Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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四国本部幹部大会 楽土建設の革命児たれ

1967.9.11 「池田大作全集」第3巻

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5  最後に四条金吾殿御返事の一節を拝読いたします。「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしき気色なくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん、設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかたのませ給うべし」と。
 これは有名な御文でありますが、私はこの御文を引用して、創価学会の精神を、申し上げたい。
 まず「一生はゆめの上・明日をごせず」とは、私どもの一生は、一時の夢のようなものであり、あすをも知れぬ生命であるとの意味であります。すなわち、永遠の生命からみるならば、一生といえども、あたかも一瞬であります。しかし、この一瞬が、永遠の幸福を開くか開かないか、事の一念三千の当体を確立するかしないか、その勝負を決する一瞬となるのです。したがって大聖人は「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」と仰せなのであります。「法華経にきずをつける」とは、大御本尊に傷をつけることであります。具体的には、日蓮正宗、創価学会に傷をつけ、同志に傷をつけ、王仏冥合、広宣流布の前進に傷をつけることであります。そのようにして法を下げ、御本尊に傷をつければ、地獄であります。
 ゆえに、たとえどのような乞食になっても、胸中に妙法をいだいて、正しい人生を進むならば、必ずや勝利の人生を開いていくことができ、永遠の幸福を一身に招くことができると、信心の極理を教えておられる御文と拝するのであります。たとえ、どのような立ち場、境遇にあっても、一生涯、地涌の菩薩としての本心を失わず、立派な社会人として、学会人としての襟度と誇りに満ちて、堂々と師子王のごとく振舞っていくことが、最も大聖人の仰せにかなった行動であり、精神であることを教えられた御文であります。
6  「されば同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん」――この段は、かの四条金吾が同僚の讒言によって、主君・江馬氏より所領を没収されたことに対する大聖人の指導であります。大聖人は、四条金吾に、たとえ、所領を没収されても、少しも主君にへつらうことなく、誠実をもって行動し、正義をいいきっていきなさい。へつらうことはかえって法を下げ、法華経に傷をつけることであり、地獄に落ちると厳しく戒められたのです。それと同じく、わが創価学会は、今日まで、権力にへつらうようなことは毛頭しておりません。権力にこびたり、へつらうことは今後も永久にないことを、私はここに宣言しておきたい。否、むしろいかなる権力者も、真に幸福と平和を願う善良な民衆を守護すべきであると、叱咤し、指導していくのが創価学会の大精神であり、かつ私の心であるということを知っていただきたい。(拍手)
 梵天、帝釈といえども、仏に勝てるわけがありません。私どもは、いなかる権力者、指導者に対しても、私どもこそ信心第一に進む無冠の王者なりと自負し、新社会の建設と新しい民衆の勃興のために、民衆の勝利のために、敢然と戦っていこうではありませんか。(拍手)
 「設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかくたのませ給うべし」――この御文は、四条金吾に対する厳父の慈悲、父の慈愛であります。たとえ、所領を没収されるようなことがあったとしても、むしろその難は、十羅刹女が信心を試みているのだと深く確信していきなさいとの御文なのです。
 鎌倉時代において、所領を没収されるということは、食衣住のすべて、すなわち生活権を完全に奪われることを意味します。しかし、たとえそのような難であっても、大聖人は、魔王、鬼神の試練であると確信して、決して騒いだり、弱くなってはならないと仰せなのです。このように、一生涯信心を貫き通し、そして生活、職場、社会を大切にし、自己の人生を、確信をもって生ききっていくことが、まことの信心即生活の実証であるとの仰せなのであります。
 どのようなことがあっても、信心に徹して動じない人は、最も強く、最も輝かしく、また最も清浄な人生であると思います。皆さん方も、多少苦しいことがあっても、あわてたり、動揺したり、ざわめいたりしてはなりません。魔王、鬼神の試練と確信して「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」との大聖人の御文のごとく、裕然と、そして敢然として戦い、見事な人生の勝利の実証を示しきっていっていただきたい。(拍手)
 どうか、くれぐれも体を大切にし、夜も決して遅くならないようにしていただきたい。また、本日を新しい出発点として前進されることを、心より念願して私の話を終わります。(拍手)

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