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日蓮大聖人・池田大作

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勧持品(第十三章) 「弟子が師子吼」「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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2  今いる「ここで」戦う
 遠藤 はい。初めに勧持品の″あらすじ″を見ておきたいと思います。宝塔品で釈尊は、弟子たちに語りました。「私が死んだ後、この娑婆世界で、誰か法華経を説くものはいないか。私はもう、この世に長くはいない。法華経の″バトン″を譲り渡したいのだ」「私の死後、法華経を持つのは、とてもむずかしいことだ。しかし、それでも持ち続けるならば、すべての仏が賛嘆するだろう。その人自身が仏だ。さあ、みんな、私が死んだ後に、だれがこの法華経を護るのか。今ここで、誓いの言葉を聞かせてくれないか」
 これを受けて勧持品では、最初に薬王菩薩と大楽説だいぎょうせつ菩薩が、仲間とともに誓います。
 「世尊どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。その時、人々は、善根が少なく慢心が多いために、なかなか教化できないでしょう。でも私たちは、勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いてまいります」
 池田 「不惜身命」だね。弘教が困難な娑婆世界でこそ戦おう、と。
 遠藤 続いて、すでに成仏の保証を得た多くの弟子たちが、われもわれもと、次々に誓いを述べます。
 池田 ただ、彼らの誓いと、最初の菩薩たちの誓いとには決定的な違いがある。
 遠藤 はい。菩薩たちは、釈尊の教えの通り、「この娑婆世界で戦おう」と決意します。ところが他の弟子たちは「娑婆世界は人心が乱れていて、やりにくい。″他の国土″で頑張ります」と(笑い)。娑婆世界の衆生は欠点だらけで、慢心を懐き、徳が薄くて、怒りっぽく、心がひねくれ曲がっているから、と言うのです。
 池田 よくもそれだけ欠点を並べたね。でも、その通りだ(笑い)。
 遠藤 声聞たちは釈尊から授記されることによって菩薩の道に入りました。しかしまだ「新米の菩薩」だから、このような悪人ばかりがいる悪世の弘教には耐えらえれないのだ──と天台は解説しています。
 池田 「他土」へ行くとは、人間誰もがもっている「どこか別の楽な所に行って生きよう」「大変な所は避けよう」という逃避の一念を表していると言えるかもしれない。
 しかし、自分が今いる、「ここで」命を燃やしきっていくのが法華経の精神なのです。本有常住です。「ここを去つてかしこに行くには非ざるなり」です。
 斉藤 釈尊が教えてきたのは、「悪世の娑婆世界で法華経を弘めよ」ということでした。なのに菩薩以外の弟子たちは、自分が成仏できることを喜んだが、釈尊の本意には応えなかった。
 須田 釈尊は″がっかり″したでしょうね。
 池田 その時の思いを、日蓮大聖人は、こう書かれている。「どんなにか仏は、腹立たしく思われたことでしょう。そこで仏は脇を向いて、八十万億那由佗の諸菩薩を、つくづくご覧になったのです」(御書一四一九ページ、趣意)と。これは、この時に授記された女性たちが「他の国土で」弘教しますと言ったことを述べられたものです。
 須田 はい。釈尊の叔母にあたる摩訶波闍波提まかはじゃはだい比丘尼、釈尊が出家する前の妻であった耶輸陀羅やしゅだら比丘尼の二人と、その眷属の比丘尼たちに授記されています。
 斉藤 竜女の成仏が明かされても、″自分も成仏できるのだろうか″と、二人はまだ心配であったようです。釈尊は、その不安をただちに察知して、″あなた方も、菩薩の道を行ずれば、必ず仏に成れますよ″と告げたのです。
 池田 大聖人が「竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす」と仰せのように、提婆達多品の竜女成仏は、竜女だけではなく、一切の女性の成仏を表している。竜女は、その代表であり、象徴です。
 ところが、代表の例を聞いて、「あ、自分も同じなんだ」と、ぱっとわかる人もいれば、ぴんとこない人もいる。だからこそ、具体的な一人一人への励ましが大事なのです。
 総論と各論の関係と言おうか。大勢を相手にした会合だけでは、全員が心の底から納得し、決意することはむずかしい。一人一人へのこまやかな配慮がどれほど重要か。むしろ、それが「主」です。学会もこの原則を貫いてきたがゆえに、今日の発展があるのです。
3  斉藤 摩訶波闍波提比丘尼と耶輸陀羅比丘尼の二人は、釈尊にとっては身内です。身内の人への授記が最後に行われたというのも意味があるように思えるのですが。釈尊の実子でである羅睺羅らごら(ラーフラ)、従兄弟である阿難(アーナンダ)も、十大弟子の中では、やはり最後に授記されています(授学無学人記品〈第九章〉)。
