Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初登山・大幹部会 栄光に満つ「躍進の年」

1967.1.2 「池田大作全集」第3巻

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7  祈祷経送状の一節にいわく「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」と。
 「法華経の行者」とは、大聖人のただ一つのご遺命である王仏冥合実現のために、実践している人とも拝することができます。「信心に退転なく」――進まざるを退転といい疑わざるを信という。この原理にもとづいて、偉大なる目標に向かって、日々、月々、年々に前進しきっていく者が退転のない身であるといえると思う。そして「身に詐親無く」――すなわちその行動が、仏法の鏡に照らして、微塵もウソいつわりがない。大聖人の御金言のままに広宣流布実現に真剣に戦っている、すなわち信行を実践しきっている、この人こそ、現当二世にわたって絶対の幸福境涯を具現する人である――との御金言であります。最後の「勝妙の大果報」の勝妙とは、勝る妙であります。「勝妙の大果報」とは、日本一の幸福者である、世界一の幸福者であるという意味であります。それは、信心根底に、妙法の光りが輝きわたっている人生を生ききっていく、わが身も幸せであり、人々をも幸福にしていくという、その光り輝いた生命の意味であります。これは、人間革命の究極であり、同時に人間革命の出発であります。
8  これらの人々の実践があって初めて、広宣流布、王仏冥合の大願も成就できることは、絶対に疑いないと、大聖人は申されているのであります。功名心にとらわれて信心を第二とし、名聞だけにとらわれて、御本尊、そして学会を従と考え、自分の出世だけを夢みて、学会を利用していくということは「身に詐親」がある証拠です。そのような人に勝妙の果報はありません。さらには広宣流布も成就できえないのであります。
 法華経の行者は信心に退転なく、身に詐親なく、一切、法華経に、御本尊にその身を任せきるのです。いま、御本尊の力を具現し、実践しているのは、日蓮正宗創価学会です。したがって、学会にその身を任せる以外にはありません。
 そして「金言の如く修行せば」――大聖人の仰せどおり実践すれば「慥に」――必ず「後世は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得」ることができます。その人間革命の信心があるならば「広宣流布大願をも成就す可きなり」と仰せであります。
 この祈祷経送状の御書を身に体して、それぞれの立ち場で、境遇で、伸びのびと、明るく、堂々と指揮をとって戦い、そしてまた大御本尊のもと、総本山に、喜び勇んで集まろうではありませんか。(拍手)これを繰り返しつつ、一生を送ってまいりましょう。
 なにとぞ、きょうお目にかかれなかった後輩の同志の方々にも、くれぐれも、体を大事に、事故のないようにとお伝えください。また、常識豊かに、信心は水の流れるごとく、一年ごとに強く、また一年ごとに功徳あふれる幸福な家庭の実相を示すように、お話し願いたいと思います。そのために、私たち大幹部は、真剣に後輩を擁護し、包容してまいりたいということを、合わせてご伝言くだされば幸甚です。
 大幹部の皆さん方のご健康とご健闘とを心からお祈り申し上げまして、年頭の挨拶といたします。

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