Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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合同研修会 われは人間!「人間」として光る

1993.8.22 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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2  ここで、政治についての言葉に、いくつかふれておきたい。
 まず「政治屋は次の選挙のことを考え、政治家は次の時代のことを考える」(J・F・クラークアメリカの思想家)
 有名な言葉である。説明は不要と思う。
 「政治(中略)すなわち手段としての権力と強制力に関係する人間は、悪魔の力と契約を結ぶのである」(マックス・ウェーバードイツの社会学者『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)
 権力には魔性がある。ゆえに権力に近づく人間は峻厳に我が身を律さねばならない。民衆は権力者を厳しく監視せねばならない。
 「政治行動は一つの社会を助けて、できるだけ良い未来を産ませる産婆でなければならないが、政治の役割は母と子を救うことである」(アンドレ・モロワフランスの作家『はじめに行動があった』大塚幸男訳、岩波文庫)
 母と子を救う。それは社会の現在と未来を救うということである。そのために身を捧げるのが真の政治家である。決して自分のためにではない。大切なのは民衆である。一番偉いのも民衆である。
 「変革の時代には、ひとは民衆を自分の目で見、自分の鼻でかいでいなければならぬ」(ハイネ、ドイツの詩人「ルートヴィヒ・ベルネ覚え書」『ハイネの言葉』井上正蔵編、彌生書房)
 民衆の動向と心を、民衆の中に入って、ふれあうなかで体得していなければならない。そうでなければ、「変革の時代」を勝利することはできない。
 私はこれを実践している。ゆえに道を誤らない。
 民衆についてはフランスの作家ペギーが、こう言っている。
 「民衆だけが十分堅固なのだ。民衆だけが十分深いのだ。民衆だけが十分大地なのだ」
 民衆は「目的」である。絶対に「手段」にしてはならない。
 最後に、「政は正なり」と(孔子。『論語』)と。
 政治の要諦は「正しいことを行う」ことであり、正義を広く実現することであるとの思想が込められている。
 これらの英知の言葉に対して、現実はあまりにも理想とかけ離れている場合が多い。ゆえに、これからの「民衆のための政治」への期待を込めて、少々、紹介させていただいた。
3  自分自身に生きたナポレオン
 十月から「大ナポレオン展」が開かれる(東京富士美術館)。初公開の品を含めた最大規模のナポレオン展である。
 ナポレオン(一七六九〜一八二一年)は強く生きた。その「誇り」の高さは終生、変わらなかった。彼は常に自分自身に生きていた。
 陸軍の幼年学校にいた少年時代(九歳から十五歳まで)のこと。
 教官に何かのことで、不当に叱られた。ナポレオンは、丁寧ながら、自負に満ちあふれて反駁した。理路整然たる答えであった。
 教官は驚き、ムッとして彼を責めた。
 「そんな答弁をするなんて、いったい、君は何者のつもりだ?」
 少年ナポレオンは、顔色ひとつ変えず答えた。
 「──一個の『人間』です!」
 だれ人を前にしても抑えきれない「人間としての誇り」──。時は、フランス革命の前であったが、ナポレオンの胸には、すでに「革命の火」が燃えていたのである。
 一方、晩年、没落し、皇帝の座を追われた時のことである。まもなく四十六歳になるところであった。彼は身柄を敵のイギリス側に渡した。
 ナポレオンは敵艦の上でも、乗組員たちと親しげに話し、彼を敬愛する人も多かった。そうした光景を、おもしろく思わない人々もいた。
 「捕虜のくせに何だ!」。やがて乗組員らに命令が出された。
 「彼(ナポレオン)は、わが軍の捕虜である。今後は『皇帝』と呼んではならぬ。単に『将軍』で十分である」