 池田 肉親に対する教化は、それだけ容易ではないということではないだろうか。むろん、釈尊にとっては一切衆生が平等です。血のつながった親族だからといって、特別扱いするわけではない。だから、かえってむずかしいとも言えるのです。
 しかし、最後は必ず成仏の道に入るのです。その原理を示しているととらえるべきでしょう。ゆえに、両親や夫や奥さんがなかなか入会しない、あるいは子どもが信心に立ち上がらないからといって、焦る必要はありません。
 大聖人も「この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」──この功徳は、あなたの父母・祖父母、さらに無辺の衆生にも及んでいくでしょう──と仰せです。自分がしっかりしていれば、すでに道は開かれているのですから、安心していい。太陽はひとつ昇れば、全部を照らしていける。自分が一家・一族の太陽になればいいのです。
 斉藤 女人への授記が終わると、菩薩たちは、釈尊の前に進み、合掌します。そしてこう思う。「もし仏がわれわれに、法華経を持ち、弘めよとご命令になったら、仏の教え通りに、この法華経を弘めよう」。ところが仏は黙然としている。「仏は黙っておられる。何も命令してくださらない。われわれは、どうしたらいいんだ」
 須田 ここで菩薩たちは、心に決めるのですね。「仏の御心にお応えしよう」「自分の本来の願いに生きよう」と。そして声に出して誓います。「私たちは世尊が入滅された後、悪世の中で、十方世界に、この法華経を弘めてまいります」と。
 池田 十方世界への弘教とは、経文では「十方世界周旋往返しゅせんおうへんして」(法華経四一七ページ)とあるところだね。正法の弘通のためなら、どこへでも行こうという決心にあふれている。
 この地球の広宣流布も、「全世界を何度も何度も駆け巡る」行動があって、初めて現実に進む──この決心で私は、世界広布の道なき道を切り開いてきたつもりです。あとは、後に続く諸君がどうその道を広げていくかです。
 須田 はい。私も何度か海外に行かせていただきましたが、現地でSGI(創価学会インタナショナル)の発展を目の当たりにするたびに、″世界広宣流布″のうねりを実感しました。ここまで築くのにどれほど大変であったかと、心を揺さぶられました。
 遠藤 弟子たちの誓いの真剣さ、勢いを表すのが、有名な「師子吼をして」(同ページ)の経文です。大聖人は、こう仰せです。「師子吼」の「師」とは「師匠が授けるところの妙法」。「子」とは「弟子が受けるところの妙法」。そして「吼」とは「師と弟子がともに唱える音声」。
 池田 師弟不二の行動です。
 遠藤 「作」とは「おこす」と読みます。「師子吼をおこすとは、末法において、南無妙法蓮華経をおこすのである」(御書七四八ページ、趣意)と。
 池田 「おこす」とは「能動」です。だれかに言われて、やるのではない。「受け身」では師子吼にならない。だから釈尊は、黙って弟子を見つめたのです。師匠は吼えている。あとは、弟子が吼えるかどうかです。それを師匠は、じっと見つめて待っている。
 斉藤 梵本(サンスクリット本)では、勧持品の品名は「絶えざる努力」となっています(岩本裕訳、『法華経』岩波文庫)。これも弟子の誓いを表しています。
 須田 勧持品は、まさに″弟子の誓い″の章なのですね。
4  三類の強敵
 須田 では、三類の強敵について記されている「二十行の偈」を具体的に見ていきたいと思います。これらの偈は、いずれも菩薩の誓いの言葉です。
 斉藤 宝塔品で説かれた六難九易の「六難」が、現実にはどういう形で現れるのか──そのことを説いたのが、「二十行の偈」であるとも言えます。
 須田 「二十行」と言っても、『妙法蓮華経ならびに開結』では、四十行になっていますが(笑い)。四句からなる一偈を一行として二十行になっているわけです。(法華経四一七〜四二一ページ)
 遠藤 二十行のうち、次に述べるところからが、三類の強敵への言及になります。
 すなわち、「多くの無智の人々が、(私たちの)悪口を言ったり、罵ったりしても、また刀で切りつけ杖で打っても、私たちはみな耐えていきます」(第二行)。この文は、妙楽大師が示したように、三類の強敵のうち、「俗衆増上慢」を明かしたところです。
 須田 仏法に無知な在家の男女が、法華経の行者に対して「言論の暴力」と「肉体的暴力」を加えるということです。
 池田 ひと口に「言論の暴力」というが、悪口罵詈は、一回や二回なら耐えられます。しかし、大勢の人々から絶えず悪口罵詈されたら、その圧迫は筆舌に尽くしがたい。
 アラン(フランスの哲学者)は「到るところで絶えず呪詛を加えられたら、それに抵抗し得る人間は、恐らく一人もいないであろう。呪詛された人は、自分の滅亡に向って走ってゆく」(所雄章編『定義集』森有正訳、みすず書房)と言っている。
 本当にそうだと思う。直接に被害を受けた人でなければ、わからないでしょう。しかし、それでも悠々と、人々を包容しながら前進していくのが、真の菩薩なのです。
