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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 「死後の生命」…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  臨死体験を考える
 須田 アメリカの壮年部の体験を聞きました。1993年の四月十日、アメリカSGI本部で心筋梗塞で倒れたのです。急いで近くの病院に運ばれました。
 胸が何かに圧迫されるように痛く、ベッドで「採血をします」と言われて「OK」と返事をしたところまで覚えているのですが、その後、急に意識が無くなりました。気がついたら、医者たちが自分を見下ろしてのぞきこみ、看護士長が手を握っていた。この間、約二十秒ぐらい心臓が停止していたそうです。
 彼は、その間に不思議な体験をしました。意識が無くなった後、自分が真っ暗な闇の中に立っていると言うのです。音もまったくない沈黙の世界です。痛みもない。心臓の異常も何も感じない。自分が倒れたという意識もなかった。″何でこんなところにいるのだろうか″と思いました。
 足を見ようとすると、足は見えるが地面は見えない。靴ははいていなかった。ぐるっと周囲を見ました。右に首を廻しても何も見えない。
 今度は左を振り向くと、肩ごしに左の後ろの方に小さな光が見えました。遠くの方です。まるで壁に穴があいて、そこから漏れているような淡い感じです。
 まっすぐ光の方へ歩きました。だんだん光が強くなってきました。光はトンネルでした。その光のトンネルをくぐると、ロサンゼルスのアメリカSGI本部の講堂に出たと言うのです。講堂では、いつも演壇の脇で運営をしていました。そこに自分がいる。会合が行われていました。思わず右を見ると、メンバーが笑顔で座っています。
 壇上を見れば池田先生がスピーチをされていた。にっこりと、微笑んでおられた。あれ、これは一月二十七日に行われた全米総会の会合だと思った時、目が覚めて、皆がベッドの上にいる自分をのぞき込む場面に変わったそうです。
 池田 その総会のことはよく覚えています。彼は青年部長だった。その直前に日本にいるお母さんを亡くしていた。
 しかし彼は、「池田先生とともにアメリカで戦うことが、母への最高の供養になります」と言って、厳然と青年部をリードしていた。
2  人類の生き方を一変させる
 遠藤 この壮年の体験は、夢のようでもあります。しかし、″闇の中で光を見る″というトンネル体験や、体外離脱(自分の体から外に出て、意識を失っている自分や病室の周囲を見るという現象)は、臨死体験に特有の現象です。
 須田 そうなんです。この方も一週間の集中治療を終え、心臓の権威でもある担当医に、この話をしたそうです。
 すると医師は、「同じように、暗闇から帰ってきた話が、いくつもある」と語っていたそうです。
 池田 ″死にかけた″体験──臨死体験は最近、多くの研究が出ているね。統計的な本格的調査が始まっていると聞いています。
 斉藤 はい。アメリカのある調査によると、「死の瀬戸際まで行った」「九死に一生を得た」と答えたアメリカ人は15パーセントありました。そのうちの三分の一、すなわちアメリカの人口比からすると、八百万人ほどが、臨死状態で何らかの″死後の世界″を体験していると言うのです。
 (カーリス・オシス、エルレンドゥール・ハラルドソン著『人は死ぬ時何を見るのか──臨死体験1000人の証言』笠原敏堆訳、日本教文社。ジョージ・ギャラップ〈ギャラップ世論調査機関会長〉とウィリアム・プロククー〈著述家〉による調査)
 遠藤 八百万人とは、すごい数ですね。
 池田 そういう体験が埋もれたままであったことは、もったいない。今後、世界的に厳密な調査をしてもらいたいものです。「死後の世界」があるのかないのか。あるとしたら、どうなっているのか。これは、ある意味で、宇宙探検以上に価値がある、人類の最大課題でしょう。その答いかんによって、人類の生き方そのものが一変する可能性が高いからです。
 確か、ユング(スイスの深層心理学者)も、臨死体験を自伝に書いていたね。
 遠藤 はい。ユングは、「一九四四年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて足を骨折するという災難にあった。(中略)私は死の瀬戸際まで近づいて、夢を見ているのか、忘我の陶酔のなかにあるのかはわからなかった。とにかく途方もないことが、私の身に起こりはじめていたのである」と記しています。
 そして、「私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸とがみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた」
 「どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。それは、驚いたことに、ほぼ一五〇〇キロメートルの高さである。この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、最も美しいものであった」(A・ヤッフェ編『ユング自伝』2、河合隼雄・藤繩昭・出井淑子訳、みすず書房)
 池田 ″地球は青かった″と言っているんだね。それは、ガガーリン以前でしょう?
