪もくれなければ、プロポーズもない。具体的なものは何にもない(笑い)。これでは女性のほうだって、いらいらするのも無理はない(爆笑)。返事のしようもない。
 ともあれ、″仏法は道理″である。観念的な、また真剣さのない祈念では、明確な結果は出ない。
 広布のこと、一家と自身のことに関して、たえず明確で具体性のある祈りを重ねていく。そこに妙法流布の進展もあるし、宿命の打開もなされていく、と私は考える。
 たとえば交通事故にも、事故を起こしやすい傾向性をもつ人がいる。無事故を日々、真剣に祈っていくことによって、そうした悪い傾向性をも修正していくことができる。また諸天に守られていく。その他の宿命の転換の方程式も同様である。(拍手)
5  さて大聖人は「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」――いかなる乞食になったとしても、法華経に傷をつけてはなりません――と仰せである。
 にもかかわらず、幹部でありながら、この御文に反し、皆さまにもご迷惑をおかけした事件があった。これこそ″法華経に傷をつけた″ことである。その罪は重い。
 正法を傷つけ、和合僧に傷をつけ、広宣流布の前進を妨げる。いわゆる「法を下げる」ことは、仏に背く行為である。ゆえに、因果の理法にのっとり、厳しき報いを受けるのは当然である。
 それはそれとして、妙法は「変毒為薬(毒を変じて薬となす)」の大法である。
 これまでも、何かあるごとに、乗り越え、乗り越え、いちだんと正法の広宣流布の水カサを増してきた。また一部の邪悪の人間を見て、多くの友がより賢明になり、後世の戒めとすることもできた。
 信心で受けとめ、信心の眼で見ていけば、一切に意味があり、深き仏意があることを確信できる。ゆえに皆さまは、いよいよ晴ればれとした心で、いよいよ力強い、堂々たる前進をお願いしたい。(拍手)
6  ″わが地域″こそ使命の舞台
 本日は、学生の方々も参加されている。そこで少々、学問的な意義もふまえながら、自分が住んでいる地域でどう生きるか、わが地域をどう見るか、ということについて考えてみたい。
 古都といえば、この美し塗示都、そして奈良が思い浮かぶ。奈良はシルクロードの終着点であり、有名な正倉院には、それに関連する文物が収められている。いずれも多くの人々の憧憬の地である。
 ところで、かつて大和と呼ばれた奈良盆地一帯のことをうたった、次のような歌が『古事記』に記されている。
  
  大和は 国のまほろば
  たたなづく 青垣
  山隠れる 大和しうるはし (『奈良―古代史への旅』岩波新書。以下、同書参照)
  
 ――大和は国中で、優れたよいところである。青垣がたたみ重なって周囲をめぐる。山のうちにこもっている大和の美しいことよ――と。
 大和の地の景観の美しさをたたえた、有名な歌である。
 この歌の作者と背景について、大阪の相愛大学教授で大阪市立大学名誉教授でもある直木孝次郎氏は、次のような見解を示されている。同氏は日本古代史専攻で、東洋哲学研究所発行の『東洋学術研究』にも論文を寄稿されたことがある。
 すなわち、この歌は、『古事記』では、ヤマトタケル(倭建命)の作と伝えており、旅先で病に伏し、死を前にして遠い故郷をしのぶ英雄の悲哀をただよわせている。が、『日本書紀』では、この歌は、帝都である大和の国をたたえて、ヤマトタケルの父にあたる景行天皇が詠んだお祝いの歌としている。
 ではいったい、この歌を作ったのはだれなのか――。
 直木氏によると、どちらが真の作者かと論議するよりも、むしろ、民間にうたわれていた歌を、のちに『古事記』『日本書紀』にとり入れたものと考えたほうがよい、という。
 たしかに、『万葉集』などにも、「作者未詳」「よみ人しらず」とされる歌がたくさん見られる。そのように、名もない人々の作品が、時を超えて、いかに多くの人々の心をとらえてきたことか。民衆のなかから生まれた言葉、感性――その土壌の豊かさには圧倒される思いがする。
 さらに直木氏は、この歌がどのような意味で民衆にうたわれたかについて、国文学者の説をふまえ、次のように述べている。
 「春のはじめ、村人たちが郷土をみはらす山にのぼり、農耕をはじめるにあたって豊作を祈り祝うための歌であろう。古代の農民は、土地をほめることによって、土地の繁栄つまり豊作がもたらされると信じていた」(前掲『奈良―古代史への旅』)と。
