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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻下  (50/52) 所詮焼身焼臂とは焼は照の義なり照は智慧の義…
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一 薬王品

御義口伝に云く此の品は薬王菩薩の仏の滅後に於て法華を弘通するなり、所詮焼身焼臂とは焼は照の義なり照は智慧の義なり智能く煩悩の身生死の臂を焼くなり、天台大師も本地薬王菩薩なり、能説に約する時は釈迦なり衆生の重病を消除する方は薬王薬師如来なり又利物の方にて薬王と云う自悟の方にては薬師と云う、此の薬王薬師出世の時は天台大師なり薬王も滅後に弘通し薬師如来も像法暫時の利益有情なり、時を以て身体を顕し名を以て義を顕す事を仏顕し給うなり、薬王菩薩は止観の一念三千の法門を弘め給う、其の一念三千とは所謂南無妙法蓮華経是なり云云。

一 妙音品

御義口伝に云く此の菩薩は法華弘通の菩薩なり故に卅四身を現じて十界互具を顕し給い利益説法するなり、是れ又妙法の妙音なれば十界の音声は皆妙音なり、又十界悉く卅四身の所現の妙音なり、又蓮華の妙音なれば十界三千の音声皆無染清浄なり、されば慈覚大師をば妙音の出世と習うなり之に依つて唐決の時・引声妙音をば伝え給えり何故有りてか法華を誹謗して大日経等に劣りたりと云うや云云、所謂法界の音声・南無妙法蓮華経の音声に非ずと云う事なし云云。

一 観音品

御義口伝に云く此の品は甚深の秘品なり息災延命の品なり当途王経と名く、されば此の品に就て職位法門を継ぐぞと習うなり、天台も三大部の外に観音玄と云う疏を作り章安大師は両巻の疏を作り給えり能く能くの秘品なり、観音・法華・眼目異名と云いて観音即ち法華の体なり所謂南無妙法蓮華経の体なり云云。


一 陀羅尼品

御義口伝に云く此の品は二聖・二天王・十羅刹女・陀羅尼を説きて持経者を擁護し給うなり、所詮妙法陀羅尼の真言なれば十界の語言・音声皆陀羅尼なり、されば伝教大師の云く「妙法の真言は他経に説かず普賢常護は他経に説かず」陀羅尼とは南無妙法蓮華経の用なり、此の五字の中には妙の一字より陀羅尼を説き出すなり云云。

一 厳王品

御義口伝に云く此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王邪見を飜し正見に住して沙羅樹王仏と成るなり、沙羅樹王とは梵語なり此には熾盛光と云う、一切衆生は皆是れ熾盛光より出生したる一切衆生なり、此の故に十界衆生の父なり、法華の心にては自受用智なり忽然火起焚焼舎宅とは是なり、煩悩の一念の火起りて迷悟不二の舎宅を焼くなり邪見とは是なり、此の邪見を邪見即正と照したる南無妙法蓮華経の智慧なり所謂六凡は父なり四聖は子なり四聖は正見・六凡は邪見故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。

一 勧発品

御義口伝に云く此の品は再演法華なり本迹二門の極理此の品に至極するなり、慈覚大師云く十界の衆生は発心修行と釈し給うは此の品の事なり、所詮此の品と序品とは生死の二法なり序品は我等衆生の生なり此の品は一切衆生の死なり生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり品品に於て初の題号は生の方終の方は死の方なり、此の法華経は生死生死と転りたり、生の故に始に如是我聞と置く如は生の義なり死の故に終りに作礼而去と結したり、去は死の義なり作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり、此の所作とは妙法蓮華経な


り、礼とは不乱の義なり法界妙法なれば不乱なり、天台大師の云く「体の字は礼に訓ず礼は法なり各々其の親を親とし各々其の子を子とす出世の法体も亦復是の如し」と、体とは妙法蓮華経の事なり先づ体玄義を釈するなり、体とは十界の異体なり是を法華経の体とせり此等を作礼而去とは説かれたり、法界の千草万木地獄餓鬼等何の界も諸法実相の作礼に非ずという事なし是れ即ち普賢菩薩なり、普とは法界賢とは作礼而去なり此れ即ち妙法蓮華経なり、爰を以て品品の初めにも五字を題し終りにも五字を以て結し前後・中間・南無妙法蓮華経の七字なり、末法弘通の要法唯此の一段に之れ有るなり、此等の心を失うて要法に結ばずんば末法弘通の法には不足の者なり剰え日蓮が本意を失う可し、日蓮が弟子檀那別の才覚無益なり、妙楽の釈に云く「子父の法を弘む世界の益有り」と、子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり世界とは日本国なり益とは成仏なり法とは南無妙法蓮華経なり、今又以て此くの如し父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子檀那なり世界とは日本国なり益とは受持成仏なり法とは上行所伝の題目なり

御義口伝卷下

  弘安元年戊寅正月一日                執筆 日興

御義口伝 終