Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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SGI研修会、全国県長会議 希望あるか、ぎり生命は若い

1999.7.4 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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2  大事なのは「奥底の一念」
 五十二カ国・地域の皆さま、研修会、本当に本当に、ご苦労さまでした。
 皆さまが遠路はるばると来日され、真剣な研修を重ねた栄誉と歴史と功績は、永遠不滅の大功徳となって、ご一家を、また皆さまの眷属を、厳然と包んでいくことは間違いない。
 目には見えなくとも、皆さまの胸には、生まれるたびに、偉大なる社会の大指導者となっていかれる“種”が植えられた。この事実を、晴れ晴れと確信していただきたい。
 県長会議の皆さまも、大変にご苦労さまです。
 御書には「摩訶止観」を引かれて、こう仰せである。
 「城の主たけければ守る者も強し城の主おずれば守る者おそ
 (城の主が強ければ、守る者も強い。城の主が、おじけづけば、守る者も恐れる)
 大事なのは、中心者の「奥底の一念」である。「強き強き信心」である。「祈り」である。それで、全部、決まる。
3  アメリカの作家・ラングブリッジ(1849~1923年)は言った。
 「牢獄から二人の男が外を見ていた。一人は、天上の『星』を見た。もう一人は、地上の『泥』を見た」星を見つめ、太陽を仰いで生きるのが、希望である。
 昔、こんな話を聞いた。ある国に、一卵性の双子がいた。ところが、一人は大教育者になり、一人は泥棒になってしまった。どうしてなのか。
 二人の家は貧しく、若いころ、一緒に家を出た。しかし、うまくいかず、金に困って、それぞれ別の家に泥棒に入った。
 一人は、そこで見つかって、監獄に送られ、ぐれてしまった。そして本物の泥棒になった。
 もう一人も、盗みに入った家で、同じように見つかってしまった。しかし、その家の人は、彼を「若いのだから、いくらでも、やりなおせる」と、温かく励ました。
 そして彼に職場を世話してやり、勉強するよう「希望」を与えた。そして彼は、「希望」に導かれて、教師となり、後輩にも「希望」を与え続ける素晴らしい先生になった。
 最低のところから出発した二人が、ひとりは「星」を見て歩み、ひとりは「泥」を見つめてしまったのである。
4  世界の友が来ておられるが、今、南半球では、厳しい冬である。
 しかし、「冬、きたりなば、春、遠からじ」(英国の詩人シェリー)である。
 「朝の来ない夜はない」(作家の吉川英二)
 「冬は必ず春となる
 「生命あるかぎり、希望はある」(スペインのセルバンテス)
 人間は、大いなる希望に生きるかぎり、いくらでも成長できる。ゆえに、何があろうとも、人生、あきらめてはならない。負けてはならない。
 わが胸の底には「春」がある。「朝」がある。「太陽」がある。頭を上げるべきである。
 希望は「生」。絶望は「死」。
 希望は「勝利」。あきらめは「敗北」である。
5  希望は『人生の最強の武器』
 私の友人であった「アメリカの良心」ノーマン・カズンズ博士(1912~90年)は、最後の著作を『希望の生命学』と名づけた。(『ヘッド・ファースト――希望の生命学』上野圭一・片山陽子訳、春秋社、引用・参照)
 希望の力が、体まで健康にすることを、医学的に証明しようとした話題作であった。博士は言う。
 「生きようという強い意志がからだのなかの製薬工場を活発に働かせる」
 戸田先生も、「人体は製薬工場」と言われていた。
 博士によると、生きようという「希望」の力によって、脳が体に命令を下し、「人体の化学兵器を駆使」して、病気と闘わせるのだという。
 「希望」こそが、生命の勝利への司令官なのである。「希望」は「人間の兵器庫にある最強の力」であり、「秘密兵器」なのである。
6  「笑い」も、痛みを和らげる「エンドルフィン」などの体内物質を活発に分泌させる。
 博士は、「薬はたいして愉快なものじゃない、だが愉快なことってのはたいした薬だ」(ジョシュ・ビリングス)という言葉も引いておられる。博士は言う。
 「私が医学校ですごした過去一〇年間に学んだことのなかで何にもまして大きなことは、患者を元気づけ、自信を回復させてやることがいかに大切かということだった」
 それは、その場しのぎの慰めではない。
 「文字どおり命がけの闘いのために患者のもつすべての力、すべての資源を呼び集める方法なのだ」「内なる薬局に活気を与え、さかんに仕事をさせるのが、ほかでもない、自信と希望なのだ」と。
