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日蓮大聖人・池田大作

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桜花の「4.2」に恩師を思う(上) 学会は師弟不二の団結の城

2007.4.1 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  私が青春時代から愛読してきたフランスの作家サン=テグジュペりは断言した。
 「生とは一種の真剣勝負であり、その刃を感じることが重要なのだ」(『坂道のモラル』山崎庸一郎訳、『サン=テグジュペりコレクション』7所収、みすず書房)
 これが、正しき人生の道だ。
 その真髄を凝結した哲理が、「仏法と申すは勝負をさきとし」の御聖訓なのである。
 アメリカの哲人エマソンも「その生涯が、絶え間なき勝利である人を尊べ」(The Works of Ralph Waldo Emerson, The Jefferson Press)と叫んだ。
 人生は、一生涯、勝って、勝って、勝ちまくることだ。
 この人間としての究極の力を、青年に教え示してくださったのが、わが師・戸田城聖先生であられる。
2   我も立つ
    君よ立ちゆけ
      広布かな
    諸天は護らむ
      功徳は不滅と
 改めて、このたびの能登半島地震の甚大な被害に際し、心からのお見舞いを申し上げたい。
 石川県は、戸田先生の生誕の天地である。
 ゆえに、不二の弟子である私にとっても、かけがえのない故郷である。
 大聖人は、厳然と仰せになられた。
 「災来るとも変じて幸と為らん
 日本列島の地勢を見つめれば、それは、能登半島を鷲の頭として翼を大きく広げた姿であると、ある智者は謳った。一日も早く余震が収まり、空飛ぶ者の王たる大鷲の如く力強く復興されゆくことを、私たちは真剣に祈り続けていきたい。
3   生き抜いた
    咲き抜いた
  桜の王者は
    勝利の大王だ
 思えば、一九五八年(昭和三十三年)の四月二日、戸田先生が逝去なされたその日──。
 都内の桜は、五分咲きとなっていた。
 先生は桜がお好きで、前年の秋、ご自身の死期を「桜の咲く頃」と呟いておられた。
 桜の花は、七十五万世帯の大法私通の大願を成就され、万代の広宣流布の礎を築かれた恩師の凱歌の笑みとも、私には見えた。
 なぜ、師が「桜の咲く頃」と望まれたのか。
 それは後世の弟子たちへの慈しみの心境であられたと、私には思えてならなかった。
 すなわち、決して感傷に囚われず、桜花の季節に師を偲び、希望に満ちた一歩を踏み出してゆけ! との熱き慈愛の境涯の響きを、私は受け止めた。
 私は、この師の心を深く知るゆえに、折にふれ、創価の城に桜を植樹し、荘厳してきた。

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