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日蓮大聖人・池田大作

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第1回全国鳳雛会 人間建設の道を不退の信念で

1973.5.3 「池田大作講演集」第5巻

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1  ごぞんじのように、きょうは、私が会長に就任しましてから、満十三年を迎えることになりました。この有意義な記念の日に、一期から六期までの鳳雛会の全員の諸君と、こうしてお会いできたことを、なによりもうれしく思っております。
 第一期の人は、もう社会へ出ていることでありましょう。六期の人のなかには、まだ高校の上級生である人もいるかもしれない。そして、あとの大半の方々は大学に在学中かとも思うのであります。
 いずれにせよ、この学会後継の鳳雛会、妙法の後継者である鳳雛会が発足して数年以上の歳月を経て、諸君たちは、それぞれに自己の信心をみがいてきたこととぞんじます。つまり、人間建設をしてくださったと、私は思っております。
 総じては、その信心の年輪こそが、なにものにもまして大切であるということを強調しておきたい。別しては、その信心してきた歳月において、いかに自分自身と対決してきたかということ。すなわち学会っ子らしく、学会のうず潮のなかへ決然と飛び込んで、いかに鍛練をうけてきたか。その結果、どれだけたくましい学会魂を会得したか。不退の信心をつちかったか。それが、問題であると思うのであります。なぜなら未来の果は、現在の因によって決まってしまうからであります。
 一言をもっていうならば、今日、諸君に強調しておきたいことは、“難を乗り越えて、大毒を大薬に変えうる信心”“いかなる難をも全部大薬に変えて、悠々と乗りきっていける人間”これを確立できたかどうかということを問題にしたいし、これからもまた、それを問題にしていっていただきたい、ということであります。
 創価学会は、初代牧口会長の時代も、二代戸田会長の時代も、良いときもあったし、悪いときもあった。末法というものは悪機破法の世であるために、よしあしがいつまでもいつまでも、つきまとうのは当然の道理なのであります。まったく同様に、第三代会長の私の時代も原理は同じであります。これからも同じであります。
 すでに日蓮大聖人のご在世すら、そうであった。その最大の難たる佐渡ご流罪の時などは、鎌倉の弟子檀が続々と退転しているのであります。この鳳雛会のなかにも、そういう人が何人かいるかもしれない。しかし、それはやむをえない。人間として自分自身に負けた人であります。人間建設を目標にしないで、自分自身と妥協して挫折したにすぎない、かわいそうな人であります。
 その佐渡の時代において、大聖人は世間の批判者と内なる退転者に対して、佐渡御書で次のように仰せになっておられます。
 まず、外部の批判者に対しては「SA216E」と仰せであります。
 謗法の法師たちが大聖人のお働き、すなわち宗教革命によって、自分たちの過ちが世間に露見したことを嘆いていたが、大聖人が流罪という難にあったのをみて、宗教家としての反省も、人間としての良心も忘れて、大聖人の流罪を喜んでいるという意味なのであります。しかし、その喜びは、ただ一時のことにすぎないというのであります。
 ことが過ぎ、すべてがまた宇宙のリズムどおりに運行しだせば、因果の理法の導くところ、こんどは「後には彼らが歎き日蓮が一門に劣るべからず」となってしまうのであります。この原理は、大聖人ご在世も、現在でも未来でも、厳然たる事実であります。
 諸君はこの御書を心肝に染めて、この原理を厳然とわが心に刻んで、将来に対処していっていただきたいのであります。諸君の将来は長い。さまざまな道程があるかもしれない。ゆえに、私は最初にこれを申し上げたのであります。
2  妙法後継の大鳳に育とう
 次に、この大法難に耐えかねて退転した人々については、次のように仰せであります。
 「SA217E」と。
 この御文によれば、退転者といっても、完全に信心と縁を切るといっているものばかりではなく、一応信心はしていながら、大聖人を我見で批判したり、敵になったりして、身はおちねども心はおちているような人もいるということになるわけであります。そうして、まだ完全に信心と縁を切っていない者は“大聖人は師匠ではあられるが強すぎてやり方がまずい。それでは身を滅ぼしてしまうではないか”と批判している。そして“自分たちは柔らかに、やりやすいように法華経を弘めて上手な行き方をしよう。自分の理論どおりにうまくやっていこう”――こういうようにいっている、という意味の御書であります。
 これらの批判者は、根本の妙法という原理、哲学というものは見失って、表面的な現象面だけをとらえて自分勝手な判断をしているのであります。当時も現在も同じであります。これからも同じような人が出ると思います。客観性のうえから加害者を批判すべきなのに、反対に、被害者の大聖人を批判している。これではまったくさかさまであります。このさかさまというものを、諸君は緻密に鋭く見破ってもらいたいし、自分はどちらのほうを、信心をもって批判していったらよいかということを、間違えないでいただきたい。
 こういうのを順世外道というのです。哲学者、また仏法学者としてはもっとも恥ずべき劣等的な日和見主義の人間をいうのであります。おそらく、大聖人門下のなかにいた利口者のなかから、こういう手合いが出てきたのであろうと、私は想像するのであります。学会批判についての原理も、まったくこれと同じであります。