 こんな実験をした。ちょっと血液を注射で採ってみる。そして五分後に、もう一回、血液を採る。その、たった五分間に、何を考えたかで、血液の中の「免疫物質」が変化する、というのである。
 つまり、心の中で、この世に起きうる「最高に素晴らしい出来事」を思い描いた場合は、免疫の力が活性化して、病気への抵抗力が強まっている。
 反対に、暗く、希望のないことを考えていた場合は、免疫の力が落ちている。多くの人に、同じ結果が出たという。
 孤独感や、慢性的なストレスに耐えている人は、病気と闘う「免疫」の力が弱くなっていく。「自分はひとりじゃないんだ」という喜びをもっている人は、免疫の力が活発になっている。
 ゆえに、友に声をかけていただきたい。人に希望を贈る人は、自分も希望がわく。
7  自分の身で証明「心と体は不二」
 また「肥満」との関連で、よく話題になる「コレステロール」も、八〇年代までは、日常の食事だけが原因とされてきた。しかし、最近では、心情的なストレスも原因になっていることが、わかってきた。
 試験前の学生や、納税の締め切りが迫ってきた会計士は、「コレステロール」値が増える。いわば、純粋に肉体的な病気もなければ、純粋に精神だけによる病気もない――仏法の色心不二の生命哲学に通じる発見であった。
 こうした事実を、博士は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の医学校で研究された。博士自身が、少年時代に肺結核を乗り越え、五十歳で「膠原病」という大変な難病を乗り越えた体験を、もっておられる。机上の理論ではなく、「必ず勝つ」と決めた心の偉大さを、身をもって証明されたのである。
8  勇気を出せば、道は開ける。
 「希望が心を再燃させ、めざましく新しいエネルギーをつくり出し、真の成長にいたる新しい段階に私たちを駆り立ててくれる」
 「自分が人間であることに気づくのは夢に向かって進んでいるときだ」と博士は言う。
 その通りと思う。戦っているとき、そのときだけ、人間は人間になる。戦いを忘れたら、堕落し、動物のようになっていく。希望も、戦いから生まれる。努力から生まれる。
 博士は言われた。
 「たとえゴールにたどりつく見込みのないときでさえ、はるか遠くを目指して行くほうが、前進することをあきらめてしまうよりどれほどいいだろう」
 「人生において死は最大の不幸ではない。最大の不幸は、さらなる成長の可能性を発見できずに死ぬことである」
 どうせ自分は、こうなんだ。どうせ自分の人生は、これが限界なんだ――いったい、そんなことを決めつける根拠が、どこにあるのか。
 人間は「小宇宙」である。「希望」あるかぎり、いくらでも大きな自分になれる。
9  堂々たる「大殿堂の自分」を築け
 七月は、不思議な月である。日蓮大聖人が「立正安国論」を上呈された月(七月十六日)。牧口先生、戸田先生が、そして私が「入獄」した月でもある。また戸田先生と私が「出獄」したのも七月である。
 私が牢獄に入ったのは1957年(昭和32年)。その年の、戸田先生の「年頭のことば」は何であったか。それは、「希望」であった。
 「過去の偉人をみるのに、人生の苦難、人生の怒涛にも負けずに、凡人よりみれば、夢としか思えぬ希望を守り続けてきているのである。いな、その希望に生ききって、けっして屈しないのである。
 その理由は、希望それ自体が、自己の欲望や利己的なものでなくて、人類の幸福ということが基本的なものになっており、それが非常な確信にみちていたからではなかろうか。
 われらが御本仏・日蓮大聖人は、御年十六歳にして人類救済の大願に目覚められ、かつまた宇宙の哲理をお悟りあそばされていらい、三十二の御年まで、その信念の確証を研纂あそばされて後、御年六十一歳のご涅槃の日まで、若きときの希望、若きときの夢の一つも離すことなく、生活に打ち立てられたことは、じつに、すさまじい大殿堂を見るがごときものではないか」(『戸田城聖全集』3)
 そして戸田先生は、「老いたるにもせよ、若きにもせよ、生活に確信ある希望をもち、その希望のなかに生き抜いてもらわなければならない」「その希望に生き抜く生命力は、御本仏・日蓮大聖人の御生命である人法一箇の御本尊にあることを銘記すべきであろう」と。
10  ”戦う信心”になかに仏界がある
 御本尊こそ「希望」の無限の源泉である。日蓮仏法は「希望の仏法」なのである。
 思えば、日蓮大聖人が御本尊を初めて図顕なされたのは、竜の口から佐渡へという大難のさなかであった。
 命におよぶ迫害のなかである。流罪された、いわば牢獄の中である。
 「もっとも希望のない」牢獄のなかで、「全人類に希望を与える」御本尊を御図顕された。ここに意味がある。
