Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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如医善方便。為治狂子故。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
6  諸の苦患を救う仏の強き約束
 ところで、あの「良医病子の譬え」の結末はどうだつたか、ここで思い出してほしいのです。
 良医である父が亡くなったと思った子どもたちは、悲しみの中で目を覚まし、父の遺していった良薬を服し、毒による病が癒えた。それを聞いた父が戻ってきて、子どもたちとめでたく再会した、という場面で幕を閉じていました。これは、何を意味するのでしょうか。
 結論すれば、釈尊の教え(良薬)を素直に信受する(服する)時、民衆の心に仏(良医)が戻ってくる(帰ってくる)ということです。われわれで言えば、御本尊への強盛な信心を貫けば、仏の生命が必ず涌現するという仏法の大功徳が述べられているのです。もともとなかったものが、突如として現れるのではない。本来あった仏の生命があふれでくるのです。蘇生です。再発見です。生命のルネサンスです。
 戸田先生は、この「我亦為世父 救諸苦患者」の経文について、「これは大御本尊のお言葉ととっていいのであります。我とは大聖人、御本尊のことであります。もろもろの苦患を救う者であると約束せられていますから、自我偈を読むときには、この、お約束を強く感じなければならないのであります。御本尊は、いろいろな憂いや苦しみのある者をば、かならず救ってくれるのだと、信じきってさしつかえないのであります」(『戸田城聖全集』5)と講義されています。
 御本仏の厳然たる御約束なのです。ゆえに私どもは、何があろうと・なかろうと、まっすぐに、「柔和質直」の信心で、進んでいけばよいのです。そこに必ず、無限の大生命力が涌き上がってくる。所願満足の″大いなる自分″ができあがっていく。このことを確信して、ともどもに楽しく前進しようではありませんか。

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