Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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黎明の竜の口(上) 法難の闇を破った「太陽の仏法」

2001.3.29 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  「御書で学んできた『発迹顕本の地』に、ついに来ることができました。
 日蓮大聖人の大闘争が、眼の前に浮かんでくるようです」
 鎌倉の「竜の口」にある「SGI教学会館」を初訪問した、アフリカの同志の声である。
 ヨーロッパの友も、アジア、オセアニア、北・中・南米の友も、口々に感動を語っておられた。
 「私たち人類を救うために、大聖人は命をかけて戦ってくださいました。その広宣流布の信心の血脈は、わがSGIにのみ流れ通っていることを、心から誇りに思います」と。
 地元の鎌倉圏をはじめ、湘南県の皆様方が、いつも真心込めて、会館を荘厳してくださり、海外の方々を温かく迎えてくださっている。
2  開館する十年以上前、私は、この地に足を運んだ。
 高台である。南の庭から見下ろすと、青き相模湾が、悠々と太平洋へ広がっていた。
 砂浜は、ゆるやかに弧を描いて、右前方の江ノ島に向かっている。海岸線を左にたどれば、七里ケ浜、由比ケ浜へと続き、その左奥に鎌倉の街がある。
 馥郁たる薔薇園が花ざかりの昭和六十一年(一九八六年)の五月十二日であった。
3  会館の敷地には、医学者の長与称吉博士の別荘があった。博士は、日本で初めての胃腸病院を開いた功労者とされる。文豪・夏目漱石も、この病院で入院加療したことがあった。
 ノーベル賞を受けたドイツの細菌学者コッホとも交友があり、来日の際は、この別荘に立ち寄ったという記録がある。
 医学といえば、竜の口の法難において、殉教の決心で大聖人にお供した四条金吾も、医術を深く心得た武士であった。
 また長与博士の弟は、白樺派の作家・長与善郎である。彼の名作『竹沢先生と云ふ人』は、私も若き日に愛読した一書である。
 その関係から、同じ白樺派の文人の武者小路実篤や、「麗子像」などで有名な画家の岸田劉生らも、この別荘に来て、文学と芸術と哲学を語り合ったという。
 さらに長与博士の娘婿は、犬養毅首相の子息であった。犬養首相は牧口初代会長と親交があり、「創価教育学支援会」の筆頭に名前を連ねていた。
 幾重にも、縁と由緒と品格が光る会館である。
 思えば、信じ難い宗門の裏切りのなかで、昭和五十四年(一九七九年)には、あの希望輝く神奈川文化会館が完成した。
 そして近年の弾圧のなかで、この意義深きSGI教学会館が平成十一年(一九九九年)に誕生した。
 いずれも、大聖人から創価学会に賜った、正法正義の宝城であると思えてならない。
 この会館を訪れる方々が、何ものにも負けず、未来永遠に、一切の難を勝ち越えゆく金剛の生命となっていただきたい。
 これが、私の祈りであり、確信である。

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