 立派に飾った大寺院のなかで、御本尊を認められたのではない。贅沢三昧のなかで、権威のために認められたのではない。大迫害のなかで、それでも「広宣流布」という「大いなる希望」を太陽のごとく燃やし、その「戦い抜く精神」の魂魄を、御本尊に込められたのである。
 「日蓮がたましひすみにそめながして」と仰せである。大聖人の「広宣流布への魂」を込められた御本尊なのである。
 ゆえに、厳しく言えば「広宣流布への信心」をなくした人間には、御本尊と本当の感応はない。大聖人が「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と言われている通りである。「戦う信心」のなかに「御本尊」が、おわします。「仏界」がある。「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」である。
 戸田先生も、獄中では御本尊はなかった。しかし「広宣流布へ戦う信心」があった。ゆえに、獄中で悟りを開かれた。
 反対に、御本尊があっても、「信心」がなければ、なんにもならない。
 日寛上人は、「観心の本尊」の「の」の一字を、ご自身の「形見」と思えとまで言われた。「これだけは忘れるな!」と。(「日詳聞書」に「のの一点は最大事の中の大事なり〈中略〉返す返す日寛が形見として汝等信心に之を伝へよ」とある)
 大聖人の御本尊は、あくまで「観心の本尊」なのである。「観心の本尊」とは、端的に言えば「信心の本尊」である。(大聖人の仏法では「受持即観心」であり、御本尊を受持する「信心」が即「観心」となる。ゆえに「観心の本尊」とは「信心の本尊」と言える)
 それを忘れ、「信心」を忘れ、「広宣流布」を忘れた悪人とは、断じて戦わなければならない。
 大聖人は、「法に背いた人間を責めずして、成仏を願うのは、『火の中に水を求め、水の中に火を求める』ようなものである」(御書1056㌻、通解)と、厳しく仰せである。
11  いつも前を見よ! 年ごとに元気であれ
 あの獄中で、私はユゴーを読んだ。ユゴーも、無実の罪で流罪された。ユゴーいわく。
 「わたしの考えは、いつも前進するということです。もし神が人間の後退をお望みならば、人間の頭のうしろに目を一つだけおつけになっていたでしょう」(『九十三年』下、榊原晃三訳、潮出版社)
 しかし、人間の目は、厳然と「前に」ついている。ゆえにユゴーは「つねに、夜明けのほうを、開花のほうを、誕生のほうを見ようではありませんか」(同前)と叫んだのである。
 前へ前へ、年ごとに、いよいよ元気になっていく皆さまであっていただきたい。
 御聖訓には、指導者が健康になっていく姿を「年も若くなり・色も盛んに・魂もいさぎよく・力もつよ」と表現しておられる。
 (年も若くなり、姿にも勢いがあり、魂も勇敢で、力も強く)
 また、「身の力・心のはかり事・先先には百千万ばいこへたり」と言われている。
 (体の力も、心と頭脳の働きも、その前より百千万倍、よくなった)
 指導者がはつらつとしていれば、周囲の人々も勇気がわく。更に、「外からの信頼」も勝ちとっていける。どうか「健康第一」で、よく睡眠をとって、疲れをためずに、「生命の威光勢力」を倍増していっていただきたい。
12  「地球時代にふさわしいのは仏教」
 最後に、識者の一つの証言を紹介したい。
 「比較神話学」の第一人者であったジョーゼフ・キャンベル博士の「最晩年の言葉」である。全世界、古今東西の神話・思想を比較し、研究した結論であった。
 「世界が変わると、宗教も変わらざるをえないのです」「現代は境界線がありません。今日価値を持つ唯一の神話は地球というこの惑星の神話ですが、私たちはまだそういう神話を持っていない。私の知るかぎり、全地球的神話にいちばん近いのは仏教でして、これは、万物には仏性があると見ています。重要な唯一の問題はそれを認識することです」(J・キャンベル、B/モイヤーズ『神話の力』飛田茂雄訳、早川書房)
 「神話」とは「思想」と同じ意味で使われている。
 万人に「自分自身の仏性に目覚めさせる」。
 万人に「自分自身の無限の可能性に気づかせる」。
 万人に「限りなき希望の源泉を教える」。
 それが、世界広宣流布の運動である。それを二十一世紀は待っている。この「希望の太陽」が昇るのを、こがれるようにして待っている。それを昇らせるのが、私どもである。
13  尊き皆さまに、記念の句を贈らせていただきたい。
  共戦譜
    共に共にと
      三世まで
  
  たどりつく
    先は仏界
      多宝城
 私も、いよいよ世界を駆けめぐります。また、お会いしましょう! お元気で!(創価文化会館ほか)

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