 誇り高いナポレオンは、昂然と胸を張って言った。吐き捨てるような口調であった。
 「彼らは、私を好きなように呼ぶがいい。それでも、私が私であることまで妨げることはできないだろう!」
4  「肩書」でなく「行動」で決まる
 肩書が変わり、立場が変わると、卑屈になったり、がっくりと老いる人もいる。
 反対に、地位を得て、やたらいばり始める人も多い。悪い僧侶や政治家をはじめ──。
 しかし、何が変わろうと、「私は私である」という生き方こそ王道である。
 私たちも、この気概で生きたい。「人間の皇帝」として、何があろうと恐れず、ひるまず、高ぶらず、真っすぐに「我が使命」を果たしたい。
 無上の「法王」たる大聖人の御生命が、直系の私たちには脈打っている。これ以上に高き「誇り」はない。これ以上に永遠の「誇り」はない。
5  肩書で人間の「偉さ」が決まるのではない。いわんや、それによって「幸福」が決まるものではない。
 昔、ペルシャ王は命じた。「『世界一、幸福な人間』をさがしてこい。そして、彼の幸福にあやかるため、彼が着ている服をもらってきてもらいたい」
 ペルシャの王といえば、当時、世界一の権力と富を持った人間である。奇妙な命令だと思いながら、人々は各地をさがし回った。「世界一、幸福な男」と、その男の「服」を求めて。
 やがて男は見つかった。彼は幸福な職人であった。彼は家族も仲良く、自分の職業を楽しみ、幸せに暮らしていた。
 「あなたの服を、王様のためにいただきたい」
 ところが男は、立派な服どころか、シャツひとつ持っていなかった──という物語である。
 着るものもない貧しい男が「世界一、幸福」で、一方、何ひとつ不自由しない王様が、なお幸福に飢えていた。
 この物語は、幸福は立場や環境ではなく、「心」で決まることを教えている。おそらく、男は自分自身に生きていたのであろう。
 あの人がこう言ったとか、この人がどうしたとか、そういうことに左右されず、ただ自分が「なすべきこと」を、一日一日、精いっぱいに積み重ねる。その人こそ幸福者であろう。
 まして広宣流布という最高に価値ある使命に生きる私たちは、文字通り「世界一、幸福」である。
 名もなく、大邸宅も、世間の栄誉もなくとも、「この道」に完全燃焼している人は「心の皇帝」である。たとえ地位を得、財産を得ても、信仰の魂を失えば「心の乞食」ではないだろうか。
6  「社会の遊離」は「宗教の死」──ユゴーの宗教観
 さて先日、我が国の著名なフランス文学者の一人が、私の小説『人間革命』を読まれての感想や、学会の宗教改革について語られた内容をうかがった。ユゴーの世界的な研究家であられる。
 本日は若き学術者の集いである「インテレクト会」も参加されており、この大学者の言葉を、そのまま紹介させていただきたい。
 「『人間革命』全十二巻を読んで本当に感動しました。宗教革命に生きる人生の尊さを基調にしながら、逆境と闘う強い意志や青年、子供たちへの深い愛情、そうした人間としての大切な要件を見事に描かれています。
 ヒューマニズムに満ちた小説であり、私はユゴー文学との近似性を認めないわけにはいきません」
 「とくに、戸田城聖と山本伸一の師弟関係には感動を覚えます。戸田氏が事業難の時に、伸一青年が矢面に立って師を護りますが、ここに真実の宗教者の姿を感じます。つまり、宗教者は社会に背を向けてはいけないのです。社会の風波とまっこうから立ち向かう姿勢がなくてはなりません」
7  さらに、宗教と社会について、歴史的考察を含めながら、次のように述べておられる。
 「あらゆる宗教には、″宗教的要素″と″社会的要素″があります。宗教が社会的要素を無視した場合、その宗教は独善的になり、信徒を見下し、時代遅れで閉鎖的な教団と化してしまいます。
 ユゴーが、当時、閉鎖的な教団となっていたカトリックの聖職者を激しく責めたてた理由の一つも、この点にあったのです。
 宗教が社会と遊離することは、結局、その宗教の死を意味します。これは歴史的にも明らかです。
 キリストも、社会に身を置くなかで数々の拷問受け、最後は、はりつけになっている。キリスト以後の宣教師も世界中に布教に赴くなかで、命に及ぶ試練をいくつも乗り越えてきました。
