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日蓮大聖人・池田大作

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第21回女子部総会 生涯、笑顔で輝く未来を展望

1973.3.11 「池田大作講演集」第5巻

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1  本日は、はつらつたる第二十一回女子部総会、まことにおめでとうございます。今日は静かに一対一で語りかけるつもりで、話をさせていただきます。
 ともかくいまの世の中は、自分を解放するのに急で、人の不幸を担おうという寛大さがなくなってしまった。ところが皆さんにはそれがある。私はひじょうにうれしく思います。皆さんは日蓮大聖人の仏子です。その五体には妙法の尊い血脈が流れている。どうか現代女性の力をぞんぶんに発揮して、御本仏日蓮大聖人からおほめいただける生涯を貫いてください、と申し上げたい。そのためには力がいる。御書にも「SA184E」と仰せのとおり、唱題に唱題を重ねて、勉強もし、体験も積んで、力を養わなければならない。
 しかし、なにごとにせよ、男性のまねは必要ありません。自分に合わせて現代女性らしいセンスを駆使して信心の眼をとおしてやることであります。聡明な女性というものはここから築かれると思うからであります。
 そして、つねに明るく二十一世紀への本門の人生のひのき舞台へ雄々しく踊り出てください。日本だけにかぎらず全人類へあたたかく手をさしのべて、平和と歓喜の輪を力強く拡大し、所願満足して自他ともに幸せになりますよう、心から祈ってやみません。
 今日は講演というよりも、女性の生き方を皆さんといっしょに考えてみたい。これから申し上げる話は、どうか、そのような話として聞いてください。
 今日の総会は、皆さんの次の人生への晴れやかな旅立ちであります。ではいったい、どこから旅立つか、どこへ向かって旅立つか。原点と目標こそ大事であります。
 物理のデカルト座標ならば、原点はつねにゼロで、ゼロから出発いたします。理的抽象の世界ではそれでよい。だが事実の体験世界ではそれは違う。人の規範原点は虚無(ニヒル)や空無(ゼロ)であってはならない。我々はゼロではなくして、事の一念三千の確たる妙法の実有から出発するのであります。これは心強いことであります。
 水によって波を見、波によって水を知るように、信心の英知によって九界五濁の荒波を見通し、波荒き五濁との取り組みによって、仏界の醍醐味を獲得しつつ、進んでまいるのであります。
 所詮、私たちの目標は個人の幸福と社会の繁栄をめざす広宣流布であります。その皆さんの尊い活動に対して、私は次の五項目を提案申し上げ、よって長く成長の糧としていただきたいと願うものであります。
2  つねにみずみずしい“発心”
 第一に「発心」。人の生き方はむずかしい。社会は無限に複雑であり、人間は限りなくデリケートであります。宿命は底知れず深く、欲望は果てしなく膨らんでやみません。この深淵を直視したとき、われいかに対すべきか、賢者といえどもまよわざるをえない。逃げれば宿命は容赦なく追ってくる。強者といえども恐れざるをえない。それにもかかわらず、流されて不幸になってしまう。だからこそ日蓮大聖人が下種の妙法をお与えくださったのであります。
 皆さんは妙法をひたすらに信じぬいて、長い人生の旅路を歩んでいただきたい。そして生きいきとわが身の宝塔を開いていくことであります。そのためには、つねにみずみずしく「発心」を堅持していく以外にないのであります。
 単なる思いつきでは発心になりません。発心は人からすすめられてのことではない。自発自律の自由精神です。諸仏が因位において立てた誓願の精神です。皆さんもまた、一生成仏への因位に生きる女性であります。私は皆さんの発心に大きく期待してやみません。
 「経験豊かな女性になってみよう」――これは立派な発心です。一芸に秀でただけでは通用しにくい社会だし、それだけでは社会をリードすることができない。また男女の事実上の不平等は経済力と経験の差からきているようであります。堅実な経験をたくさん積んできた女性は頼もしい、とつねづね私は感じております。
 「苦労なにするものぞ、こちらから苦労を買って出よう」という発心も立派であると思います。北の政所は豊臣秀吉に天下を取らせ、逆には淀君はその天下を滅ぼしてしまいました。女性の力が主たる原因ではなかったにしろ、現実はそうなってしまいました。時代の推移は当然のこととして、そこにはどうしようもない賢愚の違いがみえる。この二人の女性の決定的な差は、経験の質と、量と、苦労の深みの点にあったように思えてなりません。
 未来に生きる皆さんは、苦労で自分をみがいていこうと決めたほうが聡明ではないでしょうか。後でじめじめした苦労に泣くよりは、よほどそのほうが聡明です。朗々たる唱題のあるところ、苦労は必ずや皆さんに大福運をもたらすと信じてやみません。
3  徳性と実力備えた“進歩”を
 第二は「進歩」であります。経験上、私は明るい笑顔の女性は進歩し、愚痴っぽい女性は退歩すると思う。笑顔は生命力に余裕と活力を与えて進歩へ導く。皆さんは生涯、笑顔でいってください。
 いまは十九世紀的進歩主義の思潮が否定されている時代です。私は、だからこそほんものの進歩が必要だと思う。仏法では「進まざるを退転という」と教えております。政治進歩の手段たる革命の実例では、進歩の外延部分だけを騒いでしまうことが多くて、革命そのものは成功しても、肝心な民衆の幸せのほうが長続きしていないのであります。
 人間もまた似ております。学校へ行き、社会へ出て、交際の仕方を覚え、地位を上げ、収入も増やし、というふうに、いろいろな角度で進歩してはいきますが、進歩の外延部分だけが肥大して、いわゆる“ウドの大木”的なアニマルくさい人物になりがちです。そうなってしまうと、女性の場合、外見が美しいだけに、悲劇が深刻です。実例は週刊誌に山ほど出ております。新しい女性史を実現するには、進歩の外延部分を内包部分で強靱に裏づけなければならないでしょう。
 進歩ということは、ただ運動や変化した、というだけのことではありません。無効から有効へ、無意義から有意義へ、小から大へ、古さから新しさへ、単純から複雑へ、低級から高級へ、安物から高価な物へ、というふうに、下から上へと段階をのぼっていく価値尺度をもった変化であります。
 人生にせよ、社会生活にせよ、華麗な飛躍にあこがれずに、忍耐強く、努力でそれをのぼっていく。それでこそ内包と外延が相応した真の進歩が身につきます。内に徳性と実力なき進歩は、虚像にすぎません。いかに有名をはせても輝かないものであります。個性尊重をいくら呼号してみても、尊重に値するだけ進歩したかどうか。本格派といばってみても、それだけの進歩を示しつつあるかどうかが問題です。そうでないと生きがいも味わえないものである。
 世間の目は厳しいものです。大義を掲げ、正論を述べ、にこやかに呼びかけ、大きく行動してみても、それだけでは決定打になりません。世間は行動者自身の成長、進歩の度合いを価値尺度にして見ている、ということを忘れないでください。どうか志操堅固に、仲良く進まれんことを祈ります。

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