 こんなことで自分の成仏、それから人の幸せ、社会の繁栄と平和、広宣流布というものができるわけがありません。悪世末法の社会を救済し、革命をしていこうなどという意思は、まったくないといっても過言ではありません。少し冷静な人であるならば、わきから見ていても一目瞭然のことであります。
 諸君も、そういう場合、縁に紛動されないでいただきたい。しかし、そうはいっても、人ごとだからこそそれが見える。もしも自分が当事者になったとしても、また現実にそのような場に遭遇したとしても、はたして心のなかにそういう思いが発生してこないかどうか。いたずらに世に妥協したり、同志を裏切ったり、学会を裏切ったり、というようなことが起きかねないかもしれない。
 人の心というものは、縁のままに変わりやすい。おまけに、理屈づけはどうにでもできる。ひじょうに怖いことであります。まことの時には動転して、大事を忘れやすいものであります。
 信心は、常時においては強弱の区別は見えません。正邪の姿は行動の奥深く隠れていて、表面までには出てこない場合が多い。しかし、突発的な非情の時に直面すれば、ハッとわれに帰り、内心の深みからいきなり自我が表に顔を出す。そのときに、その人の信心の真の姿、人間性の善悪がむきだしになるのであります。
 十界の自我のうち、どれが自分自身の生命の主導権を握って噴出するかというところに、平時の信心の大切な点があるのであります。水の信心という意義がそこにある。そこが人生における決定的な勝負の鍵でもあります。賢明なる諸君は、私のいわんとする意義をどうか深く知っていただきたいのであります。
 私は、諸君のなかに一人といえども、そういう悲劇の人生を断じて見いだしたくない。諸君こそ全学会の後継者であり、立場はそれぞれ違うかもしれないが、二十一世紀の世界を担っていく、担い手であると確信するし、そのために鳳雛会ができたわけであります。
 いつも会うことはできないけれども、私も毎日、鳳雛会のメンバーが大鳳になることを御本尊にご祈念しております。諸君の前途を守りきって、道だけは開いてこの世を送りたい。そのことを最高の楽しみ、最高の生命の財産、学会の財産、財宝として見守っているつもりであります。
 したがって諸君は、釈在世の舎利弗、阿難、また大聖人ご在世の四条金吾、南条時光等のような青年闘士として、立派な地涌の菩薩の道を貫いていってもらいたい。これしか青年時代に決め、しかも生涯の使命として果たして悔いのない道はないからであります。
3  世界を駆ける快馬に
 法華の血脈、成仏得道の肝要は、忍苦艱難のところにこそある、ということも忘れないでいただきたい。“革命は死なり”というぐらいでありますから、嵐と戦わずして総体革命がなるものではない。どのような時代になろうとも、根底にある法理というものは永遠に同じなのであります。そのように肚を決めて、前途を展望していただきたい。
 止観第五の巻に「快馬は鞭影を見るや正路に著く」という有名な句があります。駄馬は絶えずムチ打っていなければ、走るのを怠ってしまう。乗り手がしっかり手綱で御していなければ脱線ばかりする。しかし「三国志」に出てくる赤馬のような名馬であれば、いちいち手綱で操縦など必要としないというのであります。ムチの姿を見ただけでピタリと正しいコースについて、自発的に快走していくものであり、ムチ打たれる必要などまったくないというのであります。
 この本義は「快馬」とは求道の大士をさしていると思う。または名指導者になるべき鳳雛をさしていると、私はみたい。
 「鞭影」とは、一つは三障四魔であり、難である。当然、一つには仏が大慈悲によって与えた金剛の法である。それから「正路に著く」ということは、むずかしく天台流でいえば大禅定道のことである。端的にいうならば信心、御本尊であります。
 いま、それはさておいて、きょうだけはこの私の指導を、鞭影と心得ていただきたい。私は、諸君こそ赤馬にも勝る宇宙法界の快馬、全世界の快馬であると信頼しております。この原理にもとづいて、将来の学会のことは、その時になったらよろしくお願いしますと、心の底から諸君にとどめおくつもりであります。
 では、次の話に移りましょう。
 今日、集まった大半の人たちは、大学へいっているであろうし、また、いくことでありましょう。しかし、定時制の高校へいっている人もいましょうし、すでに社会へ出ている人もいるかもしれない。その人たちは、また、それでよいのであります。決して卑下する必要はありません。堂々と胸を張って、社会を闊歩していただきたい。
 「万葉集」をひもといてみても、なまじっか学問をした者の歌よりも、無学無名の農民が歌いあげた「東歌」のほうが、よほど生きいきとして立派であります。現在、国宝等になっている天平、白鳳の絢爛たる文化財は、いったいだれがつくったのか。学者やインテリがつくったのではありません。
 隣の中国においても、古代からギリシャ世界、インド文化圏とならんで、すばらしい一大文化圏をすでに築いておりましたが、そのころ、中国全土に、インテリが充満していたといえるか。いな、決してそうではありません。
 最高の教養の場に恵まれない無名の大衆が、知識人と力を合わせてつくったいっさいが文化でありました。いまは、時代が違うとはいっても、大学を出なければ、社会建設に貢献できないものでは絶対にない。また、生涯努力すれば、独学でも、通信教育でも、学問は自分しだいで、どうにでも会得できるものであります。世法においては、自分は自分の道をいけば、それでよいのであります。
 人材とは、学歴であがなえるものではない。人材は本人の厳しい自己研鑽の努力によって、自分の力でみがきあらわすものと知っていただきたい。

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