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四条金吾殿御返事  (1/2) いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつ…
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四条金吾殿御返事

去月二十五日の御文・同月の二十七日の酉の時に来りて候、仰せ下さるる状と又起請かくまじきよしの御せいじやうとを見候へば優曇華のさきたるをみるか赤栴檀のふたばになるをえたるか、めづらし・かうばし、三明六通を得給う上・法華経にて初地・初住にのぼらせ給へる証果の大阿羅漢・得無生忍の菩薩なりし舎利弗・目連・迦葉等だにも娑婆世界の末法に法華経を弘通せん事の大難こらへかねければ・かなふまじき由・辞退候いき、まして三惑未断の末代の凡夫が争か此経の行者となるべき、設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき、中中・信ぜざらんはよかりなん・すへ・とをらずしばしならば人に・わらはれなんと不便にをもひ候いしに、度度の難・二箇度の御勘気に心ざしを・あらはし給うだにも不思議なるに、かく・おどさるるに二所の所領をすてて法華経を信じ・とをすべしと御起請候事いかにとも申す計りなし、普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思し食して妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首・上行等の四人にこそ仰せつけられて候へ・只事の心を案ずるに日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか、彼の御内の人人うちはびこつて良観・竜象が計ひにてや・ぢやうあるらん、起請をかかせ給いなば・いよいよかつばらをごりて・かたがたに・ふれ申さば鎌倉の内に日蓮が弟子等一人もなく・せめうしなひなん、凡夫のならひ身の上は・はからひがたし、これを・よくよく・しるを賢人・聖人とは申すなり、遠きをば・しばらく・をかせ給へ、近きは武蔵のかう殿・両所をすてて入道になり結局は多くの所領・男女のきうだち御ぜん等をすてて御遁世と承わる、とのは子なし・たのもしき兄弟なし・わづかの二所の所領なり、一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・


ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん、設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし。

日蓮はながされずして・かまくらにだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん、此れも又御内にては・あしかりぬべければ釈迦仏の御計いにてや・あるらむ、陳状は申して候へども又それに僧は候へども・あまりのおぼつかなさに三位房をつかはすべく候に・いまだ所労きらきらしく候はず候へば・同事に此の御房をまいらせ候、だいがくの三郎殿か・たきの太郎殿か・とき殿かに・いとまに随いて・かかせてあげさせ給うべし、これはあげなば事きれなむ・いたう・いそがずとも内内うちを・したため・又ほかの・かつばらにも・あまねく・さはがせて・さしいだしたらば若や此の文かまくら内にも・ひろうし上へもまいる事もやあるらん、わざはひの幸はこれなり。

法華経の御事は已前に申しふりぬ、しかれども小事こそ善よりは・をこて候へ、大事になりぬれば必ず大なる・さはぎが大なる幸となるなり、此の陳状・人ごとに・みるならば彼等がはぢあらわるべし、只一口に申し給へ我とは御内を出て所領をあぐべからず、上より・めされいださむは法華経の御布施・幸と思うべしと・ののしらせ給へ、かへすがへす奉行人に・へつらうけしきなかれ、此の所領は上より給たるにはあらず、大事の御所労を法華経の薬をもつて・たすけまいらせて給て候所領なれば召すならば御所労こそ又かへり候はむずれ、爾時は頼基に御たいじやう候とも用ひまいらせ候まじく候とうちあて・にくさうげにて・かへるべし。

あなかしこ・あなかしこ・御よりあひあるべからず、よるは用心きびしく夜廻の殿原かたらいて用ひ常には・よりあはるべし今度御内をだにも・いだされずば十に九は内のものねらひなむかまへて・きたなきしにすべからず。

  建治三年丁丑七月                  日蓮花押

   四条金吾殿御返事


四条金吾殿御返事

                    建治三年 五十六歳御作

御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけ・とをき道をかへりたるがごとし、夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり、中にも天竺をば月氏という我国をば日本と申す一閻浮提・八万の国の中に大なる国は天竺・小なる国は日本なり、名のめでたきは印度第二・扶桑第一なり、仏法は月の国より始めて日の国にとどまるべし、月は西より出で東に向ひ日は東より西へ行く事天然のことはり、磁石と鉄と雷と象華とのごとし、誰か此のことはりを・やぶらん。

此の国に仏法わたりし由来をたづぬれば天神七代・地神五代すぎて人王の代となりて第一神武天皇・乃至第三十代欽明天皇と申せし王をはしき、位につかせ給いて三十二年治世し給いしに第十三年壬申十月十三日辛酉に此の国より西に百済国と申す州あり日本国の大王の御知行の国なり、其の国の大王・聖明王と申せし国王あり、年貢を日本国にまいらせし・ついでに金銅の釈迦仏・並に一切経・法師・尼等をわたし・たりしかば天皇大に喜びて群臣に仰せて西蕃の仏を・あがめ奉るべしや・いなや、蘇我の大臣いなめの宿禰と申せし人の云く西蕃の諸国みな此れを礼す・とよあきやまとあに独り背やと申す、物部の大むらじをこし中臣のかまこ等奏して曰く我が国家・天下に君たる人は・つねに天地しやそく百八十神を春夏秋冬に・さいはいするを事とす、しかるを今更あらためて西蕃の神を拝せばおそらくは我が国の神いかりをなさんと云云、爾の時に天皇わかちがたくして勅宣す、此の事を只心みに蘇我の大臣につけて一人にあがめさすべし、他人用いる事なかれ、蘇我の大臣うけ取りて大に悦び給いて此の釈迦仏を我が居住のおはたと申すところに入まいらせて安置せり、物部の大連・不思議なりとて・いきどを