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日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

文京、北、板橋区記念支部長会 日々健康、無事故で

1988.11.11 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  真の仏法者は「生老病死」の勝利者
 菊花薫る十一月十八日の「創価学会創立記念日」を前にして、ますます福運に包まれゆく支部長、婦人部長の皆さま方と、広宣流布のために語り合えることは、私にとって無上の喜びである。私は、日夜、広布の第一線で活躍されている皆さまに、″毎日、本当にご苦労さまです″と申し上げ、その労を心からたたえたい。
 本日、まず、皆さまにお願いしたいことは、くれぐれも健康や事故などに留意していただきたいという事である。一年のうちでも、特に十月から翌年二月末までの間は、病気になる人が多い時期といわれる。また、火災や交通事故も増加する季節でもある。
 尊い広布の使命に生きゆく大切な皆さま方が、ちょっとした不注意や無理から、病気や事故や火災で苦しむようなことがあっては絶対にならない──そんな思いから私も、交通事故がないように、火災が起こらないように、そして皆さま方がいつも健康で、はつらつと人生を歩んでいけるようにと、日々真剣に、御本尊に御祈念している。
 真の幸福と安穏は、身近な生活のなかにこそある。そのための御本尊への強い祈りと生活上の十分な注意を決して怠ってはならない、と申し上げておきたい。
2  入信してまだ間もない、昭和二十三年の秋ごろだったと記憶している。私は、戸田先生の法華経講義を受けるにあたって、東京・神田の古本屋で「法華経」の本を買い求めた。今でもその本は、青春時代の宝物として、大事にとってある。
 読み始めた当初は、難解だったが、読み進むうちに、″ああ、これは素晴らしい言葉だな″と感じたところがあった。それは、大変に有名な「譬喩品第三」の一節で、次のような文である。
 「三界さんがいやすきことなし なお火宅かたくの如し 衆苦しゅく充満して はなは怖畏ふいすべし常に生老病死の憂患うげん有り かくの如き等の火 熾然しねんとしてまず」(妙法華経並開結二三三㌻)──この世界は安らかではなく、燃えている家のようなものである。多くの苦しみにみちみちており、とても恐ろしく、常に生・老・病・死の憂いとわずらいがある。このような火が燃えさかっていて、やむことがない──。
 この文を読んで、私は″ああ、そうだな。その通りだな″と、思わず相づちを打った。終戦直後という時代状況であったからかもしれない。個人においても国家においても、また世界においても、この文の通りであった。まさに「衆苦充満」の様相を呈していた。
 そして、「こうした苦しみから人間を解放し、困難を解決しゆく仏法ならば、一生をかけてみよう。戸田先生は、この仏法のために、人類の平和のために牢にまで入られた。自分も、仏法の探究者として、どこまでも生き抜こう」──こう私は決意し、立ち上がった。
 青年のみずみずしい心に描いた真実の理想は、若き日の苦闘の思い出とともに深く深く生命に刻まれ、今も私の胸の奥に、高らかに鳴り響いている。
 以来四十星霜──。胸部疾患など、昔から体が弱く、三十歳まではもたないだろうといわれたが、広布の道をひたすら走り続けて、間もなく六十一歳。ここまで生き、戦ってこられたのは、妙法の力用のゆえか、まさに不思議といわざるをえない。
 真の仏法者は、″生老病死の勝利者″である──私はその確信を貫き通してきたつもりである。私には、毎日が真剣勝負であった。「臨終只今」の日々であった。″たとえ、きょう死んでもよい″との決意の法戦であった。この素晴らしき妙法に生き抜いてきた私の人生には悔いはない。
3  妙法のナイチンゲールの尊き使命
 学会には、ドクター部、白樺会、白樺グループという、医師、看護婦さん等の立場で活躍されている方がたくさんおられる。病に悩む人々とじかに接し、生命を守りゆく仕事は、並大抵の心構えではできるものではない。的確な判断と冷静な対応、そして何より忍耐と慈愛に貫かれた人格が要請される職業だといえよう。