 斉藤 ガガーリンの″初の有人宇宙飛行″が一九六一年ですから、その十七年前になります。つまり、一九四四年とは、誰も宇宙から地球を見たことのない時代です。
 遠藤 それからユングは、地球を眺めたあと、インド洋を背に、宇宙空間に漂います。そして黒い大きな石塊がみえます。石塊は中がくりぬかれていて、礼拝堂になっていた。ユングが入り口に近づくと、地上に存在するものすべてが消え去っていく感じがした。そして、中に入れば、自分の生命が、どこから来て、どこへ行くのかわかると思ったそうです。
 池田 鮮烈な体験だったでしょう。ここからユングは広大なる精神世界への探究を大きく進めていくことになる。
 遠藤 事実、ユングは死後の存在を確信したようです。
 池田 ″臨死″というのは、もちろん死そのものではない。
 しかし、「死」というものを強烈に自覚する契機となっていることは間違いがないでしょう。
 その結果、臨死体験をした人の多くは、それまでの生き方を一変させている。
 遠藤 たしかに、臨死体験を持つ人は、「他者に対して寛容になった」「積極的に相手のために関われるようになった」という例が多いようです。
 須田 先ほどの壮年部の方も、「臨終の時に、人間というのは、こんなにも自分のコントロールがきかないものか」と痛感したそうです。
 命というものは、何とはかないものか、壊れやすいものか。これからは、毎日毎日、「もし万が一、このまま逝っても後悔はない」と本当に言える日々でなければならない、と強烈に感じたといいます。
3  臨終は「人生の総決算」
 斉藤 「臨終只今にあり」の精神ですね。いわゆる臨死体験とは違いますが、あの阪神・淡路大震災(一九九五年)で人生観が変わったという人は多かったようです。
 物とか、地位とか、名声や名誉以上に大切なものがある。それは人間の命だ、と分かった。それまで頭の中では分かっていたが、実感として初めて湧いてきたそうです。
 池田 自分にとって何が一番大切なのか──死に臨んで、それがはっきりする。
 以前、あるアメリカの母親の体験を本で読んだことがある。脳卒中で倒れ、数週間、昏睡状態が続いた。しかし、死の直前に彼女は、はっと目を開けた。そして急に笑顔になって、何か見えないものに手を差し伸べた」。彼女は、まるで「赤ん坊でも抱くようなしぐさ」をして、下を向いた。実に、うれしそうで、幸せな顔だった。そのままの格好で息を引き取った。
 じつは、彼女は初めての子どもを、出産してまもなく亡くしていたのです。その後で、五人の子どもを産み、皆、立派に育った。彼女は生前、亡くした子のことは話そうとしなかったそうだ。
 しかし、死の間際に、お母さんはその子に出会い、その子を抱いて死んでいった──残された子どもたちは皆、そう確信したという。(M・キャラナン、P・ケリー『死ぬ瞬間の言葉』石森携子、中村三千恵訳、二見書房)
 須田 心が打たれる話ですね。
 池田 臨死体験で有名なのは、いわゆる「走馬灯」体験です。走馬灯といっても、最近では実際に見た人は少ないから、「ビデオ・テープ」体験と言い換えたほうがいいかもしれない(笑い)。死に臨んで、一生の出来事が、パノラマのように次々に浮かび上がってくると言うのです。
 仏法から見れば、九識のうちの第八識である「蔵識」、すなわち「阿頼耶識あらやしき」に刻まれた一生の業(身口意の行い)が、一気に浮かび上がってくるという見方もできる。ともあれ、臨終は「人生の総決算」なのです。
 斉藤 日蓮大聖人が「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と言われたことは重要ですね。
 池田 釈尊も生まれてまもなく母を喪い、幼いころから死について考えていた。大聖人も幼少期から「死」を見つめておられた。
 「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて……」と。
 (日蓮は幼少の時から仏法を学んできたが、念願したことなのだが「人の寿命は無常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露は譬えもなお及ばない。賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるか分からないのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って、後に他のことを習おう」と思って……)
 「臨終」とは、「山頂」に譬えられるかもしれない。人生という山登りを終えた、その地点から振り返って、初めて自分の一生が見渡せる。
 自分は、この一生で何をしたのか。何を残したのか。どれだけの善をなしたのか。悪をなしたか。人に親切にしたのか。人を傷つけたのか。どちらが多かったのか。
 自分にとって、いったい何が一番、大切だったのか──それらが痛切に、否、嵐のような激しさで胸に迫ってくる。それが「臨終」の一側面かもしれない。
 遠藤 死にゆく人の肉体は静かに横たわっていても、その胸中では、ものすごい葛藤のドラマが展開しているのかもしれません。それを表現する肉体的力がもうないために、外には現れないわけですが。
 池田 もちろん安らかな死もあるわけだが、ある囚人は、こんな体験をしたという。
 彼は刑務所内の病棟に入りたくて、病気になるために何度も石鹸を食べた。ねらい通り、病気になったが、度を越してしまった。七転八倒の苦しみのなかで、彼の目の前をパノラマのように自分の人生が駆け抜けていった。彼は長い″犯罪人生″の一コマ一コマを体験し直すのです。
 そして驚くべきことに、自分が人に与えた苦しみを、今度は、そっくりそのまま自分が味わうことになったという。(David Lorimer, ″Whole in One″, Viking Pr, 1991. スーザン・ブラックモア『生と死の境界──臨死体験を科学する』由布翔子訳、読売新聞社)
 遠藤 恐ろしい体験ですね。まさに因果応報です。
 池田 こうした体験を、どう解釈するか。それは人さまざまです。ただ私は、一切の先入観を捨てて厳密に調査・研究すれば、「死によって生命は終わりになる」という現代的生命観では説明できない要素があることが証明されると信じています。しかし研究はまだ端緒に就いたばかりだ。

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