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日蓮大聖人・池田大作

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溺愛と躾と社会と  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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2  躾をほどこされることが子供の幸せ
 子供が可愛いあまり、溺愛することは、大人にとってやさしいことですが、子供は必ずしもそれを望んでいるのではありません。溺愛は子供を大人の愛玩物としてしまうだけで、子供にとってこれほど迷惑なこともなければ、不本意なこともないのです。溺愛という大人のエゴイズムの犠牲になるには、子供はあまりにも尊すぎる存在です。
 大人がそのエゴイズムを去って冷静に考えてみればすぐわかることですが、幼児はすでにして未来からの使者という素質をもっているはずです。この幼児が将来、どんなに社会のため、人類のために必要な人材の卵であるかに思い当たるならば、一人の子供をもおろそかには扱えません。いやでも一人の人間としての人格を認めざるをえないでしょう。
 子供には過去はない、ひたすら未来に直進しているのです。したがって、ものを知ろうという意欲にもあふれ、常に好奇心に充ちみちています。嬰児のうちから、目が覚めていれば、一瞬もじっとしていることはなく、なにかを求め、変化を求め、手にするもの口にするもの耳にするものに鋭い反応を示します。大人がいつか忘れさってしまった生の躍動と溌剌さというものが、子供の五体を駆けめぐっているのです。
 この子供の溌剌たる動きに、大人はどう対応していくかに、嬰児教育の本領があるのでありましょう。近年、人間の性格形成の骨格は満三歳までにつくられるという学説がひろまって、幼児教育は注目を集めるようになりましたが、これは大変よいことだと私は思っています。フランスの諺は、早くからこのことを指摘しておりました。──揺籃の中で覚えたことは、墓場までつづく、と。
 幼児教育は人の一生にとって重大な意義をもつことになってきました。
 子供がこの世に生まれて、真っ先に覚えたことは、精神の骨格を形成していくはずです。この時期に、親のエゴイズムによる溺愛が子供をスポイルしているとしたら、子供が成人したとき、その痕跡は残ってしまうにちがいありません。何人、人を殺しても平然としていられる若者が、あちこちに現れてきましたが、幼児期の親の溺愛が子供の心の眼をふさいでいなかったとはいえません。研究すべき事例でしょう。
 子供の来るべき未来を考えたとき、親はその子の未来のために、何を教えこみ、何を避けさせるかに思いいたらねばなりません。幼児教育などと開きなおらなくても、躾という言葉で昔から実践されてきたところのものを、親は心して行えばいいのではないでしょうか。この躾に関して、わが国では戦後、なぜかまことに等閑に付されてきたようです。躾の伝統は欧米諸国のほうに厳しく守られていて、わが国の旅行者が外国で親と子の情景を見るたびに、はっとわれに返って気づくところのものとなってしまいました。
 そこでは食事のマナーからはじまって、就寝時間の厳守、客への挨拶など厳しいさまざまな日常訓練は、子供一人を独立した人格として躾けようとする親のたゆまざる忍耐のもとで行われています。しかも厳しい躾にあっても、子供は生来の陽気さと溌剌さを失っておりません。子供の成人への未来を常に念頭においている親の慈愛が、見事な躾をしているからです。
 これをみても、子供は溺愛を望んでいるのではない、早く大人になりたいという衝動から、進んで鍛えられることを本来望んでいるというのが真実でありましょう。
 取り返しのつかない人生というものを、後悔なく立派に送らせるためには、可愛い子供を若い芽のうちから大事に育てようとする親の責任感が、長い市民生活から生まれたのでしょう。わが国の親は自分の子にはたとえ厳しい躾をしたとしても、他人の子供の悪戯を見て見ぬふりをしているのが一般ですが、欧米の親たちは他人の子供も見逃しません。その子の親の前であろうと、悪さは悪さとして叱責します。叱られた子の親も、叱った他人になんの感情もいだかないのでしょう。じっと微笑しているだけです。これがわが国の親たちと大変違うところで、子供の喧嘩を親が買って出るというようなことは、欧米にはまずないでしょう。これは市民生活の発達の深さが、わが国は未熟であるという一面ですが、わが国の親たちに溺愛の傾向が強いのも、こんな一面に原因があるように思われます。