7  みずからの耕す土地をほめることによって、その土地が栄える――。
 私には、仏法で説かれた「本有常住」「常寂光土」の法理が思い起こされる。また、私どもの信心の姿勢についての深い示唆があるように思えてならない。
 「本有常住」の世界とは、三世にわたってつねに存在し、壊れざる世界をいう。
 「常寂光土」とは、根本的には御本尊のまします場所であり、妙法を信受し、広布に励む地涌の友の活動の場も、また「常寂光土」へと変えていける。
 とかく人は、自分が住んでいる地域の良さが、なかなかわからないものだ。「こんな田舎より都会のほうがいい」とか、「海外に行けば、もっといい暮らしができるかもしれない」等々と思う。しかし、住む場所が人の幸・不幸を決めるのではない。また、いつも遠くにばかり思いを馳せて、足元が見えないようでは、いつまでたっても幸福の実像は結べない。
 他の場所ではない。今、自分がいるところを「本有常住」の世界ととらえ、豊かで幸福に満ちた「常寂光土」のごとき地域をつくりあげていくことである。そこに、それぞれの地域で活躍する妙法の友の使命がある。
 わが地域を心から愛し誇りとしながら、地域に最大に貢献していこう――こう決めて前進していく人こそ、人生に確かな「幸福」と「広宣流布」の歴史を築くことができる。そして地域に、多くの友と多くの福運の花を咲かせゆくことができるにちがいない。
 どうか皆さま方は、″わが地域こそわが使命の舞台″との、すがすがしい決意で進んでいただきたい。(拍手)
8  雨の関西文化祭に学会魂
 さて、関西といえば、あの″雨の甲子園″の文化祭(昭和四十一年九月)が忘れられない(拍手)。
 ここにおられる皆さまのなかにも、当時、参加された方も多いと思う。広布史上に永遠に残る快挙であり、参加された方々が、その後、立派に成長され、元気に活躍されている姿を、私は心からたたえたい。(拍手)
 日達上人は、昭和四十一年十一月の第十五回男女青年部総会の折に、わが「関西文化祭」を最大に讃嘆され、次のようにお話しになっている。
 「創価学会の皆さんが、日蓮大聖人の仏法を信奉し、万難を排し、団結をもってその使命の達成に努力していることは、つねづね衆人の承知しているところでございます。
 ことに、さる九月十八日、あの雨の甲子園において、その実例を目撃して、われわれはいっそう、この事実に感銘したのであります。あの関西文化祭に出席した全員が、降りしきる雨にもめげず、最後までその目的の演技を遂行したのは、おそらく、信心の基盤がなければできないことと思うのでございます」(『日達上人全集 第一輯第三巻』)
 雨中の文化祭は関西であったからこそできたといえる(拍手)。わが関西は、いつも学会精神の底力を満天下に示しきってきた。″大変な時こそ、まかせてください。関西は何倍もやりまっせ″との心意気。それが「関西魂」のすばらしさである。(拍手)
 そのなかでも京都は、歴史的に他宗が栄えた土地柄から″広宣流布ができるのはいちばん最後となって当然″と皆は見ていた(笑い)。しかし、予想を裏切り(爆笑)、見事な前進と発展を遂げた。
 ことに草創以来、全国の同志の士気を鼓舞し、愛されてきた「威風堂々の歌」は、京都の愛唱歌として生まれた歌である。作者は大橋幸栄さん。この歌が厳しい環境のなか、京都の皆さまの″前進の息吹″のなかから誕生したことは、すばらしい広布の歴史である。(拍手)
 私もこの歌が大好きで、折あるごとに指揮をとらせていただいてきた。そして何事に対しても、この歌の心で堂々と恐れなく、一歩も退することなく進んできたつもりである。(拍手)
9  また日達上人は、先のお話に引き続いて、ここ京都での歴史のエピソードを引かれている。
 「昔、平安朝の末期に、京都の御所において、ある儀式が行われたのであります。そのとき、公家や武士たちが、御所の大庭に整然と整列しておりました。式の半ばにきて、とつぜん驟雨がきたのであります。公家たちは、周章狼狽して、軒下や木陰に雨を避けたのでありますが、武士たちは大雨のなかをびくともせず、最後まで厳然として動かなかったのであります。