 遠藤 俗衆増上慢は、仏法の高低浅深については何も知りません。なのに迫害するのは、ひとつには、第二の道門増上慢、第三の僭聖増上慢に動かされているのですね。
 斉藤 みずから真実を見極めようとせず、権威によりかかって、正法に敵対してしまう。そこに大きな特色があるように思われます。
 池田 権威への盲従だね。みずからは正邪を判別する力がないために、権威に寄りかかって、動かされてしまう。だからこそ、民衆を賢明にする以外にない。
 遠藤 次は道門増上慢です。「悪世の中の比丘は、邪な知恵があり、心が曲がっており、まだ悟りを得ていないのに得たと思い込んで、自身に執着する心が充満しています」(第三行)と。
 須田 これは出家者であり、「邪智」にして、心が「諂曲」であるところに特徴があります。
 斉藤 仏法について勉強してはいるが、あくまで「邪智」に過ぎない、と。「諂曲」とは、強い者に対しては、自分を曲げて、へつらい、ペコペコする。弱いとわかると、威張る生命です。
 須田 少しばかり仏法を知っているために、かえって質が悪いですね。真実を覆い隠すだけでなく、仏の教えを、自分の都合のいいように平気でねじ曲げてしまう。
 池田 だから、もっと勝れた教えがあると言われると、喜ぶべきなのに、かえって怒りだす。自分より勝れている人と法を、素直に尊敬できない。「慢心」です。
5  「人間を軽賤する」僭聖増上慢
 斉藤 次が僭聖増上慢です。「僭聖」とは「聖者のふりをしている」ということです。
 「人里離れた静かなところで、ぼろきれをつづり合わせて作った衣を着て、みずから真実の道を修行していると思い込んで、人間を軽んじ賤しめるものがいることでしょう」(第四行)
 池田 「人間を軽賤する」。そこに僭聖増上慢の大きな特徴がある。民衆への蔑視です。一切衆生を尊極の宝と見る法華経の正反対です。だから、「法華経の行者の敵」とならざるを得ない。
 須田 反逆者の提婆達多もそうでした。彼を描いた小説には、こんな描写があります。
 「提婆達多は人間を軽蔑し、厭悪えんおした。彼はみずからあらゆる醜悪なる人間性の所有者、経験者であったがために、凡ての人間は彼の眼にさながら汚穢おわいなる五臓六腑のままに見えた」(中勘助著『提婆達多』岩波書店)
 斉藤 「人間を軽賤する者」(法華経四一八ページ)の的確な描写ですね。
 遠藤 次の一行は、さらにその仮面を暴くものとなっています。
 「利得に執着し貪るために、在家信者のために教えを説き、六神通を得た阿羅漢のように世の人々に尊敬されるでしょう」(第五行)。
 池田 そう。自分が″もうける″ために、仏法を利用するのが僭聖増上慢なのです。それでいて、世間の人々から「聖者」のように仰がれている。苦悩の人を救おうとか、広宣流布に命を捧げていこうなどという心はない。宗教利用の偽善者です。
 日蓮大聖人は、自分の名聞名利のために仏法を説く人間を、「食法がき」と呼ばれている。仏法の世界で、うまく泳いでいこう、人から尊敬されよう、人気を得よう、喝采を浴びよう。そういう卑しい心です。
 須田 大聖人の仏法を道具に、遊蕩にふけり、信徒を食い物にしてきた日顕宗など、「食法餓鬼」そのものですね。
6  法華経の行者を「つくり話」で迫害
 斉藤 次の第六行の偈では「この人「僭聖増上慢」は悪心をもって、いつも世俗のことを気にかけ、閑静な場所に住んで修行しているとは名ばかりで、私たちの過失を好んで作り出そうとします」と。自分に敵対する法華経の行者が出現すると、ありもしない過失を捏造ねつぞうし、言い立てるのです。
 池田 偽善者にとって、恐ろしいのは自分たちの実像が暴かれることです。ゆえに、真実を叫ぶ法華経の行者が″脅威″となる。
 遠藤 そこで「ウソ」で法華経の行者を、なきものにしようとする。
 須田 ウソはもともと、お手のものですから──。
 池田 そのへんのやり方も、法華経につぶさに説かれているね。
 斉藤 はい。僭聖増上慢は、法華経の行者に対して、次のように批判します。
 「これらの比丘たち(法華経の行者)は利得を貪るために、外道の論議を説いて(第七行)、みずからこの経典を作り、世間の人々を迷わせ、名声を求めるために、いろいろ考えてこ経典を説くのである(第八行)」と。
 遠藤 宗門が、何かというと″外道″だとか難癖をつけてきたことを、思い出しますね(笑い)。
 斉藤 まさに「讒言ざんげん」と「つくり話」です。
 須田 しかも、その内容たるや、自分のことを言っているにすぎない。「利養や名声を貪る」「外道の論議を説く」。
 池田 そう。僭聖増上慢は自分の「醜い実像」を、そのまま法華経の行者の姿だと、″すりかえて″悪口してくるのです。自分の″影″に向かって悪口を言っているようなものだ。
 遠藤 妙楽大師が彼らを僭聖増上慢と名づけたのは、見事に本質をついていると思います。「僭聖」には、「聖者のふりをする」という意味があります。「聖者」と思われているだけであって、本物ではないわけです。むしろ「実像」は逆です。ですから、自分は所詮本物ではない、「仮面をかぶって生きている」ということを、心のどこかでは知っているわけです。
