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日蓮大聖人・池田大作

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創価中学・高等学校第27回入学式、関西… 「なぜ」と問い続ける好奇心を

1994.4.8 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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5  「人間」ならば「前へ!」「前へ!」
 女史は問いを続ける。
 ――なぜ、人を見くだすのか?
 人間は平等であり、助けあうものである。それなのに、多くの学生は、少しばかり学問があるからといって、自分は特別な人間だといばっている。学問のない貧しい庶民とは、かかわろうともしない。それどころか、あざ笑っている。
 私は問いたい。「何のため」に教育を受けているのか――と。
 「何のため」――校歌にこめられた学園の精神と同じである。
 「何のため」という、たしかな原点がある人は強い。この一点が定まっていれば、人生に迷わない。苦しくても、へこたれない。まっすぐに伸びていける。
 鄧女史は、みずからの青春の誓いのままに、人民のために、人民とともに、八十八歳の生涯を生きぬき、戦い続けた。(金鳳『鄧穎超伝』人民出版社を参照)
 皆さんも、ひとたび決めたわが理想を貫く、勇気ある人生を生きぬいてほしい。そのための原点を、この学園で築いていただきたい。(拍手)
 最後に、皆さんに、フランスの文豪ユゴーの言葉を贈りたい。
 ユゴーといえば、ブラスナー博士ご夫妻が寄贈してくださったすばらしいブロンズ像が、創価大学にある。トルストイ、ホイットマンの像も贈ってくださった。いずれも私が青春時代から愛読してきた文豪である。(=創価女子短期大学にはキュリー夫人の像を寄贈)
 さあ、前進しよう! ュゴーは呼びかける。
 ――人間の眼は、頭の後ろにはついていない。これは人間が、本来、前へ進むべきことを意味する――と。
 「わたしの考えは、いつも前進するということです」「つねに、夜明けのほうを、開花のほうを、誕生のほうを見ようではありませんか」(『九十三年』榊原晃三訳、潮出版社)。前進こそ、また進歩こそ、人間の証明である。一歩でも二歩でもよい。一ミリでもニミリでもよい。一日一日、かならず前ヘ進む。その人が「勝利の人」である。「栄光の人」である。
 冒頭に紹介した学園の先輩も、私がかつて揮豪して贈った「勝利者とは、前にむかって、最後まで努力しぬいた人の証である」という一言を励みに、がんばってきたと手紙につづってあった。
 どうか、これからの三年間、また六年間、「前へ、どこまでも前へ」を合言葉に、自分自身の黄金の歴史を創りあげていただきたい、と申し上げ、私のお祝いのスピーチを終わります。おめでとう!

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