Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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いわゆる“運命”について  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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4  結局、運命とは、原因、結果の法の枠外にあるものではなく、より深い法のうえでの、原因、結果の現象のあらわれにほかならない。それを偶然と考え、運命と呼ぶのは、その“法”の実在を知らないからであると言ったら言いすぎであろうか。
 ちょうど、電気の存在とその法則性を知らない人にとっては、電気を応用した、さまざまの文明の利器は、魔術のような不可思議なものと映るにちがいない。それと同じで――現代人もまた、運命としてあらわれている、生命の法則を知らないから、これを偶然的なものと考えるのであって、根本的な生命の法を知ったとすれば、ごく当たり前のこととして理解できるようになるはずではなかろうか。
 そのときこそ、人間としての幸福と平和への努力は、ことごとく蘇生し、実を結ぶことができるような気がしてならない。
 まさに、シラーの言うように「汝の運命の星は汝の胸中にある」のであろう。

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