Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「観心の本尊」は「信心の本尊」  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

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13  池田 これは「永遠の法」である妙法蓮華経と一体の「永遠の仏」が己心に現われたことを言われているのです。すなわち、久遠元初自受用身であり、「日蓮がたましひ」です。
 森中 また寿量品の「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず、復上の数に倍せり」との経文を併せて挙げています。そして「我等が己心の菩薩等なり」と言われています。
 池田 その経文は、五百塵点劫に成仏した久遠実成の釈尊は、成仏後も菩薩行を絶やさないことを示しています。涌出品に出現する無数の地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊の弟子ですが、釈尊の菩薩界を代表しているのです。
 同様に、妙法蓮華経を受持する者の己心に現れる永遠の仏にも、菩薩の眷属が現れます。それが、己心の菩薩界です。
 斎藤 永遠の仏が己心に現れれば、その眷属である菩薩界の生命も現れます。この関係を日寛上人は「君臣一体」と言われています。
 池田 悟った後に、他の浄土に去ったり、涅槃の静寂に入り込んでしまう仏は、真実の仏ではありません。成仏したが、九界の生命がなくなってしまうというのでは、真の悟りでも、真の成仏でもありません。
 九界の生命が渦巻く現実社会に入って、人々を救う菩薩界の生命を表に活動するのが真実の仏なのです。
 現実に様々な苦悩をかかえる一人一人に真正面から向き合うのです。徹して一人を大切にする。そして、たゆむことなく、一人また一人と幸福へと導いていく――その不屈の菩薩道の中にこそ、仏の生命が輝くのです。
 皆の幸福のために、心を砕き身を尽くし、あらゆる手立てを講じるのです。十界のすべての総動員です。九界のどの境涯であっても、必要なときに必要な境涯を現せるのが、本当の仏の自在さです。
 森中 「本尊抄」の観心成就の相を明かすところでは、最後に、妙楽大師の「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」との文が引かれています。
 池田 妙法蓮華経の五字の受持によって観心が成就し、自身の妙法蓮華経と宇宙の妙法蓮華経が一体化して自在の生命力を顕したときの自在の境涯が表現されています。

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