Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

世代の温かな交流を通して知恵の体得を  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
6  生命から湧き出る知恵で子供を育てぬく自信を
 時が経ち、ニュー・ファミリーの最大の関心事は「教育」となるであろう。
 現代の若い母親たちは、子供の教育に自信を失っているといわれている。必ずしもそうとばかりはいえまいが、それが一方では「過保護教育」となり、他方「母性喪失」という現象を生み出す一因であることも事実である。多発する幼児殺し事件が生んだ“赤ちゃん受難時代”などという言葉が口にされる現状を見るとき、“母”というものを原点に立ち返って考え直す必要を痛感する。 私が訴えたいことは、日本の若い母親たちに、自分が生きぬいてきた人生のなかでつかんだ知恵、──それが素朴と言われてもいい、いちずと言われてもいい、とにかく自分の全生命から湧き出る知恵で子供を育てぬく自信と勇気を取り戻してほしいということである。
 ここに私の知るN婦人の体験がある。看護婦だった彼女はある医師と結ばれた。悲劇はその直後おとずれる。眼底出血で失明。生まれたばかりの男の子を抱えての離婚となった。それこそ文字どおりの闇の人生の始まりといってよい。
 そのなかで彼女は信仰を求めた。三年後、わずかに回復した視力で懸命な人生への挑戦が開始された。看護婦として生計を立てる彼女は、わが子を預けるところもなく、レントゲン室に寝かせては仕事をしたこともあるという。
 貧しく苦しい生活は十数年つづいた。子供に好きなオモチャを買い与えてやれないつらさ、立派な勉強部屋も与えてやれない悲しみ──子供に心でわびながらも、ときに厳しく、ときにやさしく生命からふりしぼる愛を注ぎながらわが子を成人させたのである。
 その子が、やがて難関の司法試験をパスし、法曹界へ巣立つと聞いたとき、私はN婦人の勝利の凱歌を聞く思いがした。加えて私を感動させたのは、その子供が綴った「母に捧ぐ」と題する一詩であった。公開することなど意識にもなく書き綴ったものだから文の巧拙はともかく、そこから匂いたつような心情が胸を打つ。ご家族の了承を得て、その一部を引用してみたい。
 「お母さん あなたはなんてやさしい人なんでしょう お母さん あなたはなんと厳しい人なんでしょう(中略)行き詰ったときには負けてはだめよと励ましてくれ やりとげたときには涙を流して喜んでくれたお母さん 時にはケンカをした事もあった あんなヤツの顔も見たくない! と思ったこともあった でも僕にとってはかけがえのないただ一人のお母さん でも僕にはやることがあります いつか巣立たなければならない時も来るでしょう その時はニッコリと笑って見送って下さい 僕はどこへ行ってもあなたのことを常に考えていると信じて下さい そしていつかは二人で 一緒に世界を歩きましょう その時まで どうか長生きして下さい 百歳までも生きて下さい そのことを願いつつ 今は耐えて耐えてがんばります 見ていて下さい お母さん」
 母は子に何も買い与えられなかったかもしれない。しかし子は母から多くのものを学んだ。必死に生きることがどんなに尊いものかを子は知ったのではなかろうか。
 たしかにN婦人は、ニュー・ファミリーを構成する人たちより、一世代前の母親像かもしれない。しかしそこには、世代を超えて訴えてくるなにものかがある。私は、現在の若い人たちも、これからの長い人生を風雪に耐え、幾重もの年輪を刻みつつ、自ら振り返って「がんばった」と満足できるような悔いなき人生を送っていかれるよう、望んでやまない。

1
6