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日蓮大聖人・池田大作

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第12回学生部総会 崇高な信仰の人たれ

1970.7.5 「池田大作講演集」第3巻

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1  学生部は、創価学会の知性の代表であり、学生部諸君一人一人の存在は、現代世界の暗黒の夜空に輝く、希望の星であるといっても過言ではない。新生創価学会の主力となって立つものこそ、まさに諸君ら学生部であると、私は確信する。
 さる五月三日の第三十三回本部総会において、私は新しい十年を、創業、建設の時代を終え、完成、総仕上げの時代と規定した。そして、その活動の中心眼目として“大宗教運動”を根底とする教育、文化運動の展開を提唱した。
 これまで、広宣流布という新天地をめざして、まっしぐらに進んできた結果、原野を貫いて、一本の確たる道を築くことができた。これからは、この原野そのものを開拓し、農場をつくり都市を建設しなければならない段階に入ったのである。それは、線の開拓から、面の開拓への発展といってもよいであろう。そのためには、なんといっても、文化のあらゆる分野にわたる、広範な知識と深い英知が要請される。すなわち、妙法をたもった、真の科学者、医師、法律家、教育者、言論人、芸術家が輩出し、広大な文化運動を通じて社会に貢献しつつ、よりよき社会へと大変革していかなくてはならない。
 学生部諸君は、人類が過去数千年にわたって獲得してきた知的、文化的成果の結晶を学びとり、日々、研鑽している身である。諸君の自覚と決意、そして、その知識と技術をもって社会に貢献していく実践のいかんが、創価学会の死命を決するのみならず、人類の幸福と平和を決定づけていくのである。
 どうか、諸君は、己の誉れある立場を深く自覚し、大文化運動の主体者として、各方面に雄飛する大人材に育っていっていただきたい。その一助として、私は第十二回学生部総会を記念し、諸君に限りない期待を託しつつ、所感の一端を述べ、激励の辞としたい。
2  第一に「妙法の生命哲理への理解を更に深め、不動の確信に立つ信仰の人たれ」
 かつて、戸田前会長は「理は信を生み、信は理を深め、求めたる理は信を高め、高めたる信は理を深からしむ」と申され、日蓮大聖人の教えは、信があくまでも根幹であるとはいえ、有解有信をめざすべきことを教えられた。事実、大聖人は「SA073E」とまで断言されている。
 この日蓮大聖人の教え、戸田前会長の指導のごとく、創価学会においては、仏法哲理の研鑽に最大の力を注いできた。教学の研鑽は、各人の信仰を一層深いものとし、偉大な人間革命の潮流を巻き起こしてきたのである。        
 “信仰の人”といえば、表面は一見、古いように思えるかもしれないが、私は、それは現代人の傲慢が生んだ錯覚であるといっておきたい。
 信仰の人とは、真理を謙虚に求めゆく人であり、人間の尊さ、生命の尊厳を真実に知る人である。信仰は、宇宙と生命への確たる信念であり、英知の源泉として、人間精神の骨格をなすものである。崇高な信仰をたもつ人のみが、人間性の本源に立脚しつつ、生命のたくましい躍動をもって、正しく力強く人生を生きることができるのである。
 過日の本部総会において、私は、現代文明の根本的欠陥を人間性の喪失にあることを縷々述べたが、その根本を更に端的に指摘すれば、一言にて、信仰の喪失ということにほかならない。したがって、人間回復への唯一の道もまた、信仰の回復に尽きるのである。
 だが、かつて、多くの民衆の帰依を集めたキリスト教やイスラム教、釈尊以来の仏教も、二十世紀の現代では、急速に人々の信仰を失いつつあるのが、偽らざる実情である。現象面だけみれば、これは、信仰そのものの凋落を示すように思われるかもしれない。しかし、それらの現象の奥底を見きわめ、現代文明の欠陥に深く思いをいたすならば、信仰というもののもつ重要性は、決して変わってはいない。むしろ、ますます重みを増していることに気づくはずである。