 それを見た当時の識者は、雨を恐れるところに亡国の兆しがある。おそらく、公家は滅びて、こんごは武士の天下となるであろうといったそうであります。そのとおり、その後は、公家の政治は滅び、源平の時代となり、武士が政治をとり、明治維新にいたるまで約七百年、武士の天下となってしまったのであります。わずかに雨を恐れるか恐れないかのことにおいてすら、天下の情勢が分かれるのであります」(同前)
 たしかに″一事が万事″である。勝ちゆく者と敗れ去る者。興隆していくものと滅びゆくもの。その差は、まさに瞬間の″生命の実相″にくっきりと浮かび上がってしまう。それは、見る人が見ればあまりにも明瞭である。
 いかなる時代、次元であれ、強き「一念」は、勝利への道を限りなく開きゆくことができる。反対に弱い一念では、希望を生みだすことはできない。この仏法をたもっていても、信心の一念が弱くては宿命転換もかなわず、深い人生を生きることもできないのである。
 関西文化祭で示した″雨をも恐れぬ闘魂″は、まさにたくましき学会精神の発露であり、日達上人もそこに学会の永遠の強さと発展の因を見て称讃されたのである。
 ともあれ学会は、いわゆる″貴族″のひ弱さとは永遠に無縁である。当貝族″に象徴される外面の概慶や立場に陵が、こびへつらう世間のま弊とも無縁である(拍手)。何があっても配だとして、「広宣流布」の理想へ向かって、たくましく、断じて生きぬいていくべきである、と強く申し上げておきたい。(拍手)
10  さらに日達上人は、こう述べられている。
 「見渡すところ、日本国中はもちろん、世界中が謗法に満ちておる今日、そのとき、正法をひろめるには、あらゆる圧迫や災難に打ち勝っていかなければなりません。それには、正法を信ずる純粋な信念と、信者の和合団結が大切なることは言を待たないのであります。いま創価学会の皆さんが、正法に帰依し、妙法流布の行者として、池田会長を先頭に、妙法五字の旗をさし上げて、謗法の権門を打ち破っておるところの最高の信念には、いかなる人も、また、いかなる天魔も恐れをなすのであります」(同前)と――。
 御書にも仰せのごとく、正法弘教の法戦には、いわれなき中傷、無認識の非難、ねたみの迫害が必ずある。しかし「妙法流布の行者」として「最高の信念」を持ち、行動しゆく私どもの前進を、何ものたりとも阻むことはできない、とのご断言である。(拍手)
 障魔に負けてはならない。信心を破られてもならない。私どもの活動なくして、人類の希望も、世界の安穏と平和も築けないからである。
 どうか、京都の皆さまは、今後も「威風堂々」の精神で、何ものにも負けず屈しない、誇り高き前進をしていかれるよう、心から念願したい。(拍手)
11  忍城の攻防に学ぶ懸命の姿勢
 ところで、京都広布の中心牙城・京都文化会館は、二条城の真向かいに建つ。いかにも、難攻不落の広布城にふさわしい地にあるとはいえまいか。(拍手)
 それはそれとして、幸福の堅固な″城″を守る条件とは何か。その点について、少々、述べておきたい。
 埼玉県行田市。ここは、もともと城下町である。その城の名は、忍城。山本周五郎氏の小説「笄堀こうがいぼり」(『髪かざり』所収、新潮文庫)で措かれた城としても知られる。戦国の世にこの城をめぐる激しい攻防戦があり、小説はその戦いに題材を得ている。
 山本周五郎氏は、私はお会いしたことはないが、戸田先生はご存じであった。氏はかくれた人物の業績を描くとき、その筆が光る。
 ――関白・豊臣秀吉をバックとした石田三成の大軍が忍城攻略に近づいていた。だが、城を守るのは城主の妻・真名女と、わずか三百の兵のみ。城主は歴戦の勇士とともに留守であり、城内には老いた、それも実戦経験の少ない将兵ばかりである。
 相手は太閤磨下の勇将が率いる精鋭の大軍である。勝敗は、人を見るより明らかであった。どうするか――。
 真名女は、まず落ち着こうと自分に言い聞かせた。そして考えた。城を捨てて逃げるか。それとも、弱小な兵力でも戦うか。はたして、難局を開くことはできるのか。勝利の可能性はあるのか……。
 葛藤のすえ、彼女は決める――よし戦おう。だが、強がりは捨てよう――と。
 「十のもので百のたたかいをするちからは自分にはない、それはたしかだ、けれども十のものを十だけにたたかいきることはできそうだ」「自分はごくあたりまえな女である、平凡なひとりの妻にすぎない、ただその平凡さをできるかぎり押しとおし、つらぬきとおすことよりほかになんのとりえもない、そしてそのかぎりなら自分にもできるはずだ」(同前)
