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人生問答 現代文明への反省

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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26  終末観流行の原因
 池田 六〇年代のバラ色の未来論に代わって、七〇年代に入ると一転して終末論が流行しました。これは、公害によって環境破壊が進行し、西洋近代の文明原理が行き詰まりを露呈した結果、人びとが新しい文明転換の原理を模索している姿とも思われますが、なぜ急速に終末観が横行するようになったとお考えですか。また、このような終末論を乗り越えて、輝ける二十一世紀を迎えるための方途を、どこにお求めですか。
 松下 今日、いろいろなかたちで、終末論が論じられておりますが、私はそういうものには、あまり重きをおいておりません。終末論は、過去においても時々あらわれているようですし、今後も時に応じて出てくるだろうと思います。
 今、世界的にほとんど軌を同じくして混乱の姿にあります。ですから、世界全体、人類全体として一つの転換期を迎えているとも考えられ、そういうところから終末論というようなことがいわれるようになったのではないかと思います。しかし、私は学問的に研究したわけではありませんが、そういう考えはあまりとりたくないのです。
 私は、人間の世界を含めて、この宇宙は絶えず生成発展していると考えています。人間の死ということも、大きな観点からすれば、これも生成発展の一つの姿だと思います。そういうことからして、終末論というものにはこだわらないほうがいいと思いますし、終末論を乗り越えるということも、あまり大そうに考えず、自然な姿で人間の歩みを進めていっていいのではないかと思うのです。
 つまり、この宇宙の生成発展、世の中の生成発展というものを素直に考えて、そこからおのずと生まれてくる道を求め、その日その日に素直に対処していけばいいのではないでしょうか。そうすれば、輝けるか輝けないかはともかくとして、二十一世紀は今世紀よりいろいろな意味においてよくなるだろうと思います。
 人間の知恵というものは、そういうことを求めて成果を上げることが十分できると思うのです。
 ご質問にあるように、西洋近代の文明原理といいますか、科学技術を中心とした物質文明的な物の考え方は、一つの行き詰まりを示しているともいえましよう。しかし、一つの文明原理が行き詰まれば、また、より時代にふさわしい新しい文明原理がおのずと生まれてくるというのが、これまでの歴史の姿であり、それが生成発展に即した人間本来の姿だと思います。
 ですから、そういう″生成発展″ということをお互いが認識し、そこに基本的な安心感をもって歩んでいくならば、個々にはいろいろ問題はあっても、総じていえば二十一世紀には二十世紀よりも好ましい姿が生まれてくるでしょう。私はそう考え、あまり心配はしていないのです。

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