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日蓮大聖人・池田大作

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合同研修会 われは人間!「人間」として光る

1993.8.22 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  モロウ「母と子を救え、それは政治」
 伝統の研修会、本当にご苦労さま。とくに、長野をはじめとする役員の皆さまに、心から感謝申し上げたい。
 同志の皆さまのお力添えにより、八月二十四日、私は入信満四十六年を迎える。全国、全世界の同志の皆さまに深く深く御礼申し上げたい。
 皆さまのおかげで、ますます元気で、世界の広宣流布のために戦っている。また、これからも戦っていく決心である。
 毎日毎日、私は全世界の同志の皆さまのご健康、ご長寿、無事故、そして最大に幸福な人生でありますよう、祈りに祈っている。
2  ここで、政治についての言葉に、いくつかふれておきたい。
 まず「政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の時代のことを考える」(J・F・クラークアメリカの思想家)
 有名な言葉である。説明は不要と思う。
 「政治(中略)すなわち手段としての権力と強制力に関係する人間は、悪魔の力と契約を結ぶのである」(マックス・ウェーバードイツの社会学者『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)
 権力には魔性がある。ゆえに権力に近づく人間は峻厳に我が身を律さねばならない。民衆は権力者を厳しく監視せねばならない。
 「政治行動は一つの社会を助けて、できるだけ良い未来を産ませる産婆でなければならないが、政治の役割は母と子を救うことである」(アンドレ・モロワフランスの作家『はじめに行動があった』大塚幸男訳、岩波文庫)
 母と子を救う。それは社会の現在と未来を救うということである。そのために身を捧げるのが真の政治家である。決して自分のためにではない。大切なのは民衆である。一番偉いのも民衆である。
 「変革の時代には、ひとは民衆を自分の目で見、自分の鼻でかいでいなければならぬ」(ハイネ、ドイツの詩人「ルートヴィヒ・ベルネ覚え書」『ハイネの言葉』井上正蔵編、彌生書房)
 民衆の動向と心を、民衆の中に入って、ふれあうなかで体得していなければならない。そうでなければ、「変革の時代」を勝利することはできない。
 私はこれを実践している。ゆえに道を誤らない。
 民衆についてはフランスの作家ペギーが、こう言っている。
 「民衆だけが十分堅固なのだ。民衆だけが十分深いのだ。民衆だけが十分大地なのだ」
 民衆は「目的」である。絶対に「手段」にしてはならない。
 最後に、「政は正なり」と(孔子。『論語』)と。
 政治の要諦は「正しいことを行う」ことであり、正義を広く実現することであるとの思想が込められている。
 これらの英知の言葉に対して、現実はあまりにも理想とかけ離れている場合が多い。ゆえに、これからの「民衆のための政治」への期待を込めて、少々、紹介させていただいた。
3  自分自身に生きたナポレオン
 十月から「大ナポレオン展」が開かれる(東京富士美術館)。初公開の品を含めた最大規模のナポレオン展である。
 ナポレオン(一七六九〜一八二一年)は強く生きた。その「誇り」の高さは終生、変わらなかった。彼は常に自分自身に生きていた。
 陸軍の幼年学校にいた少年時代(九歳から十五歳まで)のこと。
 教官に何かのことで、不当に叱られた。ナポレオンは、丁寧ながら、自負に満ちあふれて反駁した。理路整然たる答えであった。
 教官は驚き、ムッとして彼を責めた。
 「そんな答弁をするなんて、いったい、君は何者のつもりだ?」
 少年ナポレオンは、顔色ひとつ変えず答えた。
 「──一個の『人間』です!」
 だれ人を前にしても抑えきれない「人間としての誇り」──。時は、フランス革命の前であったが、ナポレオンの胸には、すでに「革命の火」が燃えていたのである。
 一方、晩年、没落し、皇帝の座を追われた時のことである。まもなく四十六歳になるところであった。彼は身柄を敵のイギリス側に渡した。
 ナポレオンは敵艦の上でも、乗組員たちと親しげに話し、彼を敬愛する人も多かった。そうした光景を、おもしろく思わない人々もいた。
 「捕虜のくせに何だ!」。やがて乗組員らに命令が出された。
 「彼(ナポレオン)は、わが軍の捕虜である。今後は『皇帝』と呼んではならぬ。単に『将軍』で十分である」
 誇り高いナポレオンは、昂然と胸を張って言った。吐き捨てるような口調であった。
 「彼らは、私を好きなように呼ぶがいい。それでも、私が私であることまで妨げることはできないだろう!」

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