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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙における知的生物の存在の可能性  

「第三の虹の橋」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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5  このように、宇宙における生命の探求は人間にとってかなり現実的な課題であったし、今もそうです。こうした研究は科学の進歩には限りがないことを示すものであり、新しいもの、未知のものを知りたいという人間の願望、地球に限らず、宇宙でも自分が占めるべき地位と役割を知りたいという人間の欲求を裏書きしています。同時にそれは地球上の生命がいかに重要かを強調しています。地球上の生命は宇宙において唯一であり理性と文明はユニーク(これにも例外はありうる)だとはいえませんが、私たちにとっては唯一無二のものであり、何物にも代えがたく貴重な価値なのです。
 仮に、私たちが観測する宇宙(観測可能部分の)に別の理性、別の文明が存在するとしても、その理性、文明がつくりだした自然に対する法則は、私たちのもっているものと同じであるにちがいないと思います。しかし、精神生活の形態まで合致しなければならないとは言いかねます。文学・芸術についてはいうまでもありません。この領域において多少なりとも明確な結論を出す十分な根拠が、私たちにはもともとないのです。そのうえ、これは歴史が示していることですが、それぞれの世紀に対する科学的推挙はそのかなりの部分が最終的なものではなく、再検討を加えられています。
 ですから、未認識の領域への幅広い補足は、ことさら慎重を期す必要があります。というのも、私たちが補足するものが将来、誤りであったということが判明することもありうるのですから、仏法でいう「慎むべきことは無知だが、さらに慎むべきは偽りの知識だ」は、ひときわ深遠な意味をもっていると思われます。
 今のところ、たんに仮説の域を出ない他の宇宙文明の精神世界への態度について、問題解決の試みとして、かくもかけ離れた補足に訴えることは、不可避的にともなう知識不足、そこに不可避的に介在する――しかし今のところ、みずからはそれに気づかない不正確さ――誤謬、真理との不一致からして、とくに危険です。ですから、私としては、別世界の知的生物の精神世界および文化の個々の側面についての予測をより実り多い形でなしうるのは、私たち学者ではなくて、たとえば、SF作家であると、このように考えます。

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