 その意味から、どのような仕事にもそれぞれの使命と役割があるが、特に私は、妙法を持ち、医療の現場にたずさわる方々の献身と労苦に、心から敬意を表したい。
 白樺グループのリーダーの話が心に残っている。
 かつて自身の将来と広宣流布への使命について真剣に考えた時、「ともかく、生命がこの世で一番大切である。生命を守りきっていく妙法はさらに大切である。その妙法流布に励む方々を守りたい」と思った。そして、自分は″無名のナイチンゲールになろう″″「妙法の看護者」として、この一生を捧げよう″と心に決めたという。
 今も変わらぬ、その姿には、生命を慈しむという、自らの使命に生き抜こうとの健気けなげな決意があふれている。この話を聞いて私は、「ああ、偉いな」と思った。名誉や地位や見栄みえからではない。地涌の使命を果たしゆかんとする澄んだ信心の輝きを感じた。彼女のもとで、どれほど多くの人が励まされ、多くの後輩が育っていったことか──。
 ある時、彼女と話した際、彼女は、以前に読んだ医療に関する本のことを感動を込めて語り、その内容をメモにしてくれた。本日の会合には、やや頭が光をおびてきた方や、太りぎみの方で、成人病にかかりやすい年齢に入った方もおられるので、大切な皆さま方の健康を守るという意味からもこの本について紹介しながらお話ししたい。
 なお、その際のメモをそのまま使わせていただくので、多少、本との表現の違い等があるかもしれないが、どうかご了承願いたい。
4  その本は『外科東病棟』(江川晴著、小学館刊)。死にゆく人々を対象とする「終末看護(ターミナル・ケア)」に携わる一看護婦の体験と心理をつづった小説である。ここには、看護婦の目にうつった医療、看護の在り方、医師の姿等が映し出されている。本書は、フィクションとしてまとめられたものであり、また、現時点のターミナル・ケアの在り方からみれば、様相の違う点もあるとは思うが、この物語を借りて、看護の本質の一端を考えてみたいのである。
 医学はますます進歩をとげ、医療技術も、日々、高度に機械化し、発達している。しかし、重病の患者が「死」の恐怖におののき、心身の「苦痛」に呻吟しんぎんするといった現実には、何の変わりもない。
 「死」という厳粛な事実を前に、医療に従事する者として何を成しうるのか──。本書は、医師よりは一歩、患者に近い存在である看護婦が、様々な葛藤かっとうを経験しながら、死にゆく患者の看護はいかにあるべきかとの大問題に、真摯しんしに取り組む姿を描いていく。そして、単に医学的なターミナル・ケアの在り方のみならず、人間の生とは何か、生命の尊厳とは何か、といった人生の重要課題に鋭く迫っている。
5  物語は、主人公・高樹亜沙子が看護短大を卒業し、正式の看護婦としてスタートするところから始まる。
 看護短大には入ったものの、当初、亜沙子は医療の道を歩むつもりはなかった。かつて、父が入院したさい、医師・看護婦のあまりにも傲慢ごうまんな態度に触れ、幻滅した体験があるからだ。しかし、卒業を目前にした三年生の実習で、「ガン末期患者の看護」というテーマを与えられ、二人の重症患者と触れ合うことで、転機が訪れる。
 症例研究の対象として、亜沙子がまず紹介されたのは、六十六歳の結腸ガンの末期患者であった。彼は、呼吸困難にあえぎ奇声を発し、ただ、恐怖と苦痛に、もだえ苦しんでいる。患者と言葉を交わすことすらできず、看護計画も立たない亜沙子の頭は、ただ混乱するばかりであった。精いっぱい、努力はしても、うまくいかず、ついには患者の手をにぎり、背中や足をさするだけしかすべがなかった。その患者が、実習五日目で死ぬ。その直前、壮絶な死との戦いのなかで、「がくせいさん、ありがとな」と言ったように思われた。それは声にならず、口の動きだけであったが、亜沙子には、はっきり分かるような気がした。それが、最初で最後の亜沙子への反応であった。
 亜沙子は、身が引き締まるような感動を覚えるとともに、「人間が死を迎えるその瞬間とき、そこは何人なんびとといえども立ち入ることのできない聖域であること」を実感するのであった。
 自身の「死」を見つめ、それに対峙たいじできるのは、ただ自分だけである。「死」は、決してごまかしのきかぬ人生の総決算であり、赤裸々な「一生」のあかしである──。
