Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

バノレコ元コロンビア大統領 麻薬との戦争に一人立つ

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
5  苦難の道をあえて行く
 翌九〇年四月、パルコ大統領のご尽力によって「コロンビア大黄金展」が実現した。
 世界初公開の「千七百カラットのエメラルド結品原石」をはじめ国宝級の五百点
 東京富士美術館での開幕式には、大統領夫人も同展の名誉総裁として出席し、スピーチされた。「以前は私たちを引き離していた大海(太平洋)が、これからは私たちを結びつけることになるでしょう」と。
 あの出会いから一年半後(一九九一年六月)、私たちはロンドンで再会した。バルコ大統領は任期を終えて、駐イギリス大使になっておられた。
 「太平洋が結ぶ友人」と「大西洋のほとり」で会えたわけである。
 再会の五日前、コロンビアでは、大統領の仇敵であった最大の麻薬組織の首領が逮捕されていた。後に組織は崩壊。「麻薬戦争」は大きな山を越えた。
 バルコ大統領の悲願を、若きガビリア大統領が受け継ぎ、見事に結実させたのである。東京での会見で、バルコ大統領は「以前は、青年がいつも年配者の後ろにいた。今は青年を前面に押し出し、ぞんぶんに活躍できるよう努めています」と言われていた。まだ三十九歳だったガピリア氏を大蔵大臣(後に内務大臣)に登用したのも、バルコ大統領である。
 ガビリア大統領ご夫妻とも私は親交を結ばせていただき、その招きでコロンビアも訪問した(九三年二月)。厳戒態勢のなかであったが、私は「勇敢なるコロンビア人の一人」として、断じて行くことを決めたのである。
6  「迫害はつねに最高の栄誉の勲章」
 だれもが「バルコ大統領は生きて任期を全うできない」と考えていた。しかし大統領は厳然と生きぬいた。しかも在任中、反政府ゲリラとの和平も成し遂げた。
 お元気そうな様子を拝見して私は安心し、申し上げた。
 「人間としての栄光は、強大な権力のなかにではなく、苦難との闘争のなかにあります。苦難の国に生き、苦難の民のために、苦難の道をあえて歩んだ――その指導者こそ崇高です」
 元大統領は、尊敬する”コロンビア建国の父”サンタンデル将軍のことを熱っぽく語られた。「わが国をつくった人ですから」と。原点の人を大切にしておられた。
 サンタンデルは言う。
 「残酷な迫害は、つねに私の最高の栄誉の勲章である」
 「私を攻撃する手が高く上げられているならば、汚名は私にではなく、手を上げたほうにある」
 「私は財産を失い、生命をも失うかもしれない。しかし『誇り』は絶対に失わない」
 元大統領は、東京での出会いを「生涯忘れえぬ思い出です」と、懐かしそうに振り返っておられた。
 その笑顔には「苦難を乗り越えた誇り」が、太陽のように輝いていた。

1
5