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日蓮大聖人・池田大作

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第二の草創期 人間教育の大城・創価大学

2003.12.1 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  「大学」とは、何か。西洋における「大学(ユニバーシティ)」の語源である「ウニベルシタス」とは、本来"学生の集団"等を意味した。中世のヨーロッパに誕生した大学の起源は、学問を求めてやまない若き探究者の集まりにあった。
 大学の主体は、建物でもなければ、制度でもない。権威の学者でもなかった。あくまでも、共に学びゆかんとの情熱に満ちあふれた学生こそが、大学の魂であり、生命なのであった。
 世界最古の伝統を誇るイタリアのボローニャ大学も、十一世紀に、民衆の大地から、向学の青年たちの自発的な結合によって生まれた。
 私も、この「学問の偉大なる母」の大学で講演を行い、深い交流を結ばせていただいている。
 東洋において、「大学」という言葉は古く、中国の古典の題名としても知られる。
 近代中国の大教育者であった陶行知とうこうちが、その意義を踏まえつつ、新しい大学とは「大衆の学府」であると宣言したことは、名高い逸話だ。この大学の道とは、「大衆の徳」を明らかにし、「大衆の心」を新しくし、そして「大衆の幸福」を確立することであると、明快に論じられている。(世界教育史研究会編『中国教育史』、『世界教育史体系』4所収、講談社、引用・参照)
 大学とは、大学に行きたくても行けなかった人たちに、尽くすためにこそあるのだ。
 創価大学は、この「大学」の本義と使命に応えて、誕生した。  
 すなわち、わが創価大学は、「学生のための大学」である。そしてまた、「民衆のための大学」なのである。
2  人は、「教育」によって、初めて「人間」となる。
 単なる知識の伝授ではない。才能の開発だけでもない。
 教育とは、過去から未来へ向かって、「人間性」を確実に継承しゆく大道である。
 わが愛する創価大学よ!
 創価大学は、私の生命そのものだ。創価大学がある限り、牧口・戸田両先生から受け継いだ人間教育の崇高な魂は、永遠に不滅である。
 我らの創大城は、開学から満三十二年の歴史と伝統の年輪を重ねてきた。
 三十二歳といえば、私が、第三代会長に就任し、いよいよ厳然たる決意をもって、世界の平和へ走り始めた年齢でもある。創価大学も、その使命の翼を、一段と大きく、強く、広げながら、世界のため、社会のため、さらに飛躍する時代を迎えた。
 私も、大学の発展のために一心不乱に戦っている。
 今が「第二の草創期」だ。万年にわたる創価教育の黄金時代を開く時こそ、今である。
 「時間は短く教育は長い」
 「教育は長く不可欠のものであるから、われわれは直ちにそれを開始しなければならない」(『偉大なる会話』田中久子訳、岩波書店)と語ったのは、アメリカの有名な教育者ハッチンズ博士である。
3  今、私は寸暇を惜しんでは、キャンパスを回り、創大生、短大生と出会いを結んでいる。皆、私の宝であるからだ。
 先日は、久しぶりに、創大の文系校舎A棟にも足を運んだ。正面玄関の前に一対のブロンズ像が並ぶ、白亜の建物である。本部棟が完成する前は、ここが大学の中枢であった。私も、海外の来客を迎え、幾たびとなく対話を重ねた。
 最上階に上がると、懐かしさが胸にあふれた。かつては、ここからキャンパス全体に目を配りながら、私は、創大生を見守ってきたのである。
 丘の向こうに滝山寮の灯を見つめた夜もあった。
 「あれは、勉強しているのかな。それとも、友人と語り合っているのだろうか」
 寮の窓明かりが、眩しい知力の光と冴えわたっていた。
 秋、伝統の創大祭が近づくころのことであった。突貫作業で設営の準備にあたり、汗を流している学生たちの清々しい姿が見えた。
 「私も手伝うよ」と、腕捲りをし、皆の中に入って、一緒にペンキを塗ったこともあった。
 体育館の裏には、学生自治会のプレハブ棟があり、いつも遅くまで灯がついていた。
 ある小雨の晩、私は、このプレハブ棟に向かった。
 窓の外まで、活発な議論の声が聞こえてきた。
 誰もが、真剣である。誰もが、必死に理想的な母校の建設を考えていた。
 嬉しかった。私は飛び入りで皆の輪の中に飛び込んで、心から励ましたのである。
 この学生たちがいる限り、わが創大は大丈夫だ!
 学生が母校の理想実現の主体者であり、私と一体の"若き創立者"であるからだ。

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