 私どもから見れば、価値ある「生」を生ききったか否か。妙法流布という至上の生き方を貫いたかどうか。それは例外なく、「臨終」の姿に如実に現れる。ゆえに、信心だけは、まじめに、真剣に実践していく以外にない──。それが、数千、数万の「死」に現実に触れてきた私の、偽らざる実感であり、結論である。
6  亜沙子が次に紹介されたのは、胃ガンが肝臓にまで転移し、手術不可能な状態の患者であった。彼にはさびしい影があり、ほとんど口もきかないのだが、そんな彼がある日、同室の患者も驚くほどの大声で怒鳴った。
 亜沙子は、すっかり動揺し、あれこれ悩んでいるうちに実習期間は終わる。が、偶然、廊下で倒れかかったその患者に出会い、彼を支えて病室まで連れていく。ふと見ると、顔をゆがめ、涙を流している。この人は「孤独と絶望にうちひしがれているのかもしれない」と亜沙子は思う。
 そうした亜沙子を見て、先輩の看護婦はいった。
 彼が「怒鳴ったのは、あなたが悪かったからではなく、やりどころのない苦悩を、あなただからこそ、ぶつけられたのかもしれない。(中略)そう思って自信をもちなさい。何かを、やってあげることだけが看護ではありませんから。相手からやられる、それに耐える。それも看護ではないかしら」と。
 そして亜沙子は、何も知らない自分が人に何かをしてあげようと考えたこと自体が思い上がりであったと気づき、素直に、看護婦になろうと決意するのである。
 人生の転機にあって、経験豊かな先輩の一言が、どれほど貴重か。また、苦しみのドン底にあって、頼れる先輩の存在ほどありがたいものはない。皆さま方も、何度かそう痛感した体験があるにちがいない。
 また、私どもの周りにも、人生の苦難につまずき、生命の病に悩む人が数多くいる。そのギリギリの苦悩にいる人たちに対し、人生の先輩として、確信ある指導・激励をしていくことは、いかに尊いことか。そのことを、よくよくわきまえ、さらなる慈愛の実践に邁進まいしんしていただきたい。
7  正看護婦となってからも、必死に看護した少年が亡くなるなど、亜沙子にとってつらく厳しい日々が続いた。
 その時も、彼女の苦しみを救ったのは、先輩看護婦のアドバイスであった。
 「ここへ来る看護婦の誰もが、自分の仕事は、病める人の援助をして、やがて生きる喜びを感じる世界に戻してあげることができる──そう信じて来るのです」
 「でも私たちは、しばしば、それとは正反対の、つまり死ぬほかはない運命の患者さんの介護もしなければならないのにショックを受けます。でも、実は、看護の中で、死に行く人に、愛と静穏(安息)を与えるくらい高度な看護はないのです」
 「人の死は、ある意味では自然の成り行きであるにせよ、どうせ死ぬのだから、どのような死に方をさせてもよい、というわけではないと思うの。その人にとって、最善の死に方を……と力の限り尽くすのが終末看護(ターミナル・ケア)の本質だと、私は思っているのです」
 「人の絶望の中で、死より深い絶望はありません。それを少しでもやわらげてあげるのが終末ケアという大切な仕事なのです」
 ともすると私たちは、何事も、物事の″よい部分″にしか目を向けないものである。たとえば看護婦であれば、医療はすべての人々に希望を与えられるものであり、医療に携われば、その使命におのずと貢献することができる、と。
 だが、現実は、そうした側面だけではない。同じ医療といっても、亜沙子が直面したように、絶望と悲嘆の繰り返しとなるような場合も少なくないのではあるまいか。
 看護婦だけではない。いかなる分野、仕事であっても、歓喜と生きがいに満ちた部分とともに、必ずや疑問や苦渋くじゅうを伴う側面があるものだ。しかし何事も、それに負けては、本来の使命は成就しえない。
 信心も、同じである。正法を受持したからといって、何から何まで楽しく、順調にうまくいくことなどありえない。むしろ、正法ゆえに、三障四魔が競い起こるのであり、困難と苦渋の道を勇んで進んでいってこそ、真実の歓喜、充実があることは、皆さまもご存じの通りである。
8  人の心、痛みをどこまで理解できるか
 また、物語には、ある企業の海外駐在員としてボストンへ派遣されることになった、国立大学出身の青年の話が出てくる。だが、彼には、網膜剥離もうまくはくりという疾患があった。会社の診療所の医師は「海外生活に適さず」と診断。ところが彼は他の病院を訪れ、「海外勤務に耐えうる」との診断書を得る。
