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日蓮大聖人・池田大作

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寂光山妙国寺移転新築落慶入仏法要 「信」という確たる原理

1974.9.1 「池田大作講演集」第7巻

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1  ここ「寂光山妙国寺」の移転による新発足に対し、ひとことお祝いの言葉を述べさせていただきます。まことに良い場所に、現代的な立派な寺院として、いちだんと発展いたしましたことを、まず御法主上人猊下に対し奉り、心からお喜び申し上げます。ほんとうにおめでとうございました。また、ご住職の早瀬尊師に対しましても、衷心よりお祝い申し上げます。おめでとうございました。
 本寺院は、いままで豊島区千早町にありましたが、開創は昭和七年十一月と申しますから、宗門としては歴史の新しい寺院でありました。千早町の方は、建物も小さく、周辺の道路も狭く、そうした制約のためになにかと不便でありましたが、ここ板橋区高島平へ移転して実に伸びのびといたしました。地域としても、この界隈は新興の団地や住宅街がありますし、地涌の菩薩の活躍の点からいっても、またこれからの教勢の発展のうえからしても、ひじょうに適切な移転であったと感ずるのであります。
 人生においては「時」をえれば勢いを増し、「所」をえれば安泰である、と申します。これに類して申しますならば、この妙国寺は昭和初年に「時」をえて出現し、ただいま「所」をえて磐石なる安泰を獲得した、と申し上げたいのであります。
 加うるに、ご住職は新進有為の青年の尊師でありますし、以上いろいろ好条件がそろっていると、私は信ずるのであります。本日は、早瀬総監がおみえにならないことがまことに残念でありますが、どうかご住職におかれましても、また当寺院所属の皆さまにおかれましても、一層模範的な「僧俗一致」の実をあげて、立派に護持し、見事に発展していきますよう、心からお祈りするしだいであります。
2  僧俗一致について
 ともあれ「僧俗一致」とは、いったいいかなるものでありましょうか。もちろん、それは御書にお示しのごとく、三世にわたって妙法蓮華経の信心の血脈を離れず、この生死一大事の血脈を共通の基盤として、自他彼此の差別心、疎外心を克服して、水魚のごとき異体同心の関係に生きぬいていくことでありましょう。そして、このことは僧俗おのおのが、よって立つべき社会的位置関係を、地ならしして均一化してしまうこととはまったく違うようであります。
 ご住職には「SA340E」という、宗義継承の大任がございます。また、大御本尊を厳護申し上げるという本来の立場がございます。
 そして、ここに参集の皆さん方には「SA341E」というとおり「信心清浄にして、外護の任に努める」という本来の立場があります。
 この二者が、よく合致してはじめて「SA342E」となってまいるのでございます。これは涅槃経の文でありますが、大聖人の特に強調あそばすところでありますし、私ども信仰に生きる者の、社会を結びつけている基本的な原理、原則と申すべきでありましょう。そして、これは互いに誠実さを交換しあっていくということを内容とした、相互信頼での補完関係であります。
 人間倫理の理想の、同時に二つの働きをあらわすべきであると申します。つまり、人人をよく結びつけて、好ましい社会をつくり、それでありながら、その人々に、自由を保証して独立人格にする――。このように、両面の働きをすること、そこに倫理の理想境がある、と申します。どうか「智の弟子」たるご住職と「清浄の檀越」たる当寺参詣の皆さま方とは、信心の血脈という大所、高所を同じくしながら、ますます誠実なる信頼のきずなを固めまして、立派に当寺寺院発展の歴史を築いていかれますよう、心からお願い申し上げるものであります。
 更に、ひとこと付け加えさせていただくならば、日本の一般仏教においては、その開祖、人師等の教義内容に、社会との往復交流がない、という事実であります。
 これに対し、日蓮大聖人の仏法は「立正安国論」に始まって「立正安国論」に終わる、といわれておりますように、仏法の功徳を、個人より更に社会全体に及ぼそうとなされた、大慈大悲に立つ唯一の大仏法である、ということであります。
