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日蓮大聖人・池田大作

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第9回学生部総会 俊逸・人材の牙城に

1966.7.25 「池田大作全集」第3巻

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3  学生部員は、生涯、民衆の指導者でなくてはなりません。特権階級には断じてなってはいけません。名聞名利の指導者にもなってはならないのです。なぜかならば、それは立正安国論の本義に反するからです。そのために、民衆と共に歩んでいく指導者、民衆といつも語り合っていける指導者、民衆といつも苦楽を共にしていける指導者、こういう大衆革命の中核の革命児になり、その先頭を切っていただきたい。(拍手)東大出とか何々大学とかを誇って、学歴を鼻にかけているものは、みんな歪んだエリート意識をもち、民衆のことなどは決して考えていないエゴイストです。それでは大衆がかわいそうです。なんのために勉強したのか、なんのために知識を蓄積したのか、その根本の目的が誤っておりますがゆえにあまりに利己主義です。そうなってはいけません。
 いまの、大学生を含めた知識階級というものは、臆病で信念がありません。しかるに妙法の知識階級は、勇気と英知を共に堅持することができます。したがって、大聖人の仏法を奉じてこそ、初めて諸君の知識が生き、そしてまた大事な使命が達成されるということだけは忘れてはなりません。そのうえに立ってあらゆる分野で、諸君が社会の中枢となっていただきたいことをお願い申し上げます。(拍手)
 具体的に申し上げるならば、司法試験にもたくさん合格していただきたい。外交官試験や公認会計士の試験もたくさんの人が受けていただきたい。また大学教授の関門もたくさんの人がとおって、全員が自己の専門分野で勝ち取っていただきたい。学生部出身者ならば、学会本部で働くのは当然であり、あるいは公明党の代議士になるのは当然だなどと、甘い考えをもってはいけません。日本だけでなく世界各国にいたるまで諸君が花々しく活躍し、それらが一切結合されてこそ、一歩一歩、全世界の広宣流布が、実現されていくのだという方程式を忘れてはなりません。
4  次に申し上げたいことは、学生部は信心の筋金を入れていただきたいということです。学会精神を骨の髄まで入れていただきたい。甘やかされてなんで立派な大信者になれるでしょうか。なんで立派な大指導者になれるでしょうか。信心のことについては厳しく、そして信心即学業、信心即生活を、悠々と成し遂げるようにしていただきたい。したがって、題目をあげてあげてあげぬいていくべきです。学会活動も学生部の行事も、アルバイトも学業も、すべて苦労してやりきっていける人が、最後に、広宣流布の大人材となり、栄光ある大指導者となれることを私は確信しておりますが、いかがでしょうか。(大拍手)これから何十万、何百万の青年そして高等部、中等部、少年部が諸君に続いてきます。それらの人を大きく包容し、バトンタッチをしていける伝持の人をつくっていただきたい。それらの後輩の鏡となり模範となるのは現在の学生部員であります。
 私は学生部員さえ成長してくれれば安心です。これは真実です。私はただ諸君の成長だけを待っているのです。したがって学生部員は、俊逸の集い・人材の牙城であるということをモットーとして、実際に証拠を出していただきたいと思います。(拍手)俊逸でなくてはいけません。人材の城でなくてはいけないのです。やがては青年部にも、壮年部、婦人部、女子部にも、また理事室にも、公明党にも、そして全世界のあらゆるところにも、諸君は人材として指導者として、花々しく活躍できるように成長していかなくてはなりません。それには人一倍に勉強し研鑚することが第一です。実力を養うことです。その訓練場が学生部の会合であると決めてはどうでしょうか。(拍手)
 また、学生部員の一つの決意として、理論闘争に敗れるような者は、真実の学生部員ではないと決めてはどうかと思います。学生部は思想界の先陣を切るべきものです。どのような理論闘争でも悠々と勝ちきっていける、いかなる理論闘争たりとも絶対に負けないで、すべてを屈服せしめる力を持たなければならないのです。学生部員が一人行けば、いかに多数の学生がいようともまた政治家がいようともかなわないと、このようにいわれる学生部員でなければ、もはや真実の学生部員ではありません。
