Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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レスター・サロ一博士 「実社会に貢献する経済学」を志向

随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)

前後
7  人間は「消費者」でなく「建設者」と見よ
 資本主義の「勝利」。
 では、次に来るものは?
 「国際資本主義の独裁」が、残酷な弱肉強食の世界をつくるとしたら、そんな世界が人間にとって――少なくとも圧倒的多数の民衆にとって――幸福なはずがない。
 かと言って、「共産主義の独裁」に戻るわけにもいかない。
 人類が自由に生きながら、富を公正に配分し、「共に栄える」ためには、何が必要なのか。
 二十一世紀は人類に、「その智慧があるか?」と問いを突きつけているのである。
 博士は「人間を、どう見るか」――その人間観を変えよと言う。
 多くの経済学者が、人間を「ホモ・エコノミクス」つまり「欲望のかたまり」ととらえて、理論を積み上げてきた。
 しかし、その結果、経済学は人間を救っただろうか?
 サロー博士は考える。
 人間を「消費者」ととらえるかぎり、行き詰まりは開けない。
 ”消費こそ「価値」であり、ほかはすべて、そのための「コスト」”と見ているかぎり、その貧困な人間観がもたらす未来は、荒涼たるものにならざるをえない。
 「消費者」ではなく、人間を「建設者」と見よ、と博士は論じるのである。
 「人間がほかの動物と違うのは、建設者である点だ」(『富のピラミッド』山岡洋一訳、TBSブリタニカ)
 「人類の記憶に残るのは常に建設者なのだ。決して消費者が歴史に残ることはない」(前掲『経済探検――未来への指針』)
 「弱肉強食」「近視眼」を生む「消費者のイデオロギー」に代わって、「建設者のイデオロギー」を広げることが、「共に栄える」二十一世紀の鍵だというのである。
 博士の着眼点は、結局、「人間の心の変革を推進するしかない」というところにあると、私は思った。
 「遠まわり」のようで、それこそが「近道」なのである。
 否、その道しかないのだ。
8  「宗教に”人間向上”の力がある」
 ゆえに、私はSGIがめざすものも「人間革命による創造的社会の建設」であることを、サロー博士に申し上げた。
 「ローマ・クラブのぺッチェイ博士と語りあったさいも『二十一世紀へ今、必要なのは、人間革命である』と一致をみました。
 この急速な変化の時代にあって、変化のスピードに負けず、むしろ『変化を先取り』しなければならない。そのために、どう自分を変えていけるのか。これが今、問われていると思います」
 博士は言われた。
 「資本主義の社会は、あるがままの人間を受け入れます。そのため人は、向上心をなくしてしまうことがある。
 しかし、宗教には『人間を向上させる力』があります。『人間は、より良くなれるんだ』ということを、宗教は資本主義社会の中で教えるべきです」
 私も、博士とともに、こう叫びたい。
 冒険者たれ!
 探検家たれ!
 そして、二十一世紀に探検すべき「未知の世界」は、何より人間自身の中にあるのだ。
 人間自身の中から、どれだけ「慈愛」を引き出し、「智慧」を引き出し、人の幸福に尽くすことを幸福とする生き方を、社会に定着させていけるか。
 新世紀という山は、「恐ろしい危険」という谷底と、「すばらしい未来」という山頂と、両方をもっているのである。
 厳しく、そして、おもしろい時代が始まった!
 アメリカの一ドル紙幣には、ピラミッドが描かれている。ピラミッドの頂上は、なぜかか宙に浮いている。
 サロー博士が言った。
 「これは、『これから何でも建設できる』という”希望”を意味しているのです!」

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