 では、過去の諸宗教が、もはや現代人に呼びさますことのできなくなった信仰の心を、再び蘇らせることのできる宗教は何か。これこそ、日蓮大聖人の三大秘法の仏法であり、それを裏づけるものが、創価学会七百五十万世帯への発展と、仏法哲理の生きた応用、実践の姿なのである。
 日蓮大聖人の仏法は、生命の本源をあますところなく説き明かした、最高の生命哲学である。そしてそれは、生命存在の一つである人間にとって、自己自身を観照する唯一の道ともいえる。人間の英知は、外界のあらゆる事象に科学の光をあて、それらの実相を明らかにしてきたが、自己自身については、あてるべき光を知らないがゆえに、まったく無知なままできた。
 一人の人間の成長にあって、自我へのめざめが不可欠の過程であるように、人間が真の人間たるためには、人間それ自身への開眼がなくてはならない。この人間生命の本源を映し出す明鏡こそ、妙法の生命哲理にほかならないといっておきたい。
 学生部諸君は、この深遠きわまりない大生命哲学をつねに研鑽し、真実の英知の鏡をみがいて、最高の信仰の人――すなわち、めざめたる人であっていただきたい。
3  第二に「創価学会の使命を、主体的に分かちもつ、大宗教思想の偉大な革命児たれ」
 時代を画するいかなる革命も、多数の民衆の主体的意思の結集によって、はじめて成就できるのである。他から強制され、あるいは紛動されて動くのは、奴隷であり、無知の群集である。我々は、有智の団結であり、賢明な真の革命児のつどいでなくてはならない。
 なかんずく、英知をもって立つ覚醒部諸君は、一人一人が創価学会の使命をわが生命に深く刻み、創価学会の目標は自身の目標であるとの自覚に立っていただきたい。いかなる場にあっても、自己のゆくところに、学会の生命は脈々と躍動しているのだという、誇りある人生を貫いていっていただきたいと思う。
 創価学会の使命は、日蓮大聖人の仏法をもって、人間と社会の根本的変革を成就していくことである。その本質は、あらゆる人々を正しい仏法にめざめさせ、永遠不滅の幸福境涯に導くことにほかならない。したがって、この仏法思想による“革命”とは、一個の生命であっても、そこにすべてが含まれ、達成されるのである。
 マルキシズム等の社会革命、政治革命にあっては、個人の変革は、社会の全体的な革命への手段にすぎない。ゆえに、個人の運命は社会のために、小社会の運命は大社会のために吸収され、統合されていくものであって、その過程に生ずる犠牲はやむをえないものとされた。
 円融円満の仏法の法理には、犠牲はありえない。微塵たりといえども、そこに尊極の生命があり、大宇宙と等しい価値をもつのである。学会全体と学会員一人ひとりとの関係も、これと同じ原理である。これを自覚した人、そして、その自覚を実践として、生涯貫いた人こそ、真の学会人であり、真の地涌の菩薩である。
 大悪大善御書にいわく「SA074E」云云と。
 上行菩薩が大地よりおどりいでたとは、宇宙生命の大地の中から、使命の遂行のため、喜び勇んで出現したということである。主体性という問題の、本源的な解明が、ここに鮮やかに描かれていると私は考えたい。
 我ら学会人は、皆この地涌の菩薩である。しかして、その活動は、舞いをまい、踊るがごとく、歓喜に満ちあふれ、生命のしぜんの振る舞いでなくてはならない。
 いうまでもなく、現代文明の欠陥の根本は人間性の喪失であり、これを解決する革命とは、生命の本源に迫る宗教革命以外にない。宗教革命こそ、古くして新しい、人類普遍の永遠の課題といえよう。どうか、諸君は、人類文明の命運を決する、この光輝ある大宗教思想による根本的革命の頭脳であり、電源であるとの誇りを、生涯、貫き通していっていただきたい。

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