Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大正三年~五年  

若き日の手記・獄中記(戸田城聖)

前後
2  今自分を、厚田川の水にたとえんか。
 流れ出で、朝に東し、夕に西し、浮きつ沈みつして、日本海、太平洋、大西洋を流れ流れて末いかに、前途茫莫。
 沈んでは石と闘い、中を流れては上下の圧迫を受け、浮いては塵を負う。
 ああ人生かくの如しか。
 しかし浮くを以って余最後の目的とせば、初めは沈み石と闘うを欲す。中間にいたりてまた一修行、浮いてまた、それぞれの一苦労、されど浮くを以って目的とす。浮かばざるベけんや、浮かんが為に、厚田川を流れ出づるなり。たとえ死すとも、水上に浮かばざるうちは成仏せざるべし。
   (大正四年六月)
 ☆厚田川は村中を流れて厚田の海に注ぐ。戸田は朝に夕にこの川をながめ、青雲の志に燃えた。
 (小)とは、札幌市南一条西二丁目にある屋号、小六商店のことで、(小)合資会社が社名である。彼は大正四年七月七日に入社、大正七年四月二十一日に退社している。
 十六歳から十九歳までのあいだである。正確にいえば、途中で一度退社し、大正六年五月二十五日に再入社した。(小)合資会社は、化粧品、荒物の卸商で、現在もつづいている。
3  森田は、今朝立った。自分だって永くはあるまい。彼に遅れずにと思ったが、遂々遅れた。悪くすると今一年。だが、俺だって男だ。
 共にある間は、互いに談じた。劣らず弁駁べんばくし合った。負けずに理屈をこねた。野郎も強情だ。性質は志の弱々しいが、また人目を知るよ、遠慮する子供らしいよ、弱い人間だね、新しい言葉で言えばね。利発だかね。野郎遂に行ってしまった。いる間は、境遇の似た故か話が合った。いなくなったら急に寂莫を感じる。気抜けした様な気がするよ。いいよ、離合集散これ人生、また会う時があろうな。ただ汝の成功をまつ、大いに奮わん事を祈る。
 (大正五年二月二日)
 ☆森田政吉(北海道石狩郡当別村出身)は、(小)合資会社勤務中に知り合った友である。森田も同じく青雲の志に燃える少年であった。森田は戸田より一足先に上京、正則英語学校に入学した。札幌の地で働かなければならなかった戸田は、いろいろな意味でつらかった。大正九年、上京した戸田は、森田と苦難の青春時代を共に過ごした。時習学館(昭和五年)のときに、経営方針について意見が合わず、森田は戸田のもとを離れた。森田は小学校教員として樺太に渡り終戦を迎えた。現在、札幌在住。
4  人生五十とかや。
 されど男子として、朝にタベに望みのなからざるものやある。必ず男子としてなかるべし。未来天下の富豪豪者、起臥きが立座物言う間も忘れざる。されど人生五十年、死して業いな目的のならざる、生きてならざる。
 生あって、出づる軽重あり、居に高楼あり、蔵に金銀、世に名声あるの士となるもあり。ありといえども志すの初め錦衣故郷に帰るの望みなからざるものやある。
 我れもあり。出づるに際し兄の骨前にひざまずきて、これ最後の面会なりや知らずと日くまた成らずば再びまみえず。
 (大正五年六月)
 ☆戸田は大正五年二月二日、脚気のため六月五日まで休職した。兄とあるのは、四番目の兄の外吉のこと。外吉は厚田村役場の吏員で、師範学校受験をめざしていたが、十八歳で肺結核で死亡。
5  自分は目的なきにあらず。志なきにあらず。志を遂行するに、かかる陋居ろうきょにて何事をや成すに足る。
 今日学ぶ事の余りに少なる、余りに遅々なる、時間の不経済なる、学問の必要なるよ。
 思えば胸中が混乱するな。この三日四日あまり頭が迷官に入るの心地す。仕事も手につかず、しかしつらつらと考慮するに、この年期奉公(十年)にて立身成すあたわず。男子たる、いな大なる人間を志すもの、すべからく学を修め後に商に志す。家にありて、よく働き、よく勉強するが最上の良策じゃが、ああ、ままならぬ。一日も早く奮闘児たらん、
 奮闘児となりたい。この無趣味な自己の志に添わない地を、のがれたい。
 (大正五年七月八日)
 ☆(小)合資会社では、大八車に商品を積み、得意先の小売店に届けることがおもな仕事であった。向学心に燃える少年にとって、この生活は焦燥の毎日であった。
6  秀吉の壮図を思う。
 松下嘉兵衛の寵遇ちょうぐうかつ彼の位地、農夫の小せがれとしては、相当の出世。また一身の業となるにもかかわらず、彼は満足しなかった。業には忠実であったが、上を上をとの望みは棄てなかった。ますます研究を用要せんが為ならんか、遂に機を捕えて尾州に走る。信長にあったは、彼の達眼か僥倖ぎようこうか。しかし、人物を見抜きしは、彼の成功いたさせし一大原因なるべしか。彼は大抱負を有してか、考思して見るに、これは大抱負に勤勉忠実を加えて、天が助けたのだろう。
 なんでもかんでも成功成功。
 (大正五年八月)
 ☆戸田は読書をよくした。手あたりしだいに読書したが、当時彼のもっとも好きだったものに、村上浪六著『当世五人男』などがある。

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