 一年後、彼は、うつ病に苦しみ帰国。眼病もあって仕事に支障をきたし、精神的な不安を深めたことが原因であった。帰国後、一時、症状は安定し、結婚するが、半年後、再発。そして身重の妻を残して自殺する。
 この悲劇から著者は「たとえ肉体的には健康であっても、その人とのかかわりが、いつ、いかなる時でも、終末看護になり得る可能性とかなしみを秘めている」ことを強調している。
9  ガンの患者に、病名を知らせるべきかどうか。この問題の難しさを語るエピソードが、同書にも記されている。
 ″ガン告知主義″の立場に立つ医師が登場する。彼は肺ガン治療の権威とされている。
 彼は、ある会社のエリート社員に対し、ガンであることを告げる。その医師にしてみれば、″真実を教えてほしい″との患者の願いに応じただけのことであったかもしれない。しかし患者は、「何を言われても驚きません」と言ったものの、それ以来、目に見えて暗くなり、心身ともに元気がなくなっていった。
 そしてある日、治療の効果があがらないから、今の治療をやめたいと医師に訴えた。そう言うことで、彼は医師の反応をためしていたのであろうかと、看護婦は推量する。
 その時、もしも医師の温かい、確信のある激励があれば、″まだ希望がある″と気をとり直したかもしれない。
 しかし、その時、この医師は、吐きすてるように、こう言っただけであったと記されている。「あなたが希望しないのなら、治療は打ち切ります。ほかにやりようはありませんからな」──。
 患者が自分の意のままにならないと、冷たく突き放し、かえりみようともしない。患者に対する″絶対者″のごとく思い上がったみにくい振る舞いであった。
 自身の心がたかぶっていれば、人の心が素直に映るわけがない。人の心がわからなければ、その人のために何をしてあげればよいのか、わかるはずがない。「指導者は謙虚であれ」と、私が、繰り返し申し上げる理由の一つも、そこにある。
 医師の態度に、看護婦は呆然ぼうぜんとする。「たとえ、患者が治療をいやがったとしても、一応は医師として、それなりの説得をするべきだ」し、他の治療についても考えてあげるべきではないかと。
 かりに私どもの立場でいえば、信心しても功徳がなかなか出ないと相談されて、じゃあ勝手にしなさいと言っているようなものであり、考えられない行為である。
 本来、激励と指導によって、その人の一念を変えていくことがリーダーの使命である。一念が変われば、一切が変わっていくからだ。
 ゆえに、私どもは日夜、妙法の偉大さを説き、絶対の幸福へと人々の心を開くために、祈り、走り、心をくだいている。この学会の世界が、どれほど温かい人間愛に満ちていることか。他の社会の冷酷さや傲岸ごうがんさを知る人ほど、そのありがたさを実感している。また、このヒューマンな″ぬくもり″を、社会に大きく広げていくことが私どもの役割である。
10  さて、そのエリート社員は、自分がガンであると宣告されて以来、不眠が続き、うちひしがれた様子は、誰の目にも明らかになっていったという。
 同書には、こうある。
 「残された生涯を思いやっての病名告知のはずなのだが、告知後の精神的苦痛を支えるスタッフが用意されているかと言えば、『ノー』と言わざるを得ないのが、今の日本の医療界の現状である。たった一人の看護婦が一晩だけでも患者のベッドサイドに付き添うことすら不可能な状況の中で、『がん』だと告げられて、冷静にうけとめられる日本人がどれほどいるであろうか」
 私はガン患者に対して、どのような状況であっても病名を告げるべきではないと考えているわけではない。ただ、現今のように、治療をするに当たって、ガンであることを患者自身が察知してしまうことが多くなってきた以上は、この問題にも、さらに深い配慮が必要になってきていることも事実である。
 しかし、たとえガンを告知するにせよ、状況を見守るにせよ、人間に生きる希望と意欲を与える″何か″を十分に持たず、安易に患者や家族に重荷を押しつけるのみの結果となっては、あまりにも無慈悲といえよう。医療者として心せねばならない重要な課題ではなかろうか。