 しかし、増上慢の心が強いため、自分の醜い実像を正面から受け入れ、認めることはどうしてもできない。実像は、いつもは意識されないで抑圧されている。
 そんななか、真の仏法者である法華経の行者が現れると、太陽にまぶしく照らされたように、いやでも自分の卑小な姿を見せつけられてしまう。それが「増上慢」には耐えられない。そこで、法華経の行者さえいなければいいと考えてしまう。
 斉藤 嫉妬ですね。
 須田 自分の実像がゆがんでいるのに、それを映す明鏡に対して怒っているようなものです(笑い)。「醜い姿じゃないか」と鏡を指さしているわけですが、じつはそれは自分の姿が映っている。
7  裏から権力を操る
 遠藤 次の第九行からの偈では、いよいよ僭聖増上慢と権力との結びつきを明かします。「いつも大勢の人々の中にあって、私たち(法華経の行者)をそしろうとするために、国王、大臣、婆羅門、居士やその他の比丘たちに向かって、私たちを誹謗し、私たちの悪を説いて、『これらの人は邪見の人であり、外道の論議を説いている』と言う(第九・十行)」と。
 池田 法華経の行者と直接、対決するのではない。つねに裏であやつろうとする。それが僭聖増上慢の「くせ」です。仮面をかぶった生き方が身についてしまっている。本当は臆病なのです。
 そこで世間に向かって、また権力者や社会の有力者に対して、法華経の行者の誹謗・中傷を繰り返すのです。
 須田 俗衆増上慢を″手先″とするわけですね。いかに悪辣で卑劣であるかは、この一事を見ても明らかです。
 斉藤 西洋の異端審問も、同様に、聖職者は直接、手を下さなかったようです。密告と拷問によって無理やりに「死刑」と定め、しかも自分は直接に死刑と宣告したり、処刑したりしない。ただ、その犠牲者を世俗権力の手に引き渡すわけです。
 遠藤 自分は手を汚さない。偽善者は、どこまでいっても偽善者ですね。
 池田 しかも権力に引き渡す時、「私たちは、汝の命が助かるよう、慈愛をもって願うが、やむなく汝を捨てて世俗の法廷に引き渡す」という文書をつけたらしい。死刑を前提にして引き渡しながら、これほどの偽善はない。
 ともあれ悪は結託する。連合軍になる。分け前を得るために団結の姿を示すのです。一方、善は利得と無縁なために、孤立してしまう。この悲劇を転換しなければならない。善が団結しなければなりません。
 須田 次に、三類の強敵が法華経の行者をバカにして「あなたたちは皆、仏であると悪口を言う」とあります(第十行)。現代的に言えば、″あなたたちは偉いよ。ヘー、仏になれるんだってね″という皮肉交じりの批判でしょうか。″たいしたものだよ。あんなやつが仏だっていうんだから″と聞こえます。
 池田 不軽菩薩の行動のように、「汝等は皆是れ仏なり」とは、本来、最高の「人間への尊敬」です。それすらも三類の強敵は、人を嘲笑する言葉として使うと言うのです。人を見下すことしか知らない人間の卑しさが如実に現れている。
 遠藤 次の十二・十三行目の偈では、「濁った時代の悪世には、多くの恐怖があります。悪鬼がその体が入り、私たちを罵倒し、非難します」と、悪鬼入其身が説かれています。
 そして、「忍辱の鎧」を着て法華経を説き(第十三行)、そのための精神として「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」が述べられます(第十四行)。
 池田 大聖人は、「無上道とは南無妙法蓮華経是なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を惜む事は命根よりも惜き事なり」と仰せです。
 南無妙法蓮華経を自分の命以上に大切にする──ここに信心の極意がある。妙法の広宣流布に一切を捧げていく信心です。具体的には学会とともに前進し、学会を守り抜き、苦楽をともにしていくことです。学会を離れて、妙法の広宣流布はない。戸田先生が「学会の組織は戸田の命より大事だ」とおっしゃった意味もそこにある。
 斉藤 このあと、濁世の悪僧たちは、仏が種々の法を方便として説いたということを知らず、法華経の行者の悪口を言い、眉をしかめ、しばしば追放し(第十六行)、塔や寺から遠ざける(第十七行)と続きます。
 池田 しばしば追放──「数数見擯出」です。大聖人は、「日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はずいわんや余人をや」と断言されている。
 大聖人以外にこの経文を身読された方はおられない。「二十行の偈」は、大聖人こそ真の「法華経の行者」であられることを証明する経文なのです。
 斉藤 近代において創価学会ほど三類の強敵に迫害されてきた教団はありません。学会が真に法華経を行じている証明です。
8  ″三類″との戦いに本源的な「人権闘争」
 池田 こうして見てくると、「法華経の行者」と、三類の強敵なかんずく「僭聖増上慢」は鮮やかなコントラストを示している。そのポイントは、「人間への尊敬」と「人間への軽蔑」です。その違いが、そのまま「人間のための宗教」と「権威のための宗教」の違いになる。
