Nichiren・Ikeda
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李寿成元首相
韓国の”熱き溶鉱炉”
随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)
前後
9 政治は「泥沼に蓮華を咲かせる」作業
「政治の中で、清らかさを守るということは、たいへんにむずかしいことです。理想と現実の溝は、それほど大きいしかし、政治とは泥沼の中の戦い』ではなく、泥沼に蓮華の花を咲かせる作業』であるべきです」
「『政治家のための政治』ではなく『国民のための政治』でなければならない。『政治家による政治』ではなく『国民による政治』でなければならない。そのためには、指導者が国民に対して限りなく謙虚でなければなりません。
地位が上がれば上がるほど謙虚と献身に徹してこそ、独裁がなくなり、民主主義が前進する。民主主義が前進した分だけ、国民のエネルギーを引き出し、一つにできるのです。
言葉のとおり、博士の振る舞いには、大きな大きな愛情が、にじみ出ている。
障害者の小さな集いにも、そっとふだん着で現れ、車椅子を押しながら、打ちとけて対話されたと聞く。いつも”壇上から人を見おろして、虚しい言葉を投げかける”来賓ばかり見てきた人々は、「あまりにも違う姿だ」と涙を流した。
博士が長い間、匿名で障害者の団体に支援金を送ってこられたことが、後で知られてしまったこともあった
博士が弟さんと乗ったタクシーが事故を起こし、兄弟とも重傷を負う事件があった。拘束されてしまった運転手のために、「かわいそうだ」と、あらゆるととろに嘆願書を出し、無事釈放を勝ち取ったのは博士その人であった。
なんという美しい生き方であろうか。
美しいということは、強いということである。
私は「博士の人生それ自体が、多くの人の『教科書』です」と申し上げた。
博士は、師と仰ぐ金九先生が「白凡」と号したのにならって、ご自身の決意を「又凡」――もう一人の白凡という号にこめておられる。
10 中・韓・日で「三国団結」の力を!
二十一世紀のアジアについて語りあったさいも、博士のお考えは、金九先生の思想を、まっすぐに継いだものであった。
「西洋の物質文明に対して、中国・韓国・日本が友情をもって信頼しあい『三国団結の力』を示すべきです」と。
二十世紀は、「富国強兵」が東アジア各国の至上課題であった。その分、「平和の連帯」を追求する知性の役割は軽視された。二十一世紀の東アジアは、金九先生の示された高次元の国家観を土台とするべきである――そういうお考えなのである。
すなわち、金九先生の、あの永遠の名言が、李博士の五体を今も、熱い血潮となって駆けめぐっているのであろう。
「わたしは、われわれの国家が、世界でもっとも美しい国となることを願っている。もっとも富強在国となることを願うものではない」
今、私たちは見た。
師から弟子へ、親から子へ、「美しい生き方」が伝えられていくドラマを
私たちは知った。
そこにこそ「美しい国」の実像があることを。
そして私は思う。
日本も、今こそ、この「美しい人々」に学ぶべきだと。