Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初登山・大幹部会 栄光に満つ「躍進の年」

1967.1.2 「池田大作全集」第3巻

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3  さて「躍進の年」にちなんで、第二に意義づけられるものは、事実上の本門の戒壇にあたる正本堂の建立発願式であります。一閻浮提総与の大御本尊をおしたためになられた十月十二日の佳き日に建立発願式を行なう予定です。これこそ、仏法史上、空前の壮挙であり、宗門全体にとっても、信徒全体にとっても、大躍進をしていく実相であります。日達上人猊下が第六十六世であられますので、それに意義づけまして、正本堂の高さは六十六メートルといたしました。それと同じ意義を含めまして、建立発願式の時には、六千六百人の全国信徒代表が参加して、盛大に行ないたいと思います。(拍手)なお、新年を迎える創価学会の最高陣営である理事室も、六百六十六人となっております。
4  「躍進の年」の第三番目の意義は、折伏であります。政治面で、公明党が花々しい活動をしておりますけれども、広宣流布という深い広い戦いにおいては、最も大事なことは折伏であります。少しばかり公明党がクローズアップされたからといって、それでもう広宣流布が成就したつもりで、革命精神を忘れ、折伏精神を忘れるようなことがあったとしたら、もはや退転であり、断じてそのような錯覚をしてはならない。
 昨年の暮れには、昭和四十六年までの目標であった六百万世帯が達成されました。私の意向としては、皆さん方にあまり苦労をさせたくない。また一人も退転者が出ないように、悠々と、確実に進んでいただきたいと思う。しかし、そのために、全面的に折伏を中止するということは、大聖人の御金言に反してしまうことになります。したがって、本年は、確実に、楽しみながら、年間実質六十万世帯の折伏を行なってはどうかと、最高幹部の話し合いで一致をみております。いままでの例からみて、六十万世帯は、悠々と突破できうることは間違いありません。
 一月の本部幹部会、または二月の本部幹部会を第一回とし、ついで第二回目は五月の本部総会、これを期しまして、組織の大拡充の発表をいたします。創価学会始まって以来の組織の拡充であり、人材の抜てきを行なう構想をすでに練っております。大幹部の皆さん方は、いつその発表があっても対応できるよう、しっかりと人材を見きわめ、育てておいていただきたいのであります。支部は約三千支部にする目標でおります。男女青年部は、それぞれ三千部隊以上の体制になっていく予定です。学会には、青年部、学生部、高等部が、続々と広宣流布の人材として成長しています。これは世界のどこにも類例をみない姿であると確信します。(拍手)これこそ学会が常に若々しく、隆々と発展していく証拠であり、最も力強く頼もしい躍進の姿であると私は訴えたい。
5  第四番目には、文化面におきまして、本年はいちじるしい発展を図っていく決心であります。わが創価学会からみるならば、また広宣流布という大目的に立つならば、創価学会を大地として、教育面、文化面、その他あらゆる面に、見事な花を咲かせていかなければならない。創価学会イコール公明党といったような、そんな狭量な考えであってはならない。政治だけが学会の活動分野ではない。社会のすべての面を革新しきっていく決意がなかったならば、最高の正法を根底にした文化国家は建設できない。第三文明の開花はないと叫びたいがどうでしょうか。(拍手)この夏までには、東京に待望の創価文化会館が落成します。また、大阪と岡山にも、文化活動の中枢として、文化会館があいついで落成します。さらに、本年は名古屋においても、文化会館の起工式を行なう予定になっております。続いて秋には、国立競技場において、伝統の大文化祭を開催する計画があり、この間、文化局各部の、質量共の充実を図っていく念願でおります。これまた第三文明建設への大いなる躍進と確信します。
6  第五番目に、本年末に創価高等学校、同中学校が落成します。これこそ、混迷せる教育界に黎明を告げるものであり、牧口初代会長以来の念願を実現することになります。やがて創価大学の建設も開始する決心でおります。本年の創価高等学校・中学校の落成が、やがて創価大学を設立する基盤となり、学会の未来にとって、否、日本の将来、世界の将来にとって、真実の平和の使徒を、世界の指導者を育成していく出発となることは明らかです。これこそ喜ばしい躍進であると私はいいたい。(拍手)
 広宣流布の大事な一ページを印するこの一年。これらの偉業が成功するか否かは、最高幹部である皆さん方の信心と努力に待つ以外にはない。また同志の固い団結と努力以外には絶対に実現できるわけがない。この目標の遂行のために、よろしく本年も努力していただきたいことをお願い申し上げるしだいです。(拍手)
7  祈祷経送状の一節にいわく「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」と。
 「法華経の行者」とは、大聖人のただ一つのご遺命である王仏冥合実現のために、実践している人とも拝することができます。「信心に退転なく」――進まざるを退転といい疑わざるを信という。この原理にもとづいて、偉大なる目標に向かって、日々、月々、年々に前進しきっていく者が退転のない身であるといえると思う。そして「身に詐親無く」――すなわちその行動が、仏法の鏡に照らして、微塵もウソいつわりがない。大聖人の御金言のままに広宣流布実現に真剣に戦っている、すなわち信行を実践しきっている、この人こそ、現当二世にわたって絶対の幸福境涯を具現する人である――との御金言であります。最後の「勝妙の大果報」の勝妙とは、勝る妙であります。「勝妙の大果報」とは、日本一の幸福者である、世界一の幸福者であるという意味であります。それは、信心根底に、妙法の光りが輝きわたっている人生を生ききっていく、わが身も幸せであり、人々をも幸福にしていくという、その光り輝いた生命の意味であります。これは、人間革命の究極であり、同時に人間革命の出発であります。
8  これらの人々の実践があって初めて、広宣流布、王仏冥合の大願も成就できることは、絶対に疑いないと、大聖人は申されているのであります。功名心にとらわれて信心を第二とし、名聞だけにとらわれて、御本尊、そして学会を従と考え、自分の出世だけを夢みて、学会を利用していくということは「身に詐親」がある証拠です。そのような人に勝妙の果報はありません。さらには広宣流布も成就できえないのであります。
 法華経の行者は信心に退転なく、身に詐親なく、一切、法華経に、御本尊にその身を任せきるのです。いま、御本尊の力を具現し、実践しているのは、日蓮正宗創価学会です。したがって、学会にその身を任せる以外にはありません。
 そして「金言の如く修行せば」――大聖人の仰せどおり実践すれば「慥に」――必ず「後世は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得」ることができます。その人間革命の信心があるならば「広宣流布大願をも成就す可きなり」と仰せであります。
 この祈祷経送状の御書を身に体して、それぞれの立ち場で、境遇で、伸びのびと、明るく、堂々と指揮をとって戦い、そしてまた大御本尊のもと、総本山に、喜び勇んで集まろうではありませんか。(拍手)これを繰り返しつつ、一生を送ってまいりましょう。
 なにとぞ、きょうお目にかかれなかった後輩の同志の方々にも、くれぐれも、体を大事に、事故のないようにとお伝えください。また、常識豊かに、信心は水の流れるごとく、一年ごとに強く、また一年ごとに功徳あふれる幸福な家庭の実相を示すように、お話し願いたいと思います。そのために、私たち大幹部は、真剣に後輩を擁護し、包容してまいりたいということを、合わせてご伝言くだされば幸甚です。
 大幹部の皆さん方のご健康とご健闘とを心からお祈り申し上げまして、年頭の挨拶といたします。

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