 また、「権力の魔性と戦う宗教」と「権力の魔性と結託する宗教」の違いになる。そして、「迫害を受ける、本物の宗教者」と、「人を迫害する、偽者の宗教者」との違いになる。
 「人間への尊敬」の究極は、「万人が仏である」と礼拝する法華経の信念です。
 「人間への軽蔑」の究極は、人間をモノとして利用する権威・権力の魔性です。その根底には「元品の無明」がある。
 法華経を行じるとは、生命的に言えば、「元品の無明」との対決を意味する。社会的に言えば、権威・権力の魔性との対決を意味する。ゆえに大難は必然なのです。大難を受けないのは、本当の「法華経の行者」ではないのです。
 斉藤 人間に対する軽蔑ということで思い出すのは、哲学者のカントの話です。彼は、ルソーの『エミール』を読んで、それまで無知な民衆を軽蔑していた自分を反省したと言います。
 須田 毎日決まった時刻に散歩していたカントが、『エミール』に熱中して散歩を忘れてしまったというエピソードは有名ですね。
 斉藤 ええ、そうです。彼はこう綴っています。「私は、なにも知らない民衆を軽蔑した。ルソーが私を正してくれた。この眩惑的な特権は消滅し、私は人間を尊敬することを学ぶ」(『カント全集』16、尾渡達雄訳、思想社)。
 遠藤 ルソーの『エミール』については、先生もスピーチで紹介し、次の言葉を引かれたことがあります。
 「人間はどんな身分にあろうと同じ人間なのだ。そうだとしたら、いちばん人数の多い身分こそいちばん尊敬にあたいするのだ」(今野一雄訳、岩波書店)。「民衆こそ社会の主人である」と訴えられました。
 池田 ″私は人間を尊敬することを学んだ″──すばらしい言葉だね。人をどれだけ尊敬できるかで人間の真価は決まる。人を尊敬することが「人権」の出発点です。誰ひとりとして軽んじない。ここに仏法のヒューマニズムがあります。
 斉藤 「人権」の確立こそ一番の課題です。それに関して、人権の闘志ブラジルのアタイデ博士が先生に言われた言葉が忘れられません。「人間の内に″聖なるもの″を見る視座がなければ、″人間の尊厳″という思想の根はできないでしょう」(『二十一世紀の人権を語る』本全集第104巻収録)と。その意味で、法華経こそ、最も根本的な人権の思想だと確信します。
9  遠藤 三類の強敵との戦いは、「人間への尊敬」を貫く人権闘争である、ということですね。
 池田 問題は、僭聖増上慢は、つねに″人権の味方″であり″民衆の味方″という仮面をかぶっていることです。だから、その本性を見破ることは決して容易ではない。
 遠藤 妙楽大師は「この三類の強敵の中には初めの俗衆増上慢は忍ぶことができる。次の道門増上慢は、俗衆増上慢よりも強い。第三の僭聖増上慢こそ、最も恐ろしい。なぜなら、その正体が見破り難いからである」(『法華文句記』)と述べています。
 須田 今の社会も、いかにも人権や平和のために戦っているようなポーズの人間が多い。それだけに、言葉や、つくられた虚像にまどわされず、本質を見抜く眼が大切になってきます。
 斉藤 大聖人は「開目抄」に「無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず」と仰せです。三類の強敵を見破るのは、「一分の仏眼」をもっている者、つまり法華経の行者だけであると。
 池田 悪を見抜くのは、行動する人です。戦う人です。かつて、ある青年が、牧口先生に、何が善で何が悪かをどうすれば判断できるようになるかと質問したことがある。
 牧口先生は「世界最高の宗教を命がけで修行する、その努力と勇気があれば、わかるようになる」と答えられたといいます。
 須田 その僭聖増上慢の正体ですが、「みずから真の道を行ずと謂いて」(法華経四一八ページ)ですから、自分こそ一番偉いと自惚れ、他人を軽蔑するわけですね。その根底には、どのような心理が働いているのでしょうか。
 斉藤 自惚れが強い人というのは、一般に、「自己愛」が極端に強いように思えます。ナルシシズム(自己陶酔)というか……。
 須田 ″自分自身に酔う″ということですね。一人で鏡を見てうっとりしている程度なら、だれにも迷惑はかかりませんが(笑い)。実際に、世間から最高の存在のように尊敬され、自分もそのように思い込んで振る舞う。
 遠藤 精神分析学者のエーリッヒ・フロムは、権力者の「正気と狂気との境界線にあるナルチシズム」について、こう分析しています。
 ──彼らは「自分の色欲や権力には限界がないとうぬ惚れて」、あらゆるものを手に入れようとする。いわば「神になろう」とする。
 「神になろうとすればするほど、人間から疎遠になり、そしてこの疎遠感によってかれはますます肝を冷やして、あらゆる人がかれの敵に見え、その結果生じる恐怖に耐えるためにかれは自己の権力、非情、ナルチシズムを増大しなければならない」(『悪について』、鈴木重吉訳、紀伊國屋書店、引用・参照)と。
 斉藤 自分を神のように思い込む──これはたしかに、自己愛の究極の姿ですね。
 須田 そうなると大変です。