 ところで、看護婦は心の中で思ったという。「患者にならなければ患者の真実の痛みは分からない」「まして、苦悩を背負う患者の心を理解するなどまったく不可能だ」と。
 その通りであろう。ゆえに広げていえば、指導者として「苦労こそ財産」なのである。さまざまな経験を重ね、その人生体験の深さが、人の心を理解する深さに直結している人こそ、「人間の指導者」の要件を備えた人である。
11  生命への慈愛こそ″看護の心″
 絶望の底にいる患者に一通の手紙が届いた。アメリカにいる弟からの見舞いの手紙であった。患者に希望がよみがえった。弟の住むアメリカに行きたい──。希望が、つらい治療に立ち向かわせる気力を彼に与えた。
 人間の生命力を強めるもの。それは「希望」であり「確信」である。そして、励ましとともに、具体的な「目標」を持てるよう配慮していくことが、どれほど大きな力を引き出すことになるか。そのことは皆さま方も経験上、よく、ご存じの通りである。
 彼のアメリカ行きに対し、医師も、検査の結果がよかったため、了承を与える。患者夫妻の喜びは大変なものであった。
 そんな折、その医師は突然、治療法を変更した。しかも、患者が納得いくような十分な説明のないままに──。看護婦は心配だった。「医師が途中で治療方針を変える場合、前もって患者に納得のいく説明が必要不可欠なのである。それを省いて、次々と変更するのは、患者の信頼を裏切ることになりはしないか」と。
 「納得」──いかなる場合でも、これこそが力である。納得は確信を与え、独断は不安と不信を与える。納得は心の交流を生み、押しつけは互いの心を断させる。納得すれば、人は自ら行動を起こし、工夫を始める。たとえ正しいことでも、納得できない限り、やる気も出ないし、能力も十分に発揮できない。
 ゆえに、指導者が安易に方針を変えることは、厳しく戒めるべきである。
12  患者は再び心を閉ざして、口数も少なくなっていった。
 やがて渡米の手続きも終えた。書類を見て、やっと彼に笑顔が戻ってきた。
 しかし、一度は賛成したはずの医師は、「飛行機の中で何かあったら、自分が訴えられる」と言い出し、アメリカ行きを断念させてしまうのである。
 患者の心は、もう二度と開くことはなかった。これが、あくまで″自分のためを思っての処置である″と納得できたのなら患者の心がかたくなに冷えきってしまうことはなかったであろう。
 「患者に希望をもたせるのも、患者を絶望のふちへ追いやるのも、医師の言葉一つである」とある。心が心を冷やし、心が心を温める。私どもも、リーダーの一言の重みを、よくよく自覚しなければならない。
 患者は、その後まもなく死亡してしまう。一切の医療行為を拒否したままであった。
 それが、せめてもの医師への抵抗だったのだろうか、と看護婦は思う。彼女はその「勝ち誇ったような威厳にみちたデスマスク」を、いつまでも忘れることができなかった、と記されている。
13  「死」は社会的立場等に関係なく、その人の生命の本然の姿を表す。それはあまりにも厳格なほどである。ゆえに″人間として″″生命として″の自分が、どう磨かれているか、その一点が最重要の課題となる。それ以外の表面的な粉飾やおごりが、死の前に、いかに無力であることか──。
 次の挿話そうわも、そのことを物語っている。
 この″ガン告知主義者″の医師自身が、皮肉にも、ガンにかかってしまうのである。しかも、自分の専門分野である肺ガンであった。
 肺結核として入院し、治療していく中で、彼は自分の病状の異常に気づく。医師、看護婦達に詰問きつもんするが、彼らは懸命に、さとられないように努力する。
 そのうちに、彼は、本当の病名を言わないと、治療を断るとさえ言い始める。そのわがままさは、他の患者の比ではなかった。そんな彼の心をなごませ、開かせたのは、やはり看護婦の献身的言動であったという。
 ある時、看護婦は、こう語りかける。
 「人は、いつも死と隣り合わせで生きています。先生の前ですが、どんな名医でも、患者さんに対して、明日も、あさっても、一年後も二年後も、絶対に生きていられる、と断言できないのではないでしょうか」
 「私だって明日が分かりません。自動車を運転しておりますし、今夜にも事故を起こすかもしれません。先生、ですから私は思うのです」