 ゆえに、七百年後の今日においても、この御書のご精神を、説のごとくに実践し、その具体的なあらわれとして、社会との往復の大作業をなさなければならない、と信ずるのであります。
 しかし、その任はまことに難儀であります。また、だれが受けもつべきかといえば、いうまでもなく、これこそ檀越たる私どもの使命であります。この点、なにとぞご了解をお願いしたいと思うのであります。
3  「疑い」と「信」
 ただいま、日達上人猊下御導師のもとに、謹んで大御本尊に勤行・唱題申し上げたのでありますが「日女御前御返事」にこう申しておられます。「SA343E」と。
 しからば、この仏法の根本たる「信」とは何ぞや、と申しますと「疑い無きを信と曰う」とご教示であります。
 では、「疑い」の様相はいかに、となりますと、日寛上人は止観四の三種の疑い「一には自らを疑い、二には師を疑い、三には法を疑ふ」――この「三疑」をあげてお説きになっておられます。
 以下、このことについて、現代風にくだいて申し上げてみたいとぞんじます。
 止観の「三疑」を解説して「弘決四」には次のように述べられております。
 「疑うは過有りと雖も然も須く思擇すべし。自身に於ては決して疑うべからず。師法の二は疑って須く暁むべし。若し疑わずんば或は当に復邪師邪法に雑るべし。故に応に熟疑して善思し之を擇べ。疑いを解の津と為すとは此の謂也。師法已に正ならば依法修行せよ。爾の時は三疑は須く長く捨つべし云云」
 簡単に、省略して解説させていただきますと、最初の「疑うは過有りと雖も然も須く思擇すべし」という一句は、次の三つの疑い全部にかかっているようでありますし、その意味は「疑うという心理作用は、本来は決してよいものではない。しかし、認識の手段として使う場合は、有効な方法ともなるので、よく考えて、よい結論を選び取りなさい」というようなことではないかと考えるのであります。
 第一の自身の疑いは、三惑のうち無明惑から発する疑いであり「自分はとても仏道修行に耐えるような器ではない」とニヒルな自己否定におちいってはならない、という戒めであります。
 幸いに私どもは、広大無辺なる三宝の恩に浴して確信を増して励んでおりますが、このような自己否定的な絶望感は、現代の文明病の最たるものとして大都会を中心に広く人心をんでいる。それが昨今の世相といわざるをえません。
 “生きがいがない”という共通の声は、まさしくこの自身の疑いから発生したものと、私は思うのであります。それであるからこそ、民衆救済の広宣流布の活動が、絶対に必要なのであります。
 次に、第二、第三の「師」「法」に対する二つの疑いは、「法」には、科学、哲学、宗教、仏教にも大小権実さまざまございます。これにともなって、それらを説く「師」もさまざまであります。
 ついては、いずれを選び取るべきか。そのためには、手段として疑ってみ、比べてみ、浅深勝劣をはっきりさせる必要があるというのであります。
 その結果、科学や哲学は知識として有益であるが仏因仏種とは全く別のものであると理解し、明らかになればよいのであります。
 また、諸宗教についても「宗教の五綱」や「五重の相対」等の比較をつうじて、真実の「主師親」、ないし真実の正法は「人法一箇の文底の妙法なり」と判明すればよいのであります。
 こうして誤りない結論が出たならば「三疑」は永久に捨て去って「依法修行」つまり「如説修行」をせよ、というのが、その大意であり、「無疑曰信」とは、以上のような確たる基礎によって立つ信心のことである、と申されているのであります。
 「神力品」の「若しは経巻所住の処……皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり」との義にしたがって、本日ここに新生の「寂光山妙国寺」が出現いたしました。まことに立派な道場であります。
 この道場を中心として、首都・大東京の一角たるこの地域において、おおいなる唱題の声が仏事を成し、いちだんと人間革命、社会開発の大業が進んでまいりますよう、かつはまた皆さまのご健勝と、いついつまでも黄金の人生であれ、ということをお祈り申し上げて、お祝いの心とさせていただくしだいであります。本日は大変におめでとうございました。(拍手)

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