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日蓮大聖人・池田大作

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核軍縮及び核廃絶への提唱 国連軍縮総会に対する提言

1978.7.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  「二十世紀の最後の二十五年は、世界にとって最も大事な時期です」――一九七四年十二月、今は亡き中国の周恩来首相が、会談の際にこう語っていた一言が、今も私の耳元にあります。
 私達は次の世代の運命について、決して無関心ではいられません。そのなかで最大の懸案が核軍縮であることは、論をまちません。
 今回、多くの人々の注目と期待のなか、国連の初の軍縮特別総会が開始されます。ここに至るまでの関係各位の多大の努力に、私は心からの敬意を捧げるものであります。と同時に、私は同時代人の一人として、この歴史的なテーブルに着く方々の、人類の未来を見つめての真摯な討議を心から願わずにはおられません。
 今、二十一世紀まで残すところ四半世紀もない地点に、私達は立っています。過去にも人類は様々な危機の時代を経験してきました。しかし現在、私達が、地球的規模でかつてない困難に直面していることは、言うまでもありません。
 今、人類の悲願である平和と、その実現のために回避できない核軍縮を討議するにあたり、私はイデオロギーや政治的意図のみに拘泥することなく、それを乗り越えて解決を模索し、一歩一歩、地道な粘り強いアプローチをされるよう期待してやみません。
2  もとより私は核の専門家ではありません。しかし、大切なことは、国連に庶民の素朴な願いを反映させることであり、私もその立場から平和を願う平凡な一庶民として意見を述べさせていただきます。これまで、種々の機会に恵まれ、私は多くの指導者に会ってきました。未来世紀へ熱い英知の視線をめぐらす多くの文化人、学者とも会談し、ともどもに人類の行く末を語り合いました。
 私がこれらの方々から得た率直な感触は、腹蔵なく本心と本心とをぶつけ合えば、みな政治的な術策やイデオロギーに基づく偏見を超えて話し合おうとする姿勢と雅量をたたえているということでした。
 アーノルド・J・トインビー博士と対談した時です。私は、この対談が人類の直面する問題へ、何らかの解決の糸口を提供できれば望外の喜びであるとの心境で臨みました。博士は決然とした表情で「やりましょう。二十一世紀の人類のために、語り継ぎましょう」と言っておられました。その時の強い語調は、博士逝去のあとも、今もって忘れられません。
 ローマクラブの代表世話人アウレリオ・ペッチェイ氏は、精力的に未来の危機を警告し、活動を続けています。ペッチェイ氏と会った際、氏が、かねてからの信念ともいえる持論を熱心に語っていたことが思い出されます。いわく――これまで人類が経験した産業、科学、テクノロジー革命の三つは、いずれも人間の″外側″の革命であった。その革命からもたらされた混乱と危機は、人間の″内側″からの革命で回避されなければならない、と。
3  今世紀を代表する多くの知性と英知の人々は、同様に″人類がいかにして生き延びるか″という一点に深い想いを込め、信念の主張を語っていました。もはや勇気ある選択がなされなければならない時がきております。
 このささやかな稿を起こすに当たって、私の脳裏から離れない一つの言葉があります。三年前の年頭、私は国連本部を訪ね、ワルトハイム事務総長と会談しました。涼やかな眼に強い決心をたたえた総長に、私は最後に、こう聞いたものです。
 「世界平和へのガンは何ですか」
 「それは、不信感です」
 総長は間髪をいれず、一言のもとに答えられました。私は、国連の最高責任者の平和への努力と呻吟のなかからくる実感のこもった一言と推察したのです。
 私は、楽観主義者でも、悲観主義者でもありません。世界を代表する人々が今、国連の軍縮総会という歴史的なテーブルに着きました。この舞台で、知性と理性の限りを尽くして徹底的な議論を続行されることを念願してやみません。
 一九四五年八月六日午前八時十五分――この時刻に、ヒロシマに初の原爆が投下されました。核に対する人類の粘り強い戦いは、どう進展していくでありましょうか。八時十五分の過ぎ去った歴史の時刻は、その時の重みを増しながら、会議の行く末を見守り続けるでありましょう。

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