Nichiren・Ikeda
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11 川田 地球もまた、たとえ表面的には、たんなる物質的存在と映っても、そのあまりにも巧妙な働きに焦点をあてれば、一個の生命体であるといわざるをえないというわけですね。
池田 いま、科学者たちは、原始地球には、地球型生命を発生させるべき、あらゆる材料と条件がととのっていたと力説している。この事実を認めたうえで、私は、次のように主張したいのです。
原始生命をその誕生に導いたものも宇宙内在の生命へと向かう傾向性であれば、地球型生命を発生させるに十分な条件をととのえたものも、同じ根源的な力であったのではなかろうか――と。
原始地球に見いだされる生命発生への条件は、たんなる偶然によって、つくられていたのではない。それは、ととのっていたのではなく、原始地球の、二十億年にもおよぶ、営々とした活動が、ととのえたのである。
さらにいえば、地球を、そして、物質を、生命的に染めあげた主体的存在は、当の原始地球であり、その内部に、はちきれんばかりに高まりつつあった生命への傾向性ではなかったであろうか。
北川 これを宇宙的視野にまで広げると、地球型生命ばかりでなく、他の予想される生命的存在の素材が宇宙のあらゆる天体にありうるという事実は、宇宙そのものの働きによるととれますね。
池田 少なくとも、生物形成の素材というか、原料があり、生命発生をうながすにたりる条件がそなわっているところでは、それは宇宙内在の生命への傾向力による、というふうにいうことはできるでしよう。
しかし、だからといって、そうした環境を発見できるところに、かならず、予想しうる生命体が誕生しうるか、といえば、そうは断定できない。たとえば、高まりつつあった内在力が、種々の外的作用によって、どうしても、その壁を打ち破れず、やがて弱まってしまうこともあろう。そこに、偶然の働く余地が残されているし、具体的な生命発生の場所とか、時間などになれば、偶然に起きるさまざまな事件が大きく介入してくるにちがいあるまい。それにもかかわらず、宇宙生命の営みを、時間空間にわたって視野を広げて考察すると、偶然の介入を許しながらも、生命化への傾向性を断ちきられることは決してないであろう。
ゆえに、宇宙生命の内在力が、あらゆる種類の生命体の誕生を準備している領域では、やはり、その環境に適合した生命的存在が生まれでる可能性は、決して低くはないのではないかと思う。いや、無限の空間領域に広がり、永遠の流転を織りなしていく宇宙の全体像に思いを馳せるときには、宇宙は、生命の素材にあふれているばかりではなく、各種の存在形態を示す生物にも満たされていると推定できるのではなかろうか。
川田 そう考えますと、私たちの生命の生死流転は、宇宙を舞台に、永劫につづいていくといえそうですね。
池田 「本有の生死」は永遠の時を刻む。もし知的生物を含めて、生命的存在の生きる場が、空間的には宇宙大に、時間的には永劫の未来にわたって保証されているとすれば、仏法の根源的な哲理である「本有の生死」が成立することになるのです。