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日蓮大聖人・池田大作

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創価の母に万歳を!(下) 進もう!「賢者はよろこび愚者は退く」

2009.6.13 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   断固して
    この一生を
      勝ち抜けや
    幸福博士と
      賢き日々たれ
 それは、風薫る昨年(二〇〇八年)五月のことであった。
 アルゼンチンの人権活動家でノーベル平和賞受賞者であるエスキベル博士が来日され、多忙な日程を縫って、ご夫妻で創価大学を訪門されたのである。私と妻は残念ながらお会いできなったが、創大生らと有意義な交流のひと時をもたれた。その折、高名な芸術家でもある博士は、大切にされていた自作のデッサン画六点をお贈りくださった。
 いずれも女性や母子の像である。「正義のために戦う母」「愛するものを守り抜く母」を讃えて、わが創価の女性たちに贈ってくださった。
 その中に、大地の恵みを全生命で受け止めるかのような、どっしりとした女性の絵があった。先住民に伝わる「パチャママ」(母なる大地の象徴)を描かれたものであると伺った。
 実は、エスキベル博士にとっても、この″母なる大地″のような偉大な女性がいた。母方の祖母のエウヘニアさんである。私との対談集でも、博士は、「私の英雄」と敬慕されるおばあさんの思い出を語っておられる。(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所。以下、引用・参照)
 エウヘニアさんは、幼くして母を亡くしたエスキベル博士を温かく育み、純真な心深くに、絶大な影響を与えた存在であった。
 特に、彼女は、出会った相手が、善良な人なのか、うわべはよくても、本質は高慢な人間なのか、それはそれは鋭く、厳しく見抜かれていたという。
 この人は悪い人間だ──そう気づくと、彼女はエスキベル少年に忠告した。
 「その人には気をつけなさい。その人は正面からものを見ない。いつでも爪でひっかくよ!」
 「言いにくいことを言うさいに、あなたを正面から見なかったり、頻繁に顔をそむける人は、信頼してはならない。その人は怪しい人だ」
 人間の本質を突いた知恵の言葉である。
 目は「心の窓」だ。どこかにウソや悪意がある人間は、相手を正面から見ることはできないものだ。
 とりわけ、自分が世話になった恩人の目を、まっすぐに見ることのできない人間、また外面はよくとも、陰で何をしているかわからないような人間は、絶対に信用できない。
 ましてや、母親に顔向けができないような暗い生き方は不幸である。
 日蓮大聖人は、「仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや」(御書192㌻)と仰せである。
 青年は、母という太陽を胸中に抱さながら、正々堂々と生き抜いてほしい。
 民衆の英知を象徴するような祖母に育まれたエスキベル博士は、SGIの女性に対して、限りない期待を寄せてくださった。
 「皆様が人類的な諸課題を的確に理解すべく、問題解決への担い手、つまり価値創造の主役たらんとされているのは、喜びにたえません。
 女性が主体者となり、平和の体現者となる。これこそ現代の希望といえるでしょう」
 創価の女性の連帯こそ、光り輝く「現代の希望」であり、「未来の希望」なのである。
2  エスキベル博士と、初めてお会いしたのは一九九五年(平成七年)の十二月。この時、博士から往復書簡等で対談を続けたいとの要請をいただいたのである。
 博士は、帰国に際して、私に伝言された。
 「私は、私が信頼する人が非難され、悪口を言われ、圧迫を加えられている時は、その人に何も言いません。しかし、その人が、誰からも非難されなくなった時は、(それは闘争をやめたことを意味するゆえに)私は不満を述べるでしょう」
 そして、かの『ドン・キホーテ』の物語に由来する素晴らしい箴言を贈ってくださったのである。
 「犬どもが吠えている。それは、我々が馬に乗って進んでいる証拠だ!」と。
 不思議にも、私は、エスキベル博士だけでなく、たびたび世界の友人から、この同じ箴言を贈っていただいた。
 ──ローマクラブのホフライトネル名誉会長、ブラジルの音楽家ビエイラ氏、チリのインファンテ前駐日大使などである。
 信念の魂は共鳴する。
 ともあれ、御聖訓には「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同1091㌻)と仰せである。この御書を、現代において、不退の賢者として、身で読んでいるのが、私たちなのである。
3  三十数年前、アルゼンチンでは、軍事政権の手で、多数の市民が、次々に行方不明になった。犠牲者は三万人に上るともいわれる。
 エスキベル博士自身も、十四カ月もの投獄を耐え抜いた人権の闘士である。
 この博士が拘束された時、アマンダ夫人の勇気と機転が、博士の生命を救うきっかけとなった。
 知らぬ存ぜぬで闇に葬ろうとしていた軍部政府に対して、公衆の前で、夫人は敢然と真実の声をあげた。
 「夫はこの場所で逮捕されたのです!」
 この夫人の叫びにより、軍部も、しぶしぶ博士を逮捕したことを認めざるを得なくなった。つまり「行方不明」を装うことができなくなったのである。
 かつて私は、日本を代表する作家の一人、井上靖先生と往復書簡を交わした。
 その中で氏は、明暗さまざまな舞台に主役となって登場する人も皆、母親のおなかから出て、生い育った人間であると強調された。そして、こう綴られた。
 「地球上の現実に対して、烈しく抗議する資格のあるのは、おそらく母というものであり、それ以外にはないのではないか」(『四季の雁書』。本全集第17巻収録)
 「生命の世紀」「人権の世紀」「女性の世紀」を築きゆくためには、断然、女性が声をあげることだ。
 沈黙は迎合であり、屈服を意味する。
 母には、声をあげる権利がある。その母の叫びに勝るものはない。まして、偉大なる女性の声、創価の母の正義の声を封じ込めることは、絶対にできないのだ。

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