 「二度とない今を、おろそかに生きてはならないんだと……。何事も一期一会いちごいちえだと……」。
 一期一会──一生にただ一度の出会いということである。仕事にせよ、人や出来事にせよ、一日一日、一回一回の出会いを、再びくり返せない、かけがえなき宝として、どれだけ大切にし、その価値を味わっていかれるかどうか。そこに無常の人生を充実させゆく道がある。
 必死の看護もむなしく、ついに患者は息を引きとった。とり乱し、母親の名を呼びながらの死への日々であったという。あとに一冊のノートがのこされていた。その中に、こう書かれていた。
 「がん告知について、自分の考えは軽率だった。(中略)なぜかと言えば、自分が、がんと知った時の衝撃は深刻きわまるものであった。その絶望感は、その後、何によっても救われることはなかったからである」
 「自分が心の迷いと苦しみを断ち切ることができたのは若いナース、高樹くんの傍若無人ぼうじゃくぶじんとも思える態度の中に、落ちこむボクを思い、必死で救いあげようとする捨て身のやさしさを見た時からだ。それ以後、ボクは、自分の学んできたものは何だったのか、医療はいったい誰のためにあるのかを、改めて深く考え始めたのである。
 清原くんの『一期一会』の言葉を聞いたのは、ちょうどそんな時だった。以来自分は、将来への未練を、やっと断ち切ることができた」
 最後の章には、こうあった。
 「がんの告知は重要な課題であり、単なる理想論に終わらせてはならなかった。告知後、患者の絶望感をどう救いあげるのか、早急に、そのための諮問しもん委員会や、専門スタッフのチーム作りを望みたい。これが私の切なる願いである」
 主人公の亜沙子は、ノートを読む声を聞きながら、さまざまな「生」と「死」に出あい、悩み、教えられてきた歩みが心に浮かんでくる。「そして何よりも、人間の尊い死にかかわる看護婦の光栄を思った」というところで、同書は結ばれていく。
14  以上、紹介させていただいたなかから、皆さま方の立場で何らかの糧を得ていただければ幸いである。
 学会にも、ドクター部、白樺会、白樺グループの方々がいらっしゃる。その方々の尊き使命を、私はあらためて確認する思いであった。
 また、妙法によって人々を蘇生させている私どもは、いわば「生命の看護者」であり、「生命の医者」にも通じる。その意味から、指導・激励の在り方に、貴重な示唆を読みとることができよう。学会こそ日々「生命のターミナル・ケア」に献身している団体である。
15  終末介護が問う一人の命の重み
 ところで先日、創大生がいろいろとお世話になった北里大学病院の院長に、創立者として私は高村忠成学生部長に託してお礼の言葉を伝えてもらった。
 その折に病院長より、『医の心』と題する本を頂戴した。これは同病院の「医の哲学と倫理を考える部会」で昭和五十三年からの十年余に行われた講演をまとめたもので、これまで六巻にわたって刊行されている。
 ここには「医学の根底に正しき生命観と倫理観をおかねばならない」との主張が貫かれている。その中で特に切実な問題として取り上げられていたことの一つが「医師として『生命』・『死』の問題にいかに取りくむか。また実際に患者とどのように接していくか」ということであった。
 その中に収められているある講演では、ガンで亡くなった四十代の医学者の、闘病の際に作った詩が紹介されていた。
 ──「もし医師が不治の病を宣告する時
  その後の毎日を
  どうその患者と対決し会話を交わしていくつもりか
  それだけの人間的力量を
  はたして医師に期待してよいものか」──と。
 ここには″不治の病の告知″──患者に知らせるべきかどうかという、現代の大問題への大きな示唆が含まれている。とともに、実際に医療に携わった人間が死に直面した時、医療者の力の限界を痛感した言葉としてひときわ胸に迫ってくる。
 たしかに、医師や看護婦等が、ガン告知をした後に、どう患者をケアしていくかという問題に対して、医療関係者に十分な人間的力量がそなわっていれば、たとえ、患者がガンであると知っても、そのショックを乗り越えていくことができるであろう。
 とくに患者が、自分の症状に疑問を感じ始め、深い絶望とかすかな希望の間をゆれ動いている時こそ、医療関係者の人間的力量が最も重要になるのではなかろうか。
