Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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山梨総合本部幹部会 広布とは人材の集まり

1967.6.25 「池田大作全集」第3巻

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6  不満をいだきながら題目をあげたのでは、結果はうまくいかない。自ら燃え上がる求道心をもって、宿命転換のために題目をあげよう。大福運を積むために折伏に行くのだ。不幸な人を救うのだと、大仏法の原理を説いていける自分自身の立ち場に歓喜していくところに、自分自身の偉大な人間革命があるということを忘れてはならない。そうなるためには、真剣に題目を唱えていくことが源泉です。そして歓喜に燃え、躍動しきった生命力を湧現しながら、まず自分自身が、喜び勇んだ人生を生ききっていただきたい。(拍手)
 土籠御書に、大聖人は次のように仰せになっております。「法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」と。口では経文を読んでいるが、しかし、色心共に、身口意の三業で、すなわち全生命で妙法を読んでいる人、実践している人は少ない。その人には、それだけの功徳しかないという意味であります。所、信心は実践が第一義であるとの御文であります。
 大聖人は「疑わざるを信という」とも仰せのごとく、信ずるとは疑わず、大聖人の仰せどおりに実践しきることであります。だが、心で信じているといっても、題目を唱えない、折伏もしない、会合にも出ないというのでは偽りの信心であり、それでは観念論にすぎない。行躰即信心こそが、大聖人の仏法を、色読することなのです。そしてその人の功徳は偉大であり、成仏は間違いないのであります。いいかえれば、末法の実践とは、折伏行しかないというのが、大聖人の仰せであり、これが、行躰即信心となるのです。
7  最後に申し上げたいことは、今年の三月、山梨本部の起工式を行ないました。来年春には、地上四階建ての、立派な本部が姿を現わすわけであります。(拍手)また敷き地のほうも、当初よりよけいに購入しておきました。この完成の時を目標にして、山梨の皆さんは“仲良く”ということをモットーにがんばってください。(拍手)
 誰人たりとも、欠点はあります。しかし、私どもは兄弟以上に、大聖人の子供として、深く結び合い、進んでいる同志であります。欠点はお互いに補い合い、入信当時の、あのなにも知らないけれども、純粋な活動、打算でない真剣な信心を思い起こして、山梨の新しい第二期の出発をしていくという堅い決心で、きょうを第一歩とし、私と苦楽を共にしながら進んでいっていただきたいのであります。(大拍手)

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