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日蓮大聖人・池田大作

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勇気と確信と希望  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  青年時代は、だれしも思い出多いものであろう。いや、思い出のないようでは青年期を生きたとは決していえまい。私もまた例外ではない。
 私の家は、貧しく、そのあげく、四人の兄は、全員兵隊にとられ、戦地に行かされてしまった。そんな状態で、金銭的にも、時間的にも余裕なく、商業学校も、専門学校も、自力で夜学に通わねばならなかった。そのうえ身体もあまり丈夫ではなかった。
 だが、自分の仕事には、全魂を打ち込んできたつもりだ。会社の用事で、大八車を引いて銀座を歩いたこともある。秋風の吹くころまで、開襟シャツ一枚でいたこともある。それでも、なにかしら自分には、恥ずかしいという気持ちは毛頭起こらなかった。むしろ、青年として莞爾として辛苦と闘うことに、劇のごとく、誇らしくさえ思っていたことを覚えている。事実、これらの苦労が、今日の人生の土台になっていたことは確かであろう。 私には、当時ひとつの確信があった。いやそれは決意に近いものであった。──青年は虚栄に生きるべきではない。素っ裸な自分で、社会を闊歩し、あらゆる力をつけ、人生を生ききっていくということであった。この決意が当時の私を力強く支えたのである。私のこの決心は、今でも少しも変わっていない。地位、財産、名誉を、すべて捨て去って、最後に残る人間として、勝利を得ることが、人生最高の勝利者であることを、生涯忘れないつもりだ。
 しかし私には深い反省がある。それは、十代、二十代の時に、もっともっと基本的な勉強をしておきたかった。また身体を丈夫に、鍛えておけばよかったということである。自分でも青年時代の大切であることは自覚して、多少本も読んだつもりであった。だが、今となっては、あの十倍も二十倍も、やればよかったと悔やまれてならない。
 今、自分の青年時代を振り返り、いかに青年期が重要であるかを痛感している一人である。所詮、人間の一生こそは、青年時代をどのように過ごしたかによって決定されるといっても過言ではない。
 青年は建設である。青年は未完でもある。だからこそ、無限の可能性を秘めた未知数ともいえよう。また青年とは、革新の息吹であり、はちきれんばかりの生命力の持ち主だ。これほど偉大なものはなかろう。もし、青年にして、自己の建設を忘れ、虚栄のみに走り、要領を考え、無気力となってしまったならば、青年としての精神的自殺ともいえる。これほど愚かな、そして浅はかな姿はあるまい。
 しかし、より深く考えれば、いかなる青年の生命力にも、激流のごとき、若き血潮が秘められていることを、私は熟知している。それに、確固たる理念、指針を与えきるならば、社会に貢献する偉大な実践と、有意義な人生を生きゆくことも絶対間違いないことである。現在の指導者は、青年に対し、批判こそするが、なんら自己の無力を反省しない。自己の名聞名利に酔い、栄誉栄達のみを追い求め、青年の心を、あまりにも知らなすぎはしまいか。
2  生意気のように思われるかもしれないが、私は、かつて「一国の盛衰、時代の消長は、青年の自覚の有無と、その動向のいかんによって、大きく左右されることは論をまたない。(中略)しかし、そこで絶対に忘れてはならないことは、必ず偉大なる理念と、良き指導者のもとに、その建設が成就されてきた事実である。その理念、指導者の存在なくば、いかなる時代の青年も、その熱と力を徒労に帰し、かつ誤れる思想、指導者に従えば、業火、動乱の方向へ、怒涛のごとく進むものである」と述べたことがあった。今から十年前に書いた一節である。その理念、哲学、指導者を求めることは、まったく各人の自由である。ただ、私は、今の為政者が、青年に何も与えられぬことを悲しむ。また彼等は吾々国民をいかなる方向にもってゆくつもりかを、監視せねばならぬ。いつまでも、無責任な、太平ブームが、世界の潮流からみて、許されるとは思わないからである。
 さらに、私は、青年の価値は、勇気と確信と希望であるということを実感している。青年の勇気ある実践は、あらゆるものを創造していく根源である。そして、その勇気を支えていくものは確信であるといえまいか――。社会をみるに、確信なき人がいかに多いことであろうか。ひたすら他人に迎合し、付和雷同するばかりの人生は、泡沫に等しい。確信には、逡巡はない。迷いもない。しかして、その確信は、自らの使命と、責任を全うしきる実践のなかから生まれるものだ。また希望なき人生、未来をもたぬ青年は、生ける屍に等しかろう。さらに、人生で最も優れた人とは、青年期にもった理想、青年時代に築いた夢をば、一生涯貫き通してゆける人だ――。
 青年は一国の宝であり、次代の世界の財産である。この財宝に勝る力はない。これらの青年の未来を蝕み、生気を奪い去るものは、まさに財宝を海に捨てるごときであろう。ましてや、戦争等に追いやり、あたら若き生命を断たしめるがごとき指導者は、極悪人であると言わざるをえない。
 私は青年が好きだ。青年の成長が、最もうれしい。英知と、平和と、幸福に、育ちゆく姿を見ると、心はずむ思いがする。私もまた、生涯、青年とともに歩み、青年の息吹を貫き通してゆきたいと念願している昨今である。そして、やがて私たちの築いた土台の上に、次々と、青年が世界の平和と、文化の創造に雄飛していってくれることが、唯一の願いであり、最上の喜びである。

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