 その力量には、まず医学的に正確な判断が含まれる。医学的にみても、治療によって全治しうる初期のガンであるか、それとも末期に至ったガンなのか、たとえガンであることが患者や家族にわかるような治療の内容であっても、それを行うべきであるかどうか等の熟慮が要請される。
 その上に立って、家族の状況はどうか、社会における任務や仕事を残しているのかどうか等の、家族や社会との関連も考慮されなければならない。さらに患者の性格や生き方、これまでつちかってきた死生観、生命観が、ガン告知に耐えられるものか否か、たとえ告知するにしてもどのように誰から告知すべきか等の問題をも十分に考え合わせていかなければならない。
 そして、最も重要なことは、このような種々の条件を考慮するにあたって、医師や看護婦自身が、人間の生と死をどのようにとらえているのかという生死観、倫理観等がかかわってくることである。
 ゆえに医療関係者は、日々の診療のなかで、患者の死を自分自身の死としてひきうけ、死に直面する患者とともに悩み、苦しみつつ、そこから希望と安穏の臨終を勝ちとらせるための必死の努力が要請される。そして、医師や看護婦の死生観の基盤にこそ宗教、特に仏法の明示する死生観、死後観が、重要な役割を果たすものと思われるのである。
 ガン告知という視座からも現在では医療の根底に、正しき生命観、死生観を説き示す宗教が不可欠のものとして要請されるに至ったと感じるのである。
16  また別の講演では″医療者が患者と実際に会うこと″がいかに大切であるかが語られていた。そこには次のような例が挙げられている。
 ──ほぼ同じ条件にもかかわらず、新病棟の方が旧病棟とくらべ、鎮痛剤の使用量が三倍であることが分かった。どうして新病棟の方が多いのか。
 その理由は、新病棟では患者がボタンを押すと声だけが返ってきて看護婦がくることはない。一方、旧病棟ではベルだけなので、その都度、看護婦がきてくれる。つまり、声だけか、それとも実際に人間と接することができるかの違いに原因がある──というのである。
 現代は医療の技術が進み、医師は″技術者″としての側面も持っている。しかしその技術、知識の根本となるものはあくまで″患者の側に行き、患者の話をいて手をあてる(手当てする)こと″である──。
 こうした人間的触れあいは、機械化、技術化の進む現代社会の万般にわたる、切実な課題ともいえよう。そこに私どもの運動の必然性もある。同志に何かあれば、すぐさま駆けつけ、激励し、その人のために唱題していく──そうした麗しくも素晴らしいきずなで結ばれているのが私どもの世界である。
17  ″信心の長者″の連鎖は生々世々に
 さて、仏法で、心身の病苦を治す働きとしてあげられるのは「薬王菩薩」である。
 御本尊には「薬王菩薩」の生命も含まれており、御本尊に題目を唱えていくとき、我が胸中に薬王の生命が涌現し、病気と闘う力として働いていくのである。
 法華経薬王菩薩本事品では、薬王菩薩について次のように説かれている。
 まず、前段では、遠い昔、薬王菩薩(経文では前身の一切衆生喜見菩薩)は、日月浄明徳仏のもとで苦行をして、現一切色身三昧げんいっさいしきしんざんまい(一切の生あるものの姿を自由に現すことのできる境地)を得ることができた。その報恩のために、香油で満たした我が身を焼き、その光で広大な世界をあまねく照らし、香りを満たして供養とした。
 その後、薬王菩薩は、再び日月浄明徳仏のもとに生まれてくるが、仏の入滅にあい、今度は両臂ひじを焼いて火をともし、仏の遺骨(仏舎利)を供養した。
 そして、後段では、これらの焼身の供養より、法華経の受持、弘教の功徳の方がはるかに大きいことを明かし、万人の病気の″良薬″であるこの経を守護していくよう託するのである。
18  薬王品に「れ真の精進しょうじんなり。是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」(妙法華経並開結五九二㌻)──これこそ真の精進である。これを真の法をもって如来(仏)を供養すると名づける──とある。
 この文は、薬王菩薩が身を焼いて仏に供養したことを、諸仏が賛嘆して、述べたものである。
 日蓮大聖人は、御義口伝で次のように仰せである。