 日蓮もそうです。常に社会に身を置き、他宗の非を責め、二度の流罪にあっています。このように歴史的にみても、社会の中にあって、苦難に挑み、悪と戦い、布教に身を挺していく人こそが真実の宗教者ではないでしょうか。
 私は、常々、池田名誉会長の世界的なご活躍に心から敬意を表しております。ある意味で、ユゴーの理想とした宗教者としての人間像を体現していると思います」
 私のことはともかく、宗教の″生命線″というべき本質を鋭く突いておられる。
 「それに対して、古い殻に閉じこもった僧侶たちは、宗教の社会的側面というものを、あまりにも無視している、といえます。
 社会に背を向け、みずから布教の苦労もせず、ただ信徒を見下すことのみに、腐心する。まったく、ユゴーが徹底的にった聖職者の悪い見本のような姿になっています。
 ユゴーはキリスト教を否定したわけではありません。むしろ彼は、敬虔なキリスト教の信奉者でした。しかし、神父から教えを学ぼうとしない傾向があった。神父の見せかけの清らかそうな空論を排撃しました。偽善や悪とは、徹底的に戦ったのです。
 ユゴーは、自分の葬式に神父が来ることを断固、拒否していました。『私の葬式は、貧者のひつぎで遺骸を運んでほしい』と、神父とのかかわりを最後まで拒んでいました」
 「十六世紀に、マルチン・ルターがローマ教会の腐敗を攻撃して宗教改革に立ち上がりましたが、このとき、ルターは信仰の基準を『教会』ではなく、『聖書』に求めた。ユゴーも同じく、神父を全面的に信じることはやめて、キリスト教自体に信仰の原点を求めた。
 今日、創価学会が″平成の宗教改革″を目指して日蓮の原点である『御書』を基準に信仰を深めているのも、大変重要な意味があると思います」
 これが一流の知性の目である。学会が徹底して日顕宗の邪悪と戦っていることは、まったく正しい、と。
8  真の宗教者は″社会″で輝く
 真の宗教者は、人間の現実から離れない。社会の現実から離れない。
 「ユゴーの宗教へのかかわりはきわめて現実主義的であったといえます。彼は、キリスト教の神秘的な思索に熱中した。しかし、現実から逃避することはなかった。
 『静観詩集』や叙事詩『サタンの終わり』の中の宇宙に対する壮大なヴィジョンをみても、彼の宗教に対する敬虔な態度と現実とのかかわりが見事に図られていることがわかります。
 ユゴーの思想は、トルストイに継承されますが、この二人の偉大な文学者の像が、創価大学の記念講堂に並んで立っていることに、創立者の池田名誉会長が、何を大切にし、何を目指されているかが明確です。
 先日、フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館で『「九十三年」──ユゴーの革新的な息吹』展がオープンされたそうですが、うれしいかぎりです。私も訪仏の機会がありましたら、ぜひ拝見したいものです」
 (最後に話をこう結ばれている。「池田名誉会長のような方は、日本のような狭い国よりも、世界的に活躍していただくべき方です。その行動の世界性といい、思索の深さといい、多くの人を魅了するお人柄といい、狭い日本に閉じ込めておくのは損失です。これからも健康に留意されて、ますますご活躍していただきますよう、心よりお祈りいたします」)
9  この方にかぎらず、私たちの人間主義運動への賛同は、世界のあらゆる国から、続々と寄せられている。いよいよ、これからである。「全世界」に私は道を開いていく。必ず、後に続く人があることを信じて。
 戸田先生は、「大作ひとりいれば」と、絶大の信頼を寄せてくださっていた。一人で、日本を変え、世界を変えるだろうと。私も、そう誓った。誓いの通りに動いた。走った。これが真の弟子である。革命児である。
 入信四十六年。その間、険しき生死の峰を越えながら、ひとつのグチもなく、一歩も引かず、私は戸田先生との「師弟の道」を貫いてきた。
 皆さまも、同じ一生ならば、「悔いなく、生き生きと」生き抜いていただきたい。胸を張って、最高の「この道」を歩み通していただきたいと申し上げ、記念の研修会のスピーチとしたい。

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