Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第8巻 「布陣」 布陣

小説「新・人間革命」

前後
45  布陣(45)
 奄美の夜は、刻々と更けていった。
 時刻は既に、午前零時を回っていた。しかし、山本伸一は、まだ揮毫の筆を置かなかった。
 二十三日の朝、彼は奄美の友の学会歌の合唱に送られ、名瀬の港を発った。帰りも船で徳之島まで戻り、そこから空路、鹿児島に向かった。
 鹿児島の空港に着いたのは、午後五時半であった。そこで飛行機を乗り継ぎ、宮崎に飛んだ。この日の夜、宮崎県公会堂で行われる、宮崎総支部幹部会に出席するためであった。
 伸一の疲労は極みに達していた。しかし、彼はここでも、創価学会の発展は″地涌の義″であることを訴え、全力で参加者を指導した。更に、終了後は、第二会場となっていた県の教育会館にも姿を見せ、メンバーを励ましていった。
 参加者は、はつらつとした山本会長の姿からは、彼の激闘も疲労も、想像することはできなかったにちがいない。
 伸一は「日興遺誡置文」の「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」との御文を命に刻んできた。
 それは裏返せば、身命を捨てて随力弘通する人びとによって、広宣流布は初めて可能になることを述べられた御指南でもある。
 恩師戸田城聖は、まさにこの御遺誡を身をもって示し、会員七十五万世帯の達成という壮挙を成し遂げて世を去った。
 伸一は、広宣流布という「人類の幸福」と「世界の平和」の実現に、いっさいを捧げたこの恩師の精神を、自分が体現し、伝え抜いていくことを心に深く深く誓っていた。
 精神の継承とは、観念の世界でなされるものではない。行動、振る舞いを通して伝えられ、受け継がれていくものだ。
 それゆえに彼は、一瞬一瞬に命をかけた。全魂を注いだ。
 精神とは、瞬時の、今の行動として現れるものであるからだ。
 彼は痛感していた。
 ″本部、総支部など、組織の布陣は着々と整いつつあるが、そこに魂を吹き込むのは精神の布陣である。
 戸田先生の精神を受け継ぎ、常に「師はわが胸にあり」と言い切れる、まことの師子が勢揃いする日が、先生の七回忌でなければならない″
 彼は、先駆けの走者として、ただ一人、力走に力走を続けた。後に真正の同志が、二陣、三陣と続くことを信じて。

1
45