 「此の文は色香中道の観念懈ること無し是を即ち真法供養如来と名くるなり所謂南無妙法蓮華経唯有一乗の故に真法なり世間も出世も純一実相なり
 ──この文は「色香中道」の観念おこたることなし、つまり「一色一香も中道にあらざることなし」の御本尊に、つねに題目を唱え、念じきっていくことを、「真法をもって如来を供養す」と名づけるのである。いわゆる、南無妙法蓮華経は、法華経で説かれた「十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみり」の「一乗の法」であるから、経文にいう真法である。世俗の人も、出世間の僧も、まったく雑行をまじえることなく、等しく南無妙法蓮華経によって成仏していけるのである──と。
 さらに、大聖人は、薬王菩薩の「焼身焼臂しょうしんしょうひ」について御義口伝で、次のように仰せになっている。
 「所詮しょせん焼身焼臂しょうしんしょうひとは焼は照の義なり照は智慧の義なり智能く煩悩の身生死の臂を焼くなり
 ──所詮、経文に「身を焼き臂を焼く」とあるのは、焼は照の義であり、照とは、真理を明らかに照らし出す智を意味する。薬王の焼いた身とは煩悩であり、臂とは生死である。すなわち、妙法の智の火をもって焼き、煩悩即菩提・生死即涅槃ねはんと転ずるのである──と。
 まさに、この御文に仰せのごとく、生死の大海におぼれ、煩悩に束縛されたこの生命を、妙法によって、幸福へ、成仏へと転じ導いていく──心身の重病をいやし、消除しょうじょしていくのが、薬王の働きなのである。
19  戸田先生は、牧口先生の法難について、この薬王品を拝されながら次のように述べられている。
 「薬王菩薩本事品に、薬王菩薩が仏および法華経に、身を焼いて供養したてまつったのをほめていわく、
 『かくごとき等の種種の諸物をって供養すとも、及ぶことあたわざる所なり。仮使たとい国城妻子をもって布施すとも、また及ばざる所なり。善男子、れを第一のと名づく。諸の施の中にいて、最尊最上なり』(妙法華経並開結五九三㌻)と。(中略)
 先生は、法華経のために身命をなげうったお方である。法華経に命をささげた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう。先生こそ、仏に『諸の施の中に於いて、最尊最上』の供養をささげた善男子なり、とおほめにあずかるべき資格者である。愚人にほめらるるは智者の恥ずるところとの大聖人のおことばを、つねに引用せられた先生は、ついに最上の大智者にこそほめられたのである」と。
 さらに、戸田先生は、薬王品の「命終みょうじゅうの後に、また日月浄明徳仏の国の中に生じて、浄徳王の家にいて、結跏趺坐けっかふざ(足の表裏を結んで座す)して忽然こつねん(たちまち)に化生けしょう(生まれる)」(妙法華経並開結五九三㌻)の文を引き、牧口先生について次のように言われている。
 「法華経は一切現象界の鏡と、日蓮大聖人はおおせあそばされている。大聖人は妄語もうごの人にあらず、実語のお方である。ゆえに凡下ぼんげの身、ただ大聖人のおことばを信じて、この鏡に照らしてみるならば、(牧口)先生は法華経流布の国の中の、もっとも徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人ごじんに何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐばかりである」
 つまり、法華経の文、大聖人の御言葉を確信すれば、薬王菩薩の焼身焼臂の供養にも比せられる殉教の牧口先生は、王家の王子として、生まれてきておられるにちがいないと述べているわけである。
 同じ原理から、牧口先生とともに弘教の道に連なる妙法の同志は、生々世々、福運の″長者″として、功徳を受け、自らの願うところに生まれていくことができるといえよう。
 この三世にわたる妙法の長者の連鎖があるかぎり、世界の広宣流布は、着実に広がり、必ずや成就していくと確信してやまない。
 最後に、大切な広布の指導者である皆さま方の、ご健康とご多幸、ご長寿を心からお祈りし、私のスピーチとさせていただく。

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