Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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如医善方便。為治狂子故。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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5  大聖人とその門下は「一切衆生の父」
 そのうえで、「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり」と断言されている。つまり、妙法を唱え弘める大聖人とその門下は、全民衆を救う″父″である。そう自覚して、私の心を継いで広宣流布に進みなさい、と仰せなのです。まことにありがたい、大激励の御言葉ではないでしょうか。
 大聖人の「御義口伝」によって、法華経は、末法の全民衆の成仏のための大法として開かれました。この「御義口伝」によって初めて、仏法は真実の「民衆仏法」「人類仏法」となったのです。
 世界、人類、平和──口にするのは簡単です。しかし、だれが「本気で」「命がけで」そのために「行動」しているのか。世間は、エゴと欲望が中心です。″しょせん大事なのは自分だけ″という人のなんと多いことか。そうした社会の真っただ中で、顛倒した人々の中傷や迫害を身にうけながら、「全人類」の幸福のための行動を貫いているのは、だれなのか。
 釈尊です。日蓮大聖人です。その心を現代にまっすぐ受け継ぐ創価学会です。学会は「日本の柱」であり、「世界の太陽」です。
 世界には、信心はしていなくとも、人類のために真剣に戦っているすばらしい方々がたくさんおられます。私どもは、そうした世界の良識ある人々と手を取り合いながら、「救諸苦患者」の偉大なる使命を果たしていこうではありませんか。
6  諸の苦患を救う仏の強き約束
 ところで、あの「良医病子の譬え」の結末はどうだつたか、ここで思い出してほしいのです。
 良医である父が亡くなったと思った子どもたちは、悲しみの中で目を覚まし、父の遺していった良薬を服し、毒による病が癒えた。それを聞いた父が戻ってきて、子どもたちとめでたく再会した、という場面で幕を閉じていました。これは、何を意味するのでしょうか。
 結論すれば、釈尊の教え(良薬)を素直に信受する(服する)時、民衆の心に仏(良医)が戻ってくる(帰ってくる)ということです。われわれで言えば、御本尊への強盛な信心を貫けば、仏の生命が必ず涌現するという仏法の大功徳が述べられているのです。もともとなかったものが、突如として現れるのではない。本来あった仏の生命があふれでくるのです。蘇生です。再発見です。生命のルネサンスです。
 戸田先生は、この「我亦為世父 救諸苦患者」の経文について、「これは大御本尊のお言葉ととっていいのであります。我とは大聖人、御本尊のことであります。もろもろの苦患を救う者であると約束せられていますから、自我偈を読むときには、この、お約束を強く感じなければならないのであります。御本尊は、いろいろな憂いや苦しみのある者をば、かならず救ってくれるのだと、信じきってさしつかえないのであります」(『戸田城聖全集』5)と講義されています。
 御本仏の厳然たる御約束なのです。ゆえに私どもは、何があろうと・なかろうと、まっすぐに、「柔和質直」の信心で、進んでいけばよいのです。そこに必ず、無限の大生命力が涌き上がってくる。所願満足の″大いなる自分″ができあがっていく。このことを確信して、ともどもに楽しく前進しようではありませんか。

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