 この世に生まれた以上、幼児といえどもすでに人類社会の一員であり、しかも未来社会の有力な一員であるはずです。未来の社会を創る一員である幼児という存在は、決して軽いものではありません。ここに日常の幼児教育の重さがかかっています。どんな教育も辛抱強く繰り返すことなしには、その目的は達することはできません。まして幼児においてはなおさらです。未来に生きる子供のためには、親の忍耐強い躾が早くからほどこされるのが、子供の幸せといえましょう。
3  子供のためにも世界の平和を願う
 躾という日本独特の言葉は、母親の裁縫から生まれました。着物を縫うとき、その縫目が整然と見事にそろうために、あらかじめ布に仕付け糸をかけ、布の移動を押さえておいてから、本番の縫い糸で縫うことです。本番の取り返しのつかない人生のために、早ばやと幼児に仕付け糸をかけることは、その子にとっての人生を尊く大切に思う親のまごころではないでしょうか。
 躾の効果というものは、目前のことのためではありません。やがてきたるべき本番に備えてのことなのであります。現在に執着する人は躾を怠ります。そして、やがて本番に立った子供の不始末に泣かねばなりません。人生は揺籃から墓場へと通じているのです。よき芽が大木と育つように、幼児という人間の発芽期の芽をどんなに慈しみ大切にしても、しすぎるということはありません。雑草を抜き、肥料を与え、添え木をおくという細心な躾こそ、未来を担う立派な社会人を生む源泉でありましょう。
 しかしながら、いつか時代は幼児にとっても生きがたい環境となってしまいました。牛乳やミルクには毒をふくんでおり、都会の空気は幼い肺を侵食しています。一人で歩けるようになっても、うっかり道路には出られません。いつ交通地獄の犠牲にならないともかぎりません。
 家庭事情から、一人で留守番することも強いられます。テレビなどの情報公害にも曝されなければならず、幼い体と魂は、このような環境で育たなくてはならなくなりました。体調は狂い、肥満児や虚弱児の比率は年々増大し、大人並みの神経病にかかる子供も多いと聞いています。これらの子供を守るためには、親たちは躾のほかに、社会的にも精いっぱいの努力を今後ますますしなければならないと、覚悟を新たにしなければなりません。
 このような心痛む幼児の周辺を見るにつけ、それでもなお今の幼児は幸せだとするたった一つのことがあります。──わが国の幼児は、戦後二十八年間、戦争の害毒をまったく知らずに過ごすことができました。
 戦前から戦後にかけての数年の幼児にみられた栄養失調と餓死からは免れております。戦争で両親を失うような孤児はまったく見当たりません。上野の地下道あたりでよく見かけた、よちよち歩きをやっと脱けたくらいの幼児が、痩せさらばえて額には皺が寄り、まるで七十歳の老人のような表情でじっとしている、あの悲惨さは後を断ちました。幸いなことです。親と子が平和のなかに、たとえ危うい平和であったとしても、暮らすことのできるありがたさは貴重なものと思わなければなりません。世界の恒久平和の樹立こそ、幼児のためにもなさねばならぬ大人の責務です。 それにつけても、ベトナム戦争の報道写真の数々に、私たちは心を痛めました。──戦場の一隅で死んだ親にとりすがる幼児たち。家族と離れて見失ったのか、小さい子供が背に幼児を負って、とぼとぼと街道を歩いていく情景。どの子供もひどく痩せています。うつろな眼を空に向けている戦災孤児たちの群れ。幼児の体ですでに戦傷をうけて身体障害者になってしまった多くの子供。戦争の爪痕が彼らの一生に刻印されてしまったことを思うとき、戦争の悲惨さは、戦争絶滅の悲願へと向かわざるをえません。
 バングラデシュの戦争もまた例外ではありません。乳の出なくなった母親の乳房を吸う幼児たちの口。餓死に迫られた数百万人のなかで、ひよわな幼児たちは、その最大の犠牲者として真っ先に死んでいかねばなりません。人類の社会は、月に到達する知恵をもちましたが、このような卑近の悲惨さを放置しているのです。
 このように幼児の周辺はまだまだ油断のならない状況にあります。躾とともに、幼児のためには社会との戦いを避けてはならないと、私は心ある人びとに訴えたいのです。

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