Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フレッド・ホイノレ卿 現代天文学のパイオニア

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
4  人の誕生に宇宙が協力
 「星が作る」元素は、「星が死ぬ」とき、宇宙に吐きだされる。
 その「星のかけら」を使って、地球もでき、私たちの体もできているわけである。
 つまり、人も、花も、鳥も、虫も、木の葉の一枚一枚までも、星々の苦労の結晶なのである。
 一瞬のように短く見える人間の人生に、少なくとも百五十億年もの宇宙の歴史が込められている。
 あなたを生むのに、宇宙が力を合わせたのだ。あなたの中に、星の光が燃えているのだ。
 肉体面だけを見ても、だれもが小宇宙であり、いわば「歩く銀河」なのである。なんと尊い人生か。傷つけあったり、殺しあったりすることが、どれほど宇宙の意志にそむいていることか。
 しかも、ホイル卿は言っておられた。
 「人間の体は、たんなる『原子の集まり』としてだけでは、とらえきれません。たとえば簡単な例ですが、歯を抜いたとき。いったん抜いてしまえば、歯は自分の一部ではないわけですが、その歯と自分の間には”何か”があるはずだと、人は感じるものです。『原子の集まり』の背後にある”何か”を信じ、究明していくのが宗教者であると思いますし、それを探究しているという意味では、私も同じです」
 宗教者と科学者は〈真理への旅〉の同行者だというのである。
 卿は謙虚な方であった。真理の前に謙虚だった分だけ、それ以外の権威には、頭を下げようとしない人であった。その結果、卿を傲慢に思う人もいた。
 ウィックラマシンゲ博士は、そのあたりの機微を、こう書いておられる。
 「ホイル先生は時おり、『論争のための論争』を好む人のように誤解されました。まったく根拠のないことです。本当に心の温かい人でした。そして、先行する研究や研究者に対し、決して恩義を忘れない人でした。先生が、多数派とは違う意見を主張した場合は、ただ単に『論理が導く』ままに、その道を突き進んだだけなのです」
 「先生は、固い決心と、恐れを知らない独立心で、『われわれが住む宇宙を理解する』ために、生涯を捧げました。巨大な困難をものともせずに、取り組みました。物理学、化学、生物学の間の人為的な境界線など、ちっとも気にしませんでした。『宇宙のほうでは、そんな境界線など気にしてないからね!』と」(英国・カーディフ大学宇宙生物学センターのホームページから)
 巨視的な目を持った方だった。人類社会を見るにも、千年、万年単位で見ておられた。
 冷戦時代には「共産主義と反共主義陣営間の対立は、鳥の間の”身ぶりディスプレイ”の現象と同じにしか見えません」(『人間と銀河』鈴木良治訳、みすず書房)と言つてのけた。
5  必要なのは偉大な思想
 「権威に従うな。理性に従え」という生き方。
 ホイル卿は、不屈の精神をもった快男児であった。
 きかん気の、いたずらっ子が、そのまま大きくなった」ような、はつらつたる魂をもっておられた。
 お生まれは一九一五年というから、第一次世界大戦の二年目である。ウール商人のお父さんが出征したために、お母さんとの親密な幼年時代を過ごした。
 三歳になる前に、お母さんのひざの上で、九九を覚えた。四歳で、「12×12=144」まで暗算していたそうだから、五歳で入った学校で「幼稚な授業がつまらなかった」のは無理もない。
 九歳か十歳のころには、一晩中、望遠鏡で星を見ていた。
 学校はさぼりがちで、映画館に入りびたっては、一人で本を読んだりしていた。やがて苦労して奨学金を受けられるようになり、ケンブリッジ大学に入学をされた。
 「どうして天文学を選んだのですか?」と聞くと、「初めは物理学の方面に行くつもりだったのですが、その分野での研究成果は、ほぼピークに達していました。『それなら天文学の分野で』と思ったのです。今なら、生物学を選んだかもしれませんね」。
 根っからのパイオニアなのだろう。
 卿が言うとおり、二十世紀初めの一二十年間は、相対性理論や量子力学など、それまでの世界観を根底から変えるような理論が、次々と生まれた。
 しかし、その後は、いささか停滞しているように見える。
 なぜだろう。
 ホイル卿は「それは、科学と哲学が離れてしまったからです」と言う。
 「二十世紀初頭には科学と哲学は不可分の関係にあった」のに、今は「科学者は哲学することを、ますます嫌うようになり、旧来の概念を評価しなおしたり修正したりすることを、ますますいやがるようになっているのです」。
 確定した既成の線にそってデータを集めることに熱心になり、「科学的事実の探究が、切手収集に似てきているんですね」。
 つまり、実験の装置も予算もチームも巨大に、なり「ビッグ・サイエンス」となったが、中身のほうは「ビッグ・アイデア」が少なくなったと指摘されたのである。
 アインシュタイン博士は、「科学が発見し、哲学がそれを解釈する」(ウィリアムス・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)と言った。
 ホイル卿は言う。
 人は、自分の哲学の枠を超えては考えられない、思想の「囚人」なのだから、必要なのは数百年、数千年を導く「偉大な思想」なのです。
 そして「創造的精神は金では買えない」のです――と。(前掲『人間と銀河と』、引用・参照)
 卿が「ビッグ・パン」説に賛同でき、なかったのも、哲学的に満足できないからだった。
 「爆発から始まったというが、じゃあ、その前はどうなっていたんだ?」
 観測できるこの宇宙が「膨張を続けている」ことは事実だとして、その解釈となると、ひととおりではないはずだと。
 「ビッグ・パン」説は、ユダヤ教・キリスト教的な「天地創造」の思想が背景にある解釈ではないかとされたのである。
6  「祈り」は宇宙との対話
 ホイル卿は、真理の高峰によじ登り続けたが、実際の山登りも大好きだった。スコットランドの千メートル級の山、二百八十峰を、すべて踏破したそうである。
 山頂に立って、卿は、何を思っておられたのだろう。
 大空と語りあい、星々と語りあいながら、無辺にして永劫の宇宙のなかで、われわれ人類が、いずこより来り、いずこへ行くのかを思索しておられたのだろうか。
 お会いしたあの日、卿は、祈りということについて、それは「宇宙との対話」ではないかと言っておられた。
 「現代では、祈りの力を、そのまま信じることは簡単ではありません。しかし私は、祈りの本質とは『宇宙へのメッセージ』ではないかと思うのです。果てしなき宇宙に向かって、自分のメッセージを送り、そして宇宙の声に耳を澄まして、その返事を聴くということです」
 仏法の祈りとは、「内なる宇宙」を「外なる宇宙」と交流させる挑戦とも言える。宇宙につつまれている人間が、宇宙を自己の一念の中につつみ返そうとする行為とも言えよう。
 二〇〇一年八月二十日、「真理の旅人」は安らかに逝かれた。八十六歳だった。
 大好きな宇宙空聞に、ちょっとの間、戻られたわけである。
 そろそろ、どこかの星に生まれてこられるころかもしれない。
 その星でもふたたび、宇宙と生命の研究をされるのだろうか。

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