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日蓮大聖人・池田大作

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青年の陣列の拡大(下) 青年部 勝鬨あげて 青春飾れや

2008.2.10 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  フランスの作家アンドレ・モロワは断言した。
 「ただ単にいまある人材を活用するのみならず、新しい人材を養成することこそが、指導者の義務」(『人生をよりよく生きる技術』中山真彦訳、講談社)であると。
 全く、その道りだ。
 いかなる組織であれ、多彩な人材が生き生きと活躍しているかどうか。また、新しい人材が陸続と育っているかどうか──ここに、リーダーの本当の力量が現れる。人材を出せないのは、どこかに慢心や見栄、保身があるからだ。
 だからこそ、まずリーダー自身が、自己の壁を破り、新たな自分へと成長していくことだ。勇敢に、人間革命していくことだ。
 「人材・拡大」に渾身の力を注いでいた昭和二十八年の二月、私は日記に書いた。
 「先生に、かくれた吾等の団結と、成長を、いつの日か見て戴こう」
 さらに、「自己が先駆をきり、模範とならねばならぬ。この一年、飛躍することを、自身に誓う」(『若き日の日記』本全集第37巻収録)と。
2   この青春
    断固生き抜け
      この人生
    厳と勝ち抜け
      仏のごとくに
 私が対談集を発刊した、ローマクラブの創立者ペッチェイ博士は、若き日、投獄され拷問されても、同志を裏切らず、暴虐なファシズムと戦い抜いたレジスタンス(抵抗運動)の闘士であった。
 博士は語っておられた。
 ──信頼できる同志の「小さな核」をつくり、固めることが、正義の勝利への第一歩となる、と。
 わが第一部隊の、一つ一つの班や分隊は、いわば、この 「小さな核」であった。
 そして、わが部隊自体が、師匠・戸田先生と呼吸を合わせた、爆発的な広布拡大の、第一の「中核」となっていったのである。
3  私が部隊長に就任して半年後の六月であった。
 江戸川区の小岩で開催した、わが部隊の会合に、意気も高らかに百人の仲間が集ってくれた。
 それはそれは壮観だった。
 皆、貧しき青年であった。服は油に汚れ、シャツはよれよれ、髪もばさばさである。しかし、どの瞳も、広宣流布に生きる気概に燃え、未来を見つめて輝いていた。
 まさにへ 「部隊百傑」ともいうべき陣列が、堂々と出来上がりつつあった。
 私は胸が熱くなった。
 "このなかから、幾人もの妙法の高杉習作、久坂玄瑞が出現するに違いない!
 皆、若き革命児だ。地涌の菩薩だ。この百人を千人に、いな、万人に、いな、何百万人にもしてみせる!"
 その決心の通り、わが第一部隊は、一年で部隊二千人の「人材・拡大」を達成した。その若き連帯は、東京はもとより、埼玉、千葉など近県にも大きく広がっていた。
 まさに、広宣流布の未来を壮大に開きゆく、師弟直結の"常勝青年部"の基礎をつくり、私は、恩師に勝利の報告をすることができたのだ。
 その時の師の会心の笑みは、私の誉れ高き青春の勲章となった。

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