 すべての人が自分の権威を疑い、否定するのではないかという不安につねにさいなまれ、敵愾心と猜疑心の塊のようになる。それがますます″狂気″をひどくする。話しているだけでも疲れてしまいます(笑い)。
 池田 ″悪の心理″への一つの洞察だね。パスカル(十七世紀フランスの哲学者)が言うように、「天使を気取ろうとする者が、けだものになりさがってしまう」(『パンセ』田辺保訳、角川文庫)のです。
 人間は人間以上になれない。あくまで「人間として」「凡夫として」生ききることが正しいのです。
 斉藤 自分を、人間以上のものに見せかける──僣聖増上慢に必要なのは、そのための「民衆との距離」です。人里離れた「阿練若に在って」というのも、その意味からも興味深いですね。
 だからこそ彼らは、「皆が仏である」という法華経の″民主的″な思想が許せないのではないでしょうか。
 仏は″そう簡単にはなれない″存在でなければならない。仏を民衆の手の届かない存在に奉るほど、民衆と仏との間をつなぐ自分の権威が高まる。僣聖増上慢は、いわば仏を″独り占め″しようとしていると言えるのではないでしょうか。
 須田 特別な秘伝がなければ成仏できないとして、大聖人と民衆の間を遠ざけようとした日顕宗も同じですね。
 遠藤 まるで、値をつり上げる悪質な″仲買人″ですね。
10  本来、大聖人の仏法は「受持即観心」「直達正観」で、御本尊と自分がダイレクト(直接)に、一体になれる仏法なのですが、それをゆがめて、御本尊と民衆の間に、自分たちが立ちふさがろうとしたのです。
 池田 大切なのは「信心」です。正しい信心を教えてくれる人です。信心も修行もなく、権威だけをふりまわす僧侶は、永遠に大聖人の仏法には必要ないのです。
 偽善者は、あらゆる手段を使って、自分を高く立派にみせようとする。
 あの提婆達多が、まさにそうだった。極端な戒律を唱えて、自分を釈尊以上に高潔にみせようとしたのです。
 遠藤 提婆達多は、釈尊に向かって、五つの厳格な戒律を定めるように迫っています。
 師の教えが生ぬるいと批判し、教団内での自分の地位を高めるための策略でした。
 そのことによって、じつは自分を実際よりも高く見せることにねらいがあった。提婆達多は、師である釈尊になり代わって、「新仏」つまり新しい仏陀になろうとしたのです。
 池田 私どもは「ありのまま」でいいのです。凡夫そのままの「無作むさ」でいくのです。久遠の凡夫のまま「つくろわず・もとの儘」で、自体顕照していけばよい。
 本当の仏は飾らない。三十二相八十種好ではない。見栄で飾るのは「僣聖」のすることです。法華経の文底の仏は、凡夫の仏です。本地は仏でも、姿・行動は菩薩です。菩薩仏です。偉ぶらない。そして民衆の中で、民衆と苦楽をともにしていくのです。
 須田 自分を飾る「僣聖」のナルシシズム(自己陶酔)とは、まさに対極にありますね。
 遠藤 先のフロムは、こう言っています。
 「『自己のナルチシズムを克服することは人間の目的である』。おそらくこの原理が仏教以上に徹底して表現されているものはほかには無いだろう。(中略)仏陀の教義における『悟りをひらいた人』とは、自己のナルチシズムを克服し、完全に悟りの境地に達した人のことなのである」(前掲『悪について』)と。
 池田 鋭い指摘だね。
 「人間革命」とは、「自己との大闘争」であるといってよい。
 具体的には、不惜身命で難と戦っていくことです。難を受け、難と戦ってこそ、自身の「元品の無明」を断ち切れる。それ以外に、真の成仏はありません。
11  偽善の陰で私腹を肥やす良観
 須田 大聖人ご在世当時で言えば、極楽寺良寛こそ「僭聖」の典型です。橋の建設などの社会事業やハンセン病患者の救済などの慈善事業を行い「生き仏」「菩薩」のように崇められていたようです。
 斉藤 しかし、大聖人は、その仮面の裏に隠された本質を鋭く見抜かれていた。
 「今の律僧の振舞を見るに布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす(中略)次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や」と。
 資料によると、良観が諸国で架けた橋は百八十九ヵ所、敷設・修復した道路は七十一ヵ所、掘った井戸は三十三ヵ所に及んだと伝えられています(吉田文夫『忍性の社会事業について』、中尾堯・今井雅晴編『重源 叡尊 忍性』所収、吉川弘文館)。また極楽寺は、東海道から鎌倉に入る要所にありました。良観は、鎌倉に入る主要な街道の関所で、「通行税」を人ごとに徴収していた。これが「人別の銭」です。
 遠藤 それだけではなく、海路の要所であった飯嶋や六浦の港でも関米を取り立てていた。恐らく莫大な利権だったと思われます。
 斉藤 大聖人のご指摘を裏付ける話ですね。
 良寛らは、慈善事業の一方で、高価な品々を買い求めたり、財宝を蓄えて、金貸しを営んでいた。通行税や土木事業で利益を得てたのでしょう。この通行税の徴収が、どれほど庶民を苦しめていたかを大聖人は厳しく指摘されています。
