Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十六章 「我並びに我が弟子」 「まことの時」に戦う人が仏に

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

前後
10  「まことの時」に無明との戦いを忘れるな
 「疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」と仰せのように、「信」の一念のみが、疑いや嘆きなどの無明の生命を打ち破って、妙法蓮華経の力用を生命に現す力を持っています。
 しかし、「無明」の力もまことに執拗であり、根深い。本当に無明と戦っていかなければならない時に、私たちの心に忍び寄り、生命を侵していくのが無明です。その愚かさを「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と戒められています
 強盛な「信心」を起こすべき時に、反対に、不信を抱き、疑いを起こして退転してしまうならば、あまりにも愚かなことだ。”今が「成仏への時」ではないか! この大難を突破すれば、永遠の幸福を成就することができる!”との大聖人の魂の叫びが伝わってきます。
 何があっても疑わない。何が起ころうとも嘆かない。その強靭な魂を持った人は、何も恐れるものはない。
 創価学会の歴史に、おいても、戦前に牧口先生が投獄された時、戦後の再建期に戸田先生の事業が大変だった時、そして、宗門が三類の強敵としての牙をむき出しにしてきた時など、これまで大難に直面した時は幾たびとなくあった。この時に、何をしたのか、どうしたのか。そこに弟子として、仏法者としての本質があらわになっていくのです。
 「まことの時」に戦う信心にこそ「仏界」が輝くことを、断じて忘れてはならない。これが本抄の一つの結論であると拝することができます。

1
10