Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第8巻 「清流」 清流

小説「新・人間革命」

前後
47  清流(47)
 ある時、沼山三重子は、かつての婦人部長である、清原かつを訪ねて来た。
 清原は、その変わり果てた姿に、息を飲んだ。
 体はやつれ、顔色は青黒く、生気は全くなかった。
 三重子が、弱々しい声で、喘ぐように語ったところでは、癌に侵され、しかも、転移してしまっているとのことであった。
 彼女は、深々と頭を垂れて言った。
 「学会にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。もう一度、もう一度、学会員にしてください……」
 病に苦しみ、死を見すえた彼女は、学会に敵対し、仏法に違背した罪の深さに、気づかざるをえなかったのであろう。
 仏意仏勅の団体である創価学会の組織を撹乱し、反旗を翻した罪はあまりにも重く、限りなく深い。
 大聖人は「法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む」と仰せである。
 かつて教学を学んだ彼女は、病苦のなかで、わが身の罪業の限りない深さに気づき、恐れおののき、地獄の苦にあえぎ続けていたにちがいない。しかも、その業苦は、生々世々にわたることであろう。
 清原は、哀れ極まりない沼山三重子の姿を目の当たりにすると、胸が締めつけられ、怒る気にもなれなかった。そして、あまりにも厳しい仏法の因果に慄然とした。
 清原は言った。
 「懺悔滅罪のお題目よ。ともかく、命ある限り、御本尊に、罪をお詫びし抜くしかないでしょ」
 しかし、ほどなく三重子は他界している。無残な末路といわざるをえない。
 人は騙せても、自分は騙せない。また、自分は騙せても、仏法の法理をごまかすことは絶対にできない。
 生命の因果の法則の審判は、どこまでも厳格であり、峻厳であることを知らねばならない。
 広宣流布の航海は、波瀾万丈である。疾風もある。怒涛もある。嵐もある。
 しかし、風を突き、波を砕き、ただひたすら、前へ、前へと、進み続ける以外にない。
 あの地にも、この地にも、苦悩の岸辺をさまよい、われらを待ちわびている、数多の友がいるからだ。
 山本伸一は、来る日も、来る日も、広布の舵を必死に操りながら、「本門の時代」への前進の指揮をとり続けていた。
 希望の帆を張り、勇気の汽笛を、高らかに轟かせながら。
 (この章終わり)

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