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第一回山梨県支部長会 雄々しく地涌の勇者の道を

1986.9.20 「広布と人生を語る」第10巻

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29  充実した晩年の人生たれ
 今、次代の広布を担う青年が、日本国内でも世界各国でも続々と成長している。こうして青年に光が当てられると、一方で高齢の方々は、少々さびしく感ずることもあるかもしれない。きょうは、年配の方もおいでになるので、最後にひとこと、人生の美しき総仕上げの時である老齢期について申し上げたい。
 作家の鶴見祐輔氏の言葉であるが、人間観、人生観の当を得た表現がある。
 鶴見氏は「人間の一生は、その人格が完成されてゆく道程である。人間の一番貴いのは、老年である。何となればその時が、その人の一生の決算期であるからである」といっている。
 私はよく全国へ出かけるが、秋、満山錦繍のみごとな情景に出あったときなど、眼前の美しい紅葉を見ながら、同志と語りあったものである。人生の老年期もこうでなければならない。一生のなかでいちばん荘厳であり尊く美しい姿になって人生を飾りたいものだ、と。私自身、三十代、四十代からこの思いで歩んできた。
 また、「われわれの一生は、結局、このような貴い老年を作り出すための準備なのである。偉大なる人の晩年ぐらい美事なものはない。丁度、秋の落日のようなものである」とも述べている。
 たしかに人は、人生の年輪を刻むにつれて、人間としての深さ、美しさがにじみ出てくるものである。青年にはなんとなく未熟さからくる”若さ”があるが、年配になると円熟して、我欲も消え、ほんとうにすがすがしく美しい姿だと思わせる人がいる。とくに唱題に励む人はそうである。
 さらに氏がいうには「人生の楽しいのは青年時代ではない。青年の日は実に悩みの日である。あらゆる煩悩と誘惑とが青年男女を蝕み苦しめる。その煩悩と誘惑とに闘うところに青年の意義はある。そして中年を過ぎて老年に至るときに、人間は初めて心中の平和を発見し、泰然として人生と社会とに対決することができるのである。バーナード・ショオが、一九三二年十月、私に語って、人生は六十からだといった深い言葉の意味を、今日漸く私は味読することができた」と。
30  「人生は六十からだ」との言葉は、まさに至言であると思う。
 年配になられた壮年部の皆さまも、みごとなる人生の総仕上げのために、さらに信心を深め、広々とした境涯を開いていただきたい。また、悔いなき人生を飾るためにも、広宣流布という壮大な道に生きぬいていただきたい。
 そして、三世にわたり崩れざる自分自身を築きあげるための、今世における完成は、六十歳から始まるとの若き心意気で、私とともに進んでいただきたいと申し上げ、本日の指導とさせていただく。

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