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日蓮大聖人・池田大作

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SGI通訳会議 「勝利の山」は「勇気の岩」の結晶

1991.6.17 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  中国・王昭君の悲劇――美しきは妬まれる
 きょうは日ごろ、世界の広宣流布に活躍され、私もお世話になっている通訳の方々への感謝をこめ、懇談的に少々語っておきたい。サント・ヴイクトワール山(勝利山)の荘厳なたたずまいを望みながら、ゆっくりと歴史と人生を考えるようなつもりで聞いていただきたい。
 ″もっとも美しい者″が″もっとも醜く″描かれる――一言でいえば、これが中国の王昭君の悲劇であった。
 御書に「漢皇の王昭君をば三千のきさき是をそねみ」――漢の皇帝の宮室にいた美女・王昭君を、他の三千人の宮女が妬んだ――と。
 約二千年前、中国・漢の皇帝・元帝の時代――。後官には三千人といわれる国中の美女が集められていた。そのなかでもひときわ美しかったのが、王昭君である。
 ある時、漢の宿敵である北方の遊牧民族「匈奴」に一人、女性を嫁がせることになった。少しでもおとなしくしてもらうための政略である。もちろん、だれも行きたくない。
 「都を離れて、そんな野蛮人のもとへ行くくらいなら死んだほうがましだ」――と、皆考えた。当時、匈奴は鬼畜のごとく蔑まれていた。もちろん皇帝のほうでも、いやいや行かせるのである。そこで「いちばん不美人の女性をやることにしよう」と決めた。
 皇帝には三千人の女性のファイル(資料)があった。もちろん写真ではない。肖像画である。この肖像画を見て、気に入った女性を呼ぶのが、皇帝の習いであった。
 女性たちは、肖像画を描く画工たちに「少しでも美しく描いてもらおう」と、あの手、この手で努力した。自分をより高く売りこもうとして、いろいろと画策する姿は、いつの時代にもみられる。
 画工たちに気に入ってもらわねばならない――彼女たちは媚を売り、また賄賂を贈った。画工たちは、自分たちの筆先ひとつで彼女たちの運命をも操れると、傲りに傲った。そうしたなか、画工に賄賂を贈らない誇り高い女性が一人だけいた。王昭君である。そこで彼女は、いちばんの美女でありながら、″いちばん醜く″描かれてしまった。
 また、大聖人が「そねみ」(嫉み)と仰せのように、他の女性の嫉妬が働いていたと考えられる。皆が「何とか彼女(王昭君)を醜く描かせたい。皇帝に真実を知らせたら、自分たちは相手にされなくなってしまう」と思っていた。
 また、「本当は、私のほうがきれいなのに」とか、「私のほうが先輩なのに」とか、恨み、憎しみが渦巻いてもいたであろう。本当に自分のほうが優れているのなら、策謀する必要はあるまい。
 周囲からの圧力があり、しかも賄賂もくれない――画工たちが彼女を醜く描いたのも、ある意味で当然であった。要するに、金と欲が支配する社会では、その風潮に従わない限り、美しい者ほど醜く描かれる危険がきわめて大きいのである。
2  こうして、皇帝はファイルの中から、″いちばん醜い″王昭君を選びだした。
 「彼女を匈奴に与えよう」
 さて、いよいよ出発の日。皇帝は初めて、自分の目で王昭君を見た。驚いた。何という美しさ!
 「こんなことなら、自分の目で事実を見ればよかった! ああ、何ということだ!」
 しかし、悔やんでも、手遅れであった。喜んでいる匈奴を前に、今さら約束を破るわけにはいかない。皇帝は怒りのあまり、画工たちを処刑してしまった。「このうそつきどもめ!」と。
 王昭君は、遠い北方の地へ馬に乗せられ出発した。匈奴の一員となり、三人の子どももできた。匈奴の地で没し、二度と漢(中国)には帰らなかった。一説には自殺ともいうが、真相はわからない。皇帝は、いつまでも彼女をしのんだという。(この逸話は「西京雑記さいけいざっき」にみえる)
 彼女の悲劇は、後世、多くの文学作品に取り上げられ、民衆にも語り継がれた。
 民間で伝えられた唐代の写本が、かの「敦煌」からも発見されている。今世紀初め、ここフランス出身の有名な東洋学者ペリオが発見した文書の中にある。
3  妬みから策謀が生まれる
 大聖人は、この王昭君その他の実例を挙げて教えられている。
 「人のよに・すぐれんとするをば賢人・聖人と・をぼしき人人も皆そねみ・ねたむ事に候、いわうや常の人をや
 ――人が世の中で優れた存在になると「賢人」「聖人」と思われている人々さえも、皆、そねみ、ねたむ。いわんや、常人はいうまでもない――。
 賢人、聖人と思われている人でも、そねみ、ねたむ――ここに策謀が生まれ、讒言(作りごとの悪口を権力をもつ人に吹きこむこと)が生まれる。
 優れているものを、ありのままに認め、尊敬すれば、自分もパッと開けるのだが、一念の転換はなかなかむずかしいようだ。慢心の強い人ほどそうであろう。
 日蓮大聖人の御生涯もつねに妬みとの戦いであられた。とくに良観など「賢人」「聖人」と思われている人々からの嫉妬と策謀の連続であられた。大聖人の仰せどおり広布に進む門下の私どももまた、同様の受難の道程を歩むことは必然である。

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