 遠藤 実際、中世の関所に関する研究によると、当時の関所が庶民の生活を圧迫していたことは事実のようです。そのために、後の十五世紀ですが、土民一揆が起きたことさえありました。(相田二郎著『中世の関所』有峰書店、参照)
 池田 いずれにしても、持戒第一の姿には程遠いね。当時の鎌倉の様子を伝えるものとして、都の宮中の女性が綴った日記の「とはずがたり」(問はず語り)がある。
 ここに、著者が諸国遍歴の旅に出て、鎌倉を訪れた印象を綴っている個所がある。大聖人ご入滅後の時ですが、当時、良観は七十三歳で、世間的に最盛期にあったころです。
 彼女は、京都から鎌倉に来てみると、鎌倉の狭苦しい生活ぶりを侘びしく感じたという。ところが、極楽寺に来ると、僧侶の振る舞いに都の風情を感じ、懐かしく思ったと記している。
12  斉藤 極楽寺の僧侶が、貧しい市井の庶民とはかけ離れた優雅な生活をしていたという事実が想像できますね。
 池田 そう。大聖人は、良寛の姿について「身には三衣を皮の如くはなつ事なし」と仰せです。質素そうな振る舞いを見せている。
 しかし、これは世間向けのポーズに過ぎない。実際は権力と癒着して、関所での銭貸の徴収権といった利権を握り、民衆を苦しめていた。まさに「利養に貧著する」姿そのものです。僭聖増上慢の実体です。
 また本来僧侶の「衣」は、民衆のために働く「作業服」です。それが「権威の衣」となっては転倒です。
 須田 医師の白衣、弁護士や政治家のバッジなども、権威の衣となり、権威のバッジとなる転倒が見られますね。
 遠藤 良寛が本性をむきだしにしてきたのは、文永八年の祈雨の勝負で大聖人に敗れてからです。
 斉藤 「良寛が敗れた場合は、大聖人の弟子になる」という約束でしたが、良観は約束を守るどころか、陰に回って大聖人迫害の裏工作を図っていくのです。
 遠藤 まず手初めに、浄光明寺の僧・行敏に大聖人と法論させようとしました。これに対して大聖人が、「私的な法論ではなく、正式な公場対決にすべきである」と主張されると、良観らは行敏の名で、大聖人を誹謗する訴状を門注所(裁判所)に提出させます。
 大聖人は、これが良観の企みであることを見抜かれて、良観が諸国の守護や地頭らに「日蓮とその弟子等は、阿弥陀仏を火に入れたり、水に流したりしている」(御書一八二ページ、趣意)と讒言し、「頸を切って、所領を追い出せ」(同ページ)と言ったことを指摘されています。「ウソを広めて迫害させる」という手口です。
 斉藤 「頼基陳状」によると、良観らが「大聖人を死罪にせよ」と訴状まで提出し、その動かぬ証拠を大聖人は手に入れておられたようです。
 池田 良観は、持戒第一とうたわれ、殺生禁断を人々に説いていた。いわば虫も殺さぬはずの人間が、大聖人を殺すように訴えていた張本人だった。これが「生き仏」の実態だったのです。
 斉藤 良観の場合、当時、ほとんどの人は「僭聖」の正体を見破れませんでした。今でさえ、良観はどちらかというと尊敬されています。まして鎌倉時代の人たちにとってみれば、″あんなにすばらしい良観さまのことを悪しざまに罵る日蓮房は許せない″ということになったのでしょう。
 遠藤 そうですね。「本当は何が正しいのか」という探求ではなくて、単なるイメージに動かされる。現代のマスコミの多くも、哲学がないから、情報はただの商品となる。売れるためには、人々の興味を引けばなんでもよい、という姿勢です。
 斉藤 結局、民衆が賢くなるしかない。僭聖増上慢が思い通りにできない世の中を、民衆がつくるしかありません。
 池田 いつの時代にも、多くの人にとって侵しがたいタブーがあるものです。
 権威ともいってよい。その仮面の陰に隠れるのが「僭聖」なのです。その「権威」は宗教とは限らない。時と場所によって変わるでしょう。
 それにともなって、僭聖増上慢の現れ方は変わりますが、方程式は同じです。つねに、その社会の″聖なるもの″を利用して法華経の行者を迫害するのです。
13  遠藤 現代の「僭聖」について、戸田先生は、こう言われています。
 「世間の人々に指導者として信頼される学者および評論家、文学者、および世の指導機関たる一流の日刊新聞の論説などが、その利益および感情等のために官憲等と結んで、下種仏法とその広宣流布への活動に強く攻撃を加える時が現れるとすれば、第三類の強敵出現と断ずることができるであろう」(『戸田城聖全集』6)と。
 斉藤 たしかに現代においては、″聖なるもの″は、いわゆる宗教とは限りません。
 トインビー博士は、十七世紀におけるキリスト教の後退によって西洋に生じた″空白″は、三つの別の信仰の台頭によって埋められたと、先生との対談で語っていています(『二十一世紀への対話』本全集3)
 第一は、技術、科学面における進歩の必然性への信仰。第二はナショナリズム(国家主義)、第三は共産主義であると。
 池田 そう。トインビー博士は、その三つとも行き詰まりを見せている、と言われていた。そして、だからこそ人類の未来の宗教、つまり、新しい宗教が必要だというのが二人の結論でした。
 遠藤 この連載の冒頭を思い出します。哲学の空白時代だからこそ、人々は真空に耐えられず、新たな結合の原理を求める。そこで民族主義や様々な宗教が広がっている、と。