 また、そうでなければ、日蓮大聖人の大仏法、色心不二の大哲学を、先駆を切って弘めていく力ある学生部員であり弟子とはいえないのです。意気地がなく愚かでは仕方がありません。理論闘争では、いかなる戦いであっても、学生部員は絶対に勝ちきっていく、そして、その戦いに敗れるものは学生部員ではないと決定しましょう。(拍手)遠く日蓮大聖人の時代には、日興上人や日目上人が、理論闘争で全宗教界を席し、破折しきったそのお姿を忘れてはなりません。また天台大師・伝教大師も、いまでいえば学生部の出身です。どちらも、明王の前で公場対決し、邪宗邪義を打ち破っているのは、やはり、理論闘争に勝ちきった姿であります。
 またいかなる革命運動でもその先駆を切りその中枢となったのは学生であります。一九一七年のロシア革命もそうです。中国で一九一九年に起きた五・四運動もそうです。中国では、現代史の発端としてこの運動を重要視するものですが、これに火をつけたのも北京の大学生でした。毛沢東の革命運動も学生運動から始まっているなど、あらゆる革命は全部、学生の手によって遂行されているのです。日本においても明治維新の原動力であった人材は、元をいえば、吉田松陰の松下村塾という学校で学んでいた学生ではありませんか。
 高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、品川弥二郎等々、現在でいえばすべて“学生部”の出身者であり、彼らが真に実践にはいった結果があの明治維新を生んだのであります。また負けてしまったけれども、明治十年の西南の役で、あの西郷南洲を守ったのも私学校の生徒一万二千人ではありませんか。なお尊皇攘夷の思想をもって、井伊大老を暗殺したあの“桜田門の変”を断行した革命児達も、二十二、三歳の、有名な弘道館出身の学生であります。このように、歴史に照らしても全部学生が革命の中枢となっております。
 われわれの広宣流布を成し遂げるという無血革命も、学生部が中心になり原動力となって最後の総仕上げをしなかったならば、外道の学生に笑われてしまいます。また、なんの顔あって創価学会の学生部といえるでありましょうか。断じて諸君が広宣流布の総仕上げをしていきなさい。(大拍手)
5  ロシア革命、中国の革命、また日本の明治維新等の革命にしても、それらはすべて武力革命であり、多数の犠牲をともない、流血の惨事を招いております。大聖人の教義に比べれば、共産主義理論も唯心論も、はるかに低級でぜんぜん問題になりません。私どもの戦いは、矛盾のない世界第一の思想、哲学、宗教を根底にしております。革命の途上、牢へはいるわけでもなく、一家が殺されるわけでもなく、所領を奪われるわけでもありません。それを考えた場合には、あまりにも恵まれすぎた革命であります。
 しかるに、退転するとか、なかなか真剣に信心をしようとしないとか、学会活動もしないとかいうのでは、人間としてあまりにも悲しい。国家社会のために全人類のために、かつ主義主張のために戦う人、貢献する人、尽くす人が、人生にとって最大に偉い人であり尊い人であります。いわんやわれわれは、根底の理論に矛盾なく方法においても矛盾なく犠牲のない、王仏冥合・一閻浮提の広宣流布という戦いをしているのであります。どうか、一人の退転する者もなく、私と共に十年先、二十年先、三十年先を目指していただきたい。(拍手)
 革命は、これまでの歴史をみれば、達成されない場合は死刑でありました。ゆえに“革命は死”なのです。革命をしきって、成功せしめるか否かは重大な問題です。もし遂行できなければ、他の反動勢力によって殺されてしまうのがいままでの歴史であります。絶対に、革命は成功させなければなりません。私どもの時代、諸君の時代に、必ず広宣流布を成し遂げるという、りんりんたる勇気をもって進んでいただきたいと思うのであります。
 最後に、諸君の、ますますのご健闘とご健康をお祈り申し上げて、私の話といたします。(大拍手)

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