 勇気ある女性である。また聡明な女性である。
 いざとなると、女性のほうが気が強い(笑い)。苦境にも冷静で、大胆である(笑い)、いざとなると男性のほうが臆病で(笑い)、頼りにならない(笑い)と言った人もいた。(爆笑)
 真名女には、武将の妻としての自負もあったにちがいない。――夫から城と領民を託された。なのに、おめおめと城を明け渡してなるものか――。
 苦しいときに自己を鼓舞し、勇気づけるものは、いつも強い「自負」であり、「責任感」である。
 話はやや飛躍するが、戸田先生の忘れえぬ姿がある。先生の事業が最悪の事態を迎えた時のことである。先生の奥さまがつい一言、愚痴をこぼされた。それを聞いた戸田先生は烈火のごとく怒られ「事業が行き詰まったからといって、事業家の女房が泣いているとは何ごとか! 事業には成功もあれば失敗もあるものだ!」と。
 今から思えば、少々乱暴な言い方かもしれないが(笑い)、そこに事業家としての先生の透徹した「自負」と「信念」を、私は若き心に深く感じとった。
12  真名女は、絶対の危機に向かうにさいし、すべての虚勢と背伸びを捨てた。将兵にも領民にも、ありのままの現状と決意を語る。そして、″堀″を造るにも領民と一緒に、みずから泥だらけになって働く。まさに一心不乱であった。
 領主の妻の、飾らない姿。赤裸々な真剣さ。これが、人々の胸を打った。臣下はもちろん、領民の婦人、子どもまでも心を一つにまとめ、結束した。ここから、城の外も内も一体となった完璧なチームプレーが生まれ、あらゆる知恵が発揮されていく。そして、ついに彼女は、城を守りぬくのである。
 口先だけの指導者に、民衆の信頼はない。号令、命令だけの幹部には、周囲も不信と疲れが増大するだけである。
 つねに先頭に立つ、率先垂範のリーダー。いつも真摯にベストを尽くす指導者。そのもとに真の「団結」は生まれ、勝利への歯車の「エネルギー」と「回転」が生じていく。
 真名女の話は、作者の創作が加えられているとはいえ、その真実を盤飛に語りかけていると思う。
 虚栄や策、慢心を捨てた「謙虚な心」。これほど強いものはない。最終的に頼りになるものはない。
 「謙虚な心」には、余裕が生まれる。「傲れる心」には、あせりのみがつのる。
 「余裕の人」は、自分を客観視し、そこから知恵が生まれる。信頼と安心感をはぐくむ。ゆえに勢いが出る。「あせりの人」は、正確に物事を見ることができない。愚痴と不安を育て、周囲には迷いばかりが増す。ついには自分をも見失ってしまう。自分が見えなくなった人に、本来の自分の力も、他人の力も引き出せないのは当然である。
 ありのままの自分となって、「十のものを十だけ出しきっていく」。その必死の「一人」に、信望は集まり、強固な結束が生まれる。そして、不敗の勝利チームが形成されていく。
 だが、もてる「十を出しきる」ことは、決して容易ではない。人間は、どこかで、力を抜き、余力を残しているものだ。それこそ命がけの必死の戦いでなければ、本当の爆発力は出てこない。
13  信心とは″手抜き″しないこと
 ある意味で、信心とは″手抜き″をしないことである。だれが見ていようといまいと、まただれが何を言おうと、自分は自分らしく全力を尽くしていく。そこに信仰者の強さがある。今日の学会の発展も、すべて「懸命な日々」の結実であり、勝利であった。
 私も、これまで、「まずみずから動く」「ベストを尽くす」「寸暇を惜しんで、働く」――率先してこの姿勢に徹してきたつもりである。(拍手)
 策や要領のみの人生は、結局は行き詰まり、みずから墓穴を掘るであろう。人生と一念を、まっすぐに広布へ向け、ひたすら行動していくところに、最高の充実と満足がある。限りなく力がわいてくる。
 ともあれ、本当の「自分」を発揮している人は、美しい。輝いている。また着実に勝利の人生を築いている。
 最後に、申し上げたい。世界の憧れの京都は、広布の前進にあっても「世界一の京都」であっていただきたい(拍手)。その京都で生き、舞い、歴史をつづられている皆さま方である。どうか、幸福に輝く世界第一の「心の皇帝」であっていただきたい(拍手)。そう申し上げ、本日のスピーチを終わらせていただく。
 (京都平和講堂)

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