 須田 ″聖なるもの″は、社会の結び目なんですね。それなくしては、社会が成り立たない。
 池田 トインビー博士の話を要約すれば、近代西欧は、宗教をもつことをやめたのではなく、もつところの宗教を変えたのだということになる。いつの時代でも″聖なるもの″がなくなることはありません。形を変えるだけなのです。
 須田 フランスの社会心理学者は語っています。「どの社会も、その社会にとって欠くベからざる神々をそれぞれの時代にみずからの手に入れるために必要な、一切のものを持っている。そして、科学が、社会から神々を免除し、宗教に変わる何らかの代替物を創り出すことのできる時代が来ることは、決してあるはずがないように思われる」(セルジュ・モスコヴィッシ著『神々を作る機械』古田幸男訳、法政大学出版局)
 斉藤 日本では、戦前は一種の宗教国家でした。戦後にあっては、「経済」が″聖なるもの″だったかもしれません。
 池田 しかし、人々を幸福にするための経済が、いつしか経済発展そのものが目的となってしまった。
 「人間のための経済」ではなく、「経済のための人間」になってしまった。こうした転倒は、医療、学問、政治、科学、教育、その他、あらゆる場合に起こりうる。事実、起こっている。この転倒を、すべて「人間のため」に引き戻す″原点″が法華経なのです。
 遠藤 本当の「人間のため」「人間の尊厳」が確立していないと、その時代の″聖王なるもの″を信じているうちに、いつしか″聖なる仮面をかぶった僭聖″に支配されてしまいます。その端的な例がファシズムです。気がついた時は手遅れです。
 須田 ある日本の哲学者が言っていましたが、軍国主義の一番最後に来たものが一番最初に来ておれば、かなり多くの人が抵抗しただろう。気がついた時には遅かった、と。
 池田 「僭聖」の正体を民衆に暴くことが大事なのです。一部の人が目覚めただけでは、社会は変わりません。
 だから、行動を起こして僭聖増上慢をあぶり出すしかないのです。煎じ詰めれば、その社会の人々が、法華経の行者を捨てるか、僭聖増上慢を捨てるかです。
 法華経の行者を捨てた社会は、僭聖増上慢に操られたまま、結局は亡国の道をたどっていかざるをえない。そうならないために闘うのです。「三類の強敵との戦い」は即「立正安国の戦い」なのです。
14  殉教こそ宗教の生命
 池田 全体主義の迫害と戦ったシュテファン・ツヴァイク(オーストリアの作家)は書いています。
 「ある思想がこの地上で本当に生きたものとなるのは、その思想のために生き、その思想のために死ぬような証人や確信者を、その思想がみずからのためにつくりだすことによってはじめて可能だ」(『権力とたたかう良心』高杉一郎訳、『ツヴァイク全集』17、みすず書房)と。
 「殉教者」こそ、宗教の誉れです。教団の礎です。「殉教」の心がなくなった時から、宗教の死が始まるのです。
 遠藤 その心が、勧持品の肝要ですね。
 池田 三類の強敵は、宗教のために他人を迫害し、殺そうとする。それと反対に、法華経の行者は、信仰のために自分が死んでいこうとする。
 象徴的に言えば、人を火あぶりにするの僭聖増上慢です。それに対して、社会を救うために、自分が火刑に赴くのが法華経の行者です。大聖人がそうであられた。牧口先生、戸田先生がそうであられた。戸田先生はよく言われていた。「三類の強敵よ、早く出でよ。その時こそ、ともに喜び勇んで、敢然と戦おうではないか」と。
 勧持品二十行の偈で、菩薩たちは「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」(法華経四二〇ページ)と誓っています。不惜身命の人が成仏するのです。今、一人立つ死身弘法の人が仏になるのです。
 斉藤 「たとえ一人になっても」──ハワイでの講演で先生が引かれた、ガンジーの言葉にもありました。「たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給え! 世界から血走った眼で睨まれようとも、君はまっこうから世界を見すえるのだ」(″The*Collected*Works*of*Mahatma*Gandhi*Online,*vol.83″*Publications*Division,*Ministry*of*Information*and*Broadcasting,*Goverment*of*India,*Navajivan*Trust)
 この後、講演を受けて、コロンビア大学のサーマン教授は語られました。
 「世界が平和であるためには、暴力によって死ぬことを決意している人よりも、非暴力のために喜んで死のうという人が、もっと多くならなければなりません。それこそ、まさに、池田会長が『人間革命』と呼ぶものの核心なのです」(ボストン二十一世紀センター「ニューズレター」第三号)
 私どもも、今こそ弟子として、敢然と正義を「師子吼」してまいります。

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