Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第8巻 「布陣」 布陣

小説「新・人間革命」

前後
44  布陣(44)
 「皆さん、ご苦労様!」
 奄美大島会館の広間に待つ遠来の友に、山本伸一は力強く呼びかけた。
 「皆さんは、ここに来るまで、どのぐらいかかったんですか」
 伸一が尋ねると、与論島のメンバーが元気な声で答えた。
 「はい、海がシケていたもので、三十八時間かかりました」
 「そうですか。疲れたでしょう。
 この会館は、皆さんの会館ですから、ゆっくり休んでいってください」
 伸一の激励が始まった。 彼は、メンバーの求道の心を称えた後、最高の仏法に巡りあえた喜びを胸に、生涯、不退の道を貫き、皆が「私は、こんなに幸福になれました」と言える、境涯革命を成し遂げてほしいと語った。
 それから、一人ひとりに言葉をかけながら、固い握手を交わしていった。
 ある老婦人には、「いつまでも、いつまでも、長生きをしてください。元気で健やかにいること自体が、仏法の正しさの証明になります」と励ましを送った。
 ある青年には、「これからは君たちの時代だ。力をつけ、立派な指導者になっていくんだ! 沖永良部の大リーダーに」と訴えた。
 握手をしながら、決意を語る壮年がいた。目頭を潤ませ、功徳の喜びの報告をする婦人もいた。
 おざなりの激励では、人の心を揺さぶることはできない。伸一は一言一言に、一回一回の握手に、全魂を注ぎ、一人ひとりを抱き締める思いで激励を続けたのである。
 二十分ほどかかって全員と握手をし終えた時には、彼の右手は痺れていた。
 夕食後、伸一は、奄美総支部の幹部と懇談し、更にそれから、同志の代表に贈るために、色紙に毛筆で、恩師戸田城聖の和歌を次々と認めていった。
  辛くとも
    嘆くな友よ
      明日の日に
    広宣流布の
      楽土をぞ見ん
  一度は
    死する命ぞ
      恐れずに
    仏の敵を
      一人あますな
  いざ往かん
    月氏の果まで
      妙法を
    拡むる旅に
      心勇みて
 一人ひとりの発心と大成長とを祈り念じて、命を振り絞るようにして書いた、励ましの揮毫であった。
45  布陣(45)
 奄美の夜は、刻々と更けていった。
 時刻は既に、午前零時を回っていた。しかし、山本伸一は、まだ揮毫の筆を置かなかった。
 二十三日の朝、彼は奄美の友の学会歌の合唱に送られ、名瀬の港を発った。帰りも船で徳之島まで戻り、そこから空路、鹿児島に向かった。
 鹿児島の空港に着いたのは、午後五時半であった。そこで飛行機を乗り継ぎ、宮崎に飛んだ。この日の夜、宮崎県公会堂で行われる、宮崎総支部幹部会に出席するためであった。
 伸一の疲労は極みに達していた。しかし、彼はここでも、創価学会の発展は″地涌の義″であることを訴え、全力で参加者を指導した。更に、終了後は、第二会場となっていた県の教育会館にも姿を見せ、メンバーを励ましていった。
 参加者は、はつらつとした山本会長の姿からは、彼の激闘も疲労も、想像することはできなかったにちがいない。
 伸一は「日興遺誡置文」の「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」との御文を命に刻んできた。
 それは裏返せば、身命を捨てて随力弘通する人びとによって、広宣流布は初めて可能になることを述べられた御指南でもある。
 恩師戸田城聖は、まさにこの御遺誡を身をもって示し、会員七十五万世帯の達成という壮挙を成し遂げて世を去った。
 伸一は、広宣流布という「人類の幸福」と「世界の平和」の実現に、いっさいを捧げたこの恩師の精神を、自分が体現し、伝え抜いていくことを心に深く深く誓っていた。
 精神の継承とは、観念の世界でなされるものではない。行動、振る舞いを通して伝えられ、受け継がれていくものだ。
 それゆえに彼は、一瞬一瞬に命をかけた。全魂を注いだ。
 精神とは、瞬時の、今の行動として現れるものであるからだ。
 彼は痛感していた。
 ″本部、総支部など、組織の布陣は着々と整いつつあるが、そこに魂を吹き込むのは精神の布陣である。
 戸田先生の精神を受け継ぎ、常に「師はわが胸にあり」と言い切れる、まことの師子が勢揃いする日が、先生の七回忌でなければならない″
 彼は、先駆けの走者として、ただ一人、力走に力走を続けた。後に真正の同志が、二陣、